【関西】定例研究会報告 近世期における神道神学の展開――中野裕三『国学者の神信仰』を読む(第5回)

令和2年8月22日に開催された民族文化研究会関西地区第27回定例研究会における報告「近世期における神道神学の展開――中野裕三『国学者の神信仰』を読む(第5回)」の要旨を掲載します。

第四編 組織神学に基づく神道の神理解

第一章 荒魂考

◎荒魂という重要問題

 日本では、伝統的に、霊魂を奇魂・荒魂・和魂・幸魂の四類型に分けて理解してきた。いわゆる「四魂」観と呼ばれる霊魂観だが、こうした「四魂」は、国学上でも再三にわたって論議の対象となってきた。

 たとえば、垂加神道系統の論者も、『神代初問』や「和魂荒魂弁」といった「四魂」論を展開し、さらに宣長が『古事記伝』において詳細な解説を加えて以降、宣長説を批判ないし発展させるかたちで、「四魂」論の著しい展開が見られた。

 しかし、こうした「四魂」は、とりわけ「荒魂」は、記紀出雲風土記延喜式において錯綜した記述がなされ、その整合的解釈が困難なこともあって、その定義を一義的に見出だすのは難しいとされ、いまだに定説が無い。

 このように、再三論じられつつ、定見が見いだせない「四魂」ないしは「荒魂」だが、われわれが霊魂をどのように理解しているのか、という神道信仰の核心にある問題に直結している。

◎近代神道学における荒魂理解

 こうした「荒魂」理解をめぐる問題だが、近代以降において確立された神道学においても、再三論じられている。中野は、こうした近代神道学における「荒魂」論の中でも、上田賢治の業績に着目する。

 上田によれば、いわゆる四魂は、独立して存在しているわけではなく、あくまでも神々の個別的な働きを、人間側から見て名付けたものに過ぎないとする。すなわち、四魂とは、実体ではなく、機能として捉えるべきだとする。

 しかし、上田によれば、国学者は、これを実体化する誤謬を犯してしまった。また、荒魂については、神のもつ機能のうち、荒々しい、人間にとってマイナスの含意をもつものを意味しているとする。

 このように、上田の霊魂理解を概観すると、従来の実体的な四魂理解に対し、機能論的な四魂理解を対置する。そして荒魂の解釈については、負のイメージで捉える見方を提示した。

◎上田神学批判から荒魂探求へ

 こうした上田の荒魂理解は大きな影響力をもっているのだが、中野はこの理論に異を唱え、近世国学まで遡って検証していく。さらに、こうした理論的営為は、それにとどまらず、荒魂の実像にも迫っていく。

 実際に、近世国学者は霊魂の実体的な理解という誤謬に陥っていたのだろうか。そして、荒魂は、負のイメージで捉える見方は正しいのだろうか。こうした問いを解き明かすため、本居宣長橘守部の荒魂解釈が、俎上に載せられる。

本居宣長の荒魂解釈

 宣長は、古事記伝における「荒御魂、和御魂」の注釈箇所において、荒魂解釈を最も体系的に示している。これは、託宣を通して三韓出兵を命じられた墨江(住吉)大神の荒御魂が新羅征伐の後、「国守神」として鎮祭されたという伝承に即して記述されている。

 ここで、宣長は、荒御魂・和御魂を神の異なる働きに対する呼び名であると規定し、その上で、たとえ荒魂だけを祭る社が別個独立して存在するにせよ、本来の社に祭られる神霊は、当該神霊の全体の御霊であって、必ずしもその御霊は一方の和魂ではない、と主張した。

 これを見るに、宣長神学は、上田説と同じく、荒魂について、機能論的理解に立脚しているように思われる。

 また、宣長は、皇祖神天照大御神の荒魂と悪神禍津日ノ神との同体説を唱えるなど、荒御魂という概念について、神霊のマイナスの働きをイメージしていたように窺える。ここも、上田説と軌を一にするように思われる。こうした発想は、荒魂の「荒」という語意を重視する文献解釈学のアプローチによるものだが、他方で宣長は荒魂のプラスの側面にも言及する。

 全体として、宣長は必ずしも人間の営みに対してマイナスの働きだけを荒魂として認識していたのではなく、むしろプラスであれマイナスであれ、御稜威の荒々しい在りようを荒御魂として認識していた。

橘守部の荒魂理解

 宣長批判者として知られている橘守部は、神典注釈書「稜威道別」において、宣長の荒魂観とは異なる荒魂解釈を示した。守部は、「そも〱荒魂は顕生魂の義にして、本ッ霊より更に別れ給ふをこそ称せ、和荒(二ギアラ)などの荒にはあらざるぞかし」との荒魂観を示したのである。

 ここから、上田が主張するように、本霊からの分霊として、実体的に荒魂を認識していたという理解が成立するかもしれない。しかし、守部の神道思想の全体像を射程に入れると、そうではないと分かる。

 守部は、神霊をその働きを通じて認識していた。ただ、こうした幽世に鎮まる神霊の働きが、顕世(現実世界)において、霊験として具体的に提示されることがある。こうした神霊が現実世界に引き起こす霊験を、守部は本霊から分かれたものと表現し、これこそ荒魂だとするのである。これは、あくまで神霊の機能であって、神霊の実体とはいえないだろう。

◎神社祭祀における荒魂信仰

 これまで、宣長と守部の荒魂解釈を概観してきた。しかし、神道思想だけでなく、神道祭礼にも、荒魂信仰というかたちによって、荒魂の真実が伏在している。また、神道祭礼から、宣長と守部の荒魂解釈を見直すことで、両者の議論の妥当性が分かるかもしれない。

荒祭宮の祭祀

 伊勢神宮の内宮は、天照大神の鎮まる正宮の他に、宮域内外併せて十宮の別宮を擁しているが、とりわけ別宮第一の荒祭宮は、天照大神の荒魂を祭っている。中野は、こうした荒祭宮における祭祀を概観しつつ、国家の一大事(将門の反乱、蒙古襲来、幕末の欧米列強によるアジア進出)に際し、勅使も列席した荘厳な祭礼が行われてきたことを指摘する。すなわち、荒祭宮を含む内外両宮への奉幣は、皇祖神の御稜威(霊験)を期待して、国家の平安を実現するべく斎行されたといえる。

長門国一之宮住吉神社の特殊神事

 続いて、長門国一之宮住吉神社の特殊神事が俎上に載せられる。住吉神社の御祭神は、伊弉諾尊が御身に附着した黄泉の汚垢を清めるべく、筑紫の日向小戸橘之檍原にて禊をした際、潮流から顕現した底筒男命中筒男命表筒男命住吉三神)の荒魂である。

 中野は、こうした長門国一之宮住吉神社における、御忌祭や和布刈神事といった特殊な神事を概観し、これらの神事が共に、住吉三神の著しい霊験を前提にするものではないだろうか、と指摘する。

◎荒魂とは何なのか

 こうした荒祭宮住吉神社における祭祀を概観するならば、荒魂を祭る祭祀は、荒ぶる魂を鎮め和らげることを主な目的とするのではなく、むしろ霊験あらたかな神霊の御稜威の発揚を前提にするものであることが分かる。

 この視点を踏まえると、宣長の説は、もっぱら荒魂のマイナスの側面を強調する結果になっており、妥当ではないのではないか、とされる。むしろ、上田によって批判の対象だった守部の説が、現世における霊験を前提としている点から、妥当だとされる。

 こうして、上田神学と神社祭祀という、二つの準拠枠のもとで、近世国学者の荒魂理解を検討する作業を行ってきたが、結論としては宣長説よりも守部説が妥当だとされ、荒魂は神の働きのうちで、人間が負のイメージをもつものを意味せず、神霊の御稜威が強い様子を意味する概念だとされる。

 

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天照大御神の荒御魂を祀る荒祭宮