【関西】定例研究会報告 近世期における神道神学の展開――中野裕三『国学者の神信仰』を読む(第二回)

 令和2年5月23日に開催された民族文化研究会関西地区第24回定例研究会における報告「近世期における神道神学の展開――中野裕三『国学者の神信仰』を読む(第二回)」の要旨を掲載します。

二 「第一編 本居宣長の神信仰」

二・一 「第一章 ルードルフ・オットーのヌミノーゼ概念――本居宣長の『神の定義』との比較」

 序論では、国学者神道思想を検討し、現代における神道神学に活用することの重要性が説かれたが、いよいよ本編では国学者が展開した神道思想の検討へと入っていく。第一編で取り上げられるのが、本居宣長神道思想である。

 なかでも、宣長によって説かれた「神の定義」は、以後の神道神学に与えた影響が非常に大きいとされている。しかし、宣長の「神の定義」は、中野が指摘するように、「その内容・解釈については、必ずしも明確にされてこなかった」とされている。

 そこで、本書では、宣長の「神の定義」と類似性のある、ルードルフ・オットーの提唱した「ヌミノーゼ概念」に着目し、両者を比較することによって、宣長の「神の定義」の正確な意味・内容を把握することが目指される。ドイツの宗教学者であるルードルフ・オットーの「ヌミノーゼ」概念は、宗教の原始的な段階における崇拝対象の特徴を、信仰者が抱く宗教的感情の視座から詳細に明かしていることから、同様の理論的意図をもつ宣長の「神の定義」を解釈する概念として、加藤玄智・原田敏明・安津素彦といった神道学者らによって援用されてきた。

 本章では、こうした議論を踏まえ、オットーの「ヌミノーゼ」概念が、はたして宣長の「神の定義」と対応しているのかどうかを確認し、また両者の比較を試みた先行業績を再検討することによって、宣長における「神の定義」の意味・内容を正確に把握することを試みている。

 

◎「ヌミノーゼ」概念の背景――キリスト教神学との関わり

 まず、オットーにおける「ヌミノーゼ」概念が検討されるが、中野が注目しているのは、「ヌミノーゼ」概念が唱えられた歴史的背景である。より具体的に言えば、ルードルフ・オットーが、「ヌミノーゼ」概念をキリスト教神学の範疇において護教的な意図を込めて主張したのか、それとも諸宗教に共通する普遍的概念として唱えたのか、という点である。

 これまで、「ヌミノーゼ」概念は、後者として、すなわち諸宗教に共通した普遍的概念として唱えられたと考えられてきた。しかし、近年の議論を見ると、オットーがプロテスタント神学の展開を踏まえつつ、キリスト教の護教を目的として、この概念を唱えたのではないか、という主張がなされている。

 オットーは、「ヌミノーゼ」概念によって、宗教における崇拝対象の特徴を、感情という視座から明らかにし、各宗教に共通する本質的経験を提示することができた。しかし、オットーには、「ヌミノーゼ」概念を、各宗教の優劣を測定するための指標として用いている側面があった。「ヌミノーゼ」概念に照らしつつ、オットーはキリスト教を最も優れた宗教だと断定するのである。

 ここから、「ヌミノーゼ」概念は、各宗教に共通する普遍的概念のみならず、キリスト教の優位を論証するための、護教的な意図の込められた概念なのではないかとの疑問が生じた。オットーの影響を強く受けたメンシングという神学者は、オットーが「宗教学を神学の補助学として用いた」として、強く異議を唱えている。メンシングによれば、「ヌミノーゼ」概念は、キリスト教の優越性を測定する「尺度」に過ぎないとされる。[1]

 なぜ、こうした「ヌミノーゼ」概念が、各宗教に共通した普遍的概念なのか、それともキリスト教神学の範疇にある、護教論的な概念なのか、という問題が重要なのかというと、もし「ヌミノーゼ」概念に普遍性が無いのなら、宣長の「神の定義」と比較することが不適当になるからである。宣長の「神の定義」を明らかにする鍵ともなりえるが、同時にキリスト教優位を論証する理論的装置とも解せる「ヌミノーゼ」概念を、いかに取り扱うかが問題となる。

 

◎「ヌミノーゼ」概念の検討――原始宗教における崇拝対象と宗教感情

 中野は、続いて、「ヌミノーゼ」概念そのものの内容・意義を把握し、宣長の「神の定義」と比較検討していく。

 まず、「ヌミノーゼ」概念とは何か、概説される。「ヌミノーゼ」概念の源流にあるのは、シュライエルマッハ―の宗教思想である。シュライエルマッハ―は、宗教には形而上学や道徳には還元できない独自の領域を有するとし、こうした宗教の非合理的側面を「絶対依存の感情」と定式化した。こうした宗教の非合理的側面という視座を継承・発展させたのが、オットーの「ヌミノーゼ」概念だった。

 このように、「ヌミノーゼ」概念とは、宗教における崇拝対象を、形而上学や道徳には還元できない、非合理性の視座から特徴づける。具体的には、人間という矮小な存在が、絶対的な超越者と接した際に感じる、畏怖や魅了、歓喜といった宗教感情を整理し、それによって崇拝対象を非合理的すなわち感情的な側面から特徴づけるのである。

 こうした「ヌミノーゼ」概念は、「被造物感情」「恐怖に満ちている神秘の感情」「魅するもの」「巨怪なるもの」「崇高なるもの」といった複数の契機から構成されている。中野によれば、宣長の「神の定義」との関係で重要なのは、「恐怖に満ちている神秘の感情」と「魅するもの」の二つの契機なのである。

 

◎「恐怖に満ちている神秘の感情」と「魅するもの」の諸契機

 「恐怖に満ちている神秘の感情」は、「恐怖に満ちているという契機」「圧倒的なものという契機」「力強いものという契機」「全く他のもの」という諸契機へと、さらに細分化されている。

 第一に、「恐怖に満ちているという契機」とは、悪霊に対する不気味な恐れとして定式化される、素朴な畏怖感情を意味する。原始宗教の基礎にある畏れである。

 第二に、「圧倒的なものという契機」とは、「恐怖に満ちているという契機」が発展したもので、畏怖する対象が大きな力を持っており、対象に近寄りがたい印象をもっている状態を指す。あるいは、こうした対象に対し、自身を儚い矮小な存在だと感じること(依存感情、被造物感情)を意味する。

 第三に、「力強いものという契機」とは、神と接する人間が味わう、凄まじい活力と緊張を指す。神観念の非合理性をもっとも端的に表す契機である。

 第四に、「全く他のもの」とは、信仰対象が、我々が慣れ親しんだものや理解しているものとは全く異なる状態であることを指す。この契機によって、信仰者が崇拝対象に驚きの感情をもつ。

 第五に、「魅するもの」とは、これまで見てきた諸契機が神のもたらす畏怖を説明するのに対し、神のもたらす歓喜や恩寵を説明する契機である。宗教は、この両側面の感情によって成立する。

 

宣長の神格理解との比較検討

 それでは、具体的に、こうしたヌミノーゼ概念と宣長の「神の定義」の対応関係を比較・検討する。宣長の「神の定義」とは、「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる德(コト)のありて、可畏き物」という定義である。

 この定義のうち、「尋常ならず」は「全く他のもの」に当てはまる。「すぐれたる徳のありて」は、「霊キ異キ威德(イキホヒ)アルヲ云テ」という宣長の別の著作における記述を見ると、対応関係が分かる。ここで言う「徳」は、神霊のもつ強大な力を指す。したがって、「すぐれたる徳のありて」は、「力強いものという契機」と重なる。

 「可畏き物」は、「恐怖に満ちているという契機」に対応する。中野は、宣長が、朝鮮半島に派兵するように託宣されたが、この託宣を無視したために天照大神の怒りに触れ崩御した仲哀天皇について記述する際、「痛可畏(アナカシコ)」・と表記することに注目する。中野によれば、この表現は、天照大神の御稜威、力の強さを強調したものである。

 また、中野は、原田敏明、加藤玄智の説によれば、「可畏」は畏怖だけではなく、「心を引き付け魅力に充ちたものに対する尊敬、したがって服従をさえ意味する」とし、「魅するもの」との対応関係もあるとする。

 

 このように、「ヌミノーゼ概念」と宣長の「神の定義」は、複数の契機において共通している。中野は、以上のような比較検討を踏まえ、信仰者が崇拝対象に対して抱く感情による神の定義という点では、両者の構造は類似しているとされる。したがって、「ヌミノーゼ」概念と宣長の「神の定義」の比較研究そのものは可能だとされる。

 中野は、「ヌミノーゼ概念」を援用し、宣長の「神の定義」を、おおむね次のように解釈する。宣長は、多様な崇拝対象を不可解さやその強い力によって神の範疇にまとめあげ、さらにそのような宗教的客体を、恐怖に満ちているという宗教的畏怖、我々に恵みをもたらす存在に対する賛美・畏敬、あるいは単に奇異の念を抱くといった、諸々の宗教感情にしたがって定義している。

 しかし、中野は、冒頭で触れた「ヌミノーゼ」概念のキリスト教神学における役割に再度言及し、「このような護教的な意図を持つオットーの思想から、ヌミノーゼ概念だけを独立させて、それを宗教の普遍概念として受容することができるのか」という問いは残るとする。

 

二・二 「第二章 本居宣長の神観念」

 これまで、本居宣長の「神の定義」の検討を行ってきたが、宣長神道思想には、こうした「神の定義」と共に、造化三神(とりわけ産巣日ノ神)を至上視し、この神に絶対的神性を付与する神学理論を採用している。

 「神の定義」が、不可解さや力の強さといった属性によって、幅広い崇拝対象を許容する多神教的構造であるのに対し、造化三神論は超越的な根源神を頂点とする一神教的理論となっている。両者の矛盾をどう理解するか、これが問われるとされる。本章では、この問題を検討することによって、本居宣長神道観の中核を理解することが目指される。

 

宣長における宗教意識の二面性――「自然宗教的信仰」と「敬虔的信仰」

 こうした宣長神道思想における多神教的性格と一神教的性格の併存に最初に着目したのは、日本思想史研究の草分けの一人である村岡典嗣だった。村岡は、宣長神道観は、「自然宗教的信仰」と「敬虔的信仰」(「絶対的信仰」)との二つに分類できると認識している。

 そして、前者は、宣長が古典の研究によって明らかにした古代人の宗教意識であり、後者は、宣長が前者とは別個に、自身が抱いていた信仰心である。前者は自然そのものに宗教的畏怖を覚える多神教、汎神論的な構造であるのに対し、後者は絶対的な根源神を措定し、そうした至上の神に対する絶対的な帰依を基調とする一神教的な構造である。

 村岡は、宣長の宗教意識は、このように両義性をもったものであって、真に宣長を支配していたのは、後者だとする(そして、その一神教的なものへの指向は、宣長の一族の宗旨である浄土教によるものだと主張している)。

 村岡によれば、宣長神道思想は、この両義的意識の反映だとする。造化三神への絶対的神格の付与は、「敬虔的信仰」(「絶対的信仰」)の投影であり、「神の定義」は、「自然宗教的信仰」の投影であるわけである。

 そして、こうした宣長の宗教意識/神道思想の二面性は、村岡以降も継承され、次第に定着しつつある。たとえば、鴻巣隼雄や東より子といった論者が、こうした村岡説の影響下において、宣長の信仰の二面性・両義性を主題として研究を行っている。ここで、造化三神の絶対化論と「神の定義」論のあいだの矛盾をどう解決するかが問題となる。村岡のように宣長の信仰の二面性の投影だと理解するか、それとも両者を整合的に理解するのか。本章では、この問題が検討される。

 

宣長における造化三神解釈――根源神による一神教的神学

 ここから、宣長神道理論を参照し、上記の問題について検討されていく。まず、宣長造化三神絶対化論を把握し、続いて「神の定義」との関係を検討し、両者が整合的に解釈できるかを検討する。

 宣長は、造化三神について、「産霊(むすび)とは、凡てものを生成(な)すことの霊異(くしび)なる神霊(みたま)を申すなり」と位置付け、造化三神には一切の事物の生成に関与しているとする。さらに、「あらゆる神たちを、皆此神の御児(ミコ)なりと云むも違はず」とし、諸神を造化三神の生成の帰結だとし、造化三神を諸神の根源にある絶対的な神格だと理解する。

 さらに、中野は、こうした造化三神解釈が、歴史観においても貫徹されているとする。宣長は、現実世界の営為に対しても、神々の御業から見出した理法に従って説明を行い、それは吉凶の推移が、穢と禊との相関性に基づいて展開していくのであり、それによって人間の歴史が織りなされるというものだが、ここでも造化三神の役割が極めて重視されている。

 以上の考察から、中野は宣長における造化三神理解を次のように整理する。「(一)すべての神々は、産巣日ノ神の御霊を受けて成り坐しているのであり、そのため個別の神々は、産霊の働きを有している。(二)歴史観に見られる、吉善と凶事との推移の背後には、産巣日ノ神の御所為を確認することができる」。

 

◎「一即多」論による造化三神絶対性論と「神の定義」の両立

 中野は、こうした造化三神解釈は、やはり「神の定義」と整合性を持っておらず、むしろ論理的に矛盾しているとする。まず、注目されるのが、宣長の分御霊理解である。宣長は、分御霊の有り様は、燭や薪に移し取った火の如く、決して本の御霊と変わることが無い、とする。産巣日ノ神と諸神の関係性も同じであり、分御霊の関係にある諸神は、本の御霊である産巣日ノ神と全く同一の性質をもつ筈である。しかし、「神の定義」論を見るに、そこでは諸神の個別的な機能を果たすとされていた。

 ここで、なぜ産巣日ノ神の分御霊である諸神が、それぞれ産巣日ノ神とは異なる、個別的な機能を果たせるのか、という疑問が生じる。しかし、中野は、宣長が、こうした自身の神道思想の根幹にある問題について、論理的齟齬を生じさせる筈が無いとし、多様な要素が、一元的な源流へと、矛盾なく集約される論理を踏まえているとする。それこそ、中世期の神道思想が前提としてきた「一即多」論だという。

 「一即多」論は、もともと密教由来の概念だが、本地垂迹説を説明するため、仏教と折衷した中世期の神道思想(山王一実神道両部神道などの仏家神道)においてさかんに論じられた。本源である仏から、多様な神が派生するが、それは多くの存在であるかのように見えるが、実は唯一の存在へと還元されると説くのである。こうした中世期の神道思想における「一即多」論を援用することで、諸神の多様な「御所為」を、根源神の働きに集約することができる。

 すなわち、宣長は、こうした「一即多」論を援用することによって、産巣日ノ神と諸神の関係性を説明でき、矛盾なく両者の整合的な関係性を形成できたのではないか、とする。こうした宣長が「一即多」論を援用しているのではないか、とする理解は、中野だけではなく、上田賢治も提唱しているとのことである。

 

宣長における「一即多」論の発展

 こうして、「一即多」論の採用によって、根源神の絶対性を規定した「産巣日ノ神の絶対性論」と、諸神の機能を定義した「神の定義」論を両立させられる。しかし、「一即多」論において、諸神の作用は根源的な神格へと完全に回収されるのであり、個別的神格は認められない。

 それに対し、宣長は、「一即多」を受容しつつ、個別的な神格の独自性を認めていた。中野は、両者の論理の差異をめぐって、宣長において一即多論がいかに展開されたかを巡って、さらなる議論が必要だとされる。

 宣長は「一即多」論を受容しつつ、根源神から派生した個別的な神格にも独立性をもたせることで、完全な一神集約論には還元されない「一神教多神教」型の神学理論を構築しようとしたと解釈できるのではないか。すなわち、宣長は、「一即多」論を継承しつつ、それを独自に発展させたと解釈できるのである。

 

参考文献

中野裕三『国学者の神信仰――神道神学に基づく考察』(弘文堂、平成21年)

 

[1] しかし、「ヌミノーゼ」概念が、諸宗教に共通した根本的体験に光を当てたのも事実である。当時のプロテスタント神学の議論動向を見ると、宗教を人間の捏造した創作に過ぎないと断じるフォイエルバッハの宗教批判を思想的源流とし、宗教を人間の自己正当化のためのイデオロギー上の仮象世界とする立場(カール・バルト弁証法神学)が主流だった。こうした宗教を文化的な創作物だと捉える見解は、諸宗教に共通した信仰の本質(たとえば、「聖なるもの」への感覚。それこそ、「ヌミノーゼ」概念の探求したものだった)に対して関心を向けない。「ヌミノーゼ」概念は、こうした潮流への異議申し立てという側面もあった。比較宗教的なアプローチが復活するのも、ルードルフ・オットーの寄与が大きかった。本書二十六頁以降を参照。

 

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