会報「大八洲」創刊秘話

弊会の会報である「大八洲」も、創刊から三年目を迎えます。発行が軌道に乗りつつある時期ですが、だからこそ創刊時の経緯を振り返り、その原点にあった誌面づくりの精神を確認したいと思います。

創刊の経緯

 会報の刊行は、弊会の発足当初からある構想でした。しかし、研究会の開催や、諸々の事務処理など、他の業務を先に安定化させる必要があり、優先順位の低かった会報の刊行は、ずっと延期されている状態でした。しかし、会の発足から三年が経った2019年に、ようやく会報の刊行が議題に上るようになりました。
 会報を刊行すれば、会の広報が円滑に行うことができ、新規会員の確保に資する、また会の活動を何らかの媒体で外部に発表する必要があるが、会報はそれに好都合である、など様々な動機から、ついに会報の刊行に着手することになったわけです。
 そこで、編集部が結成され、湯原静雄氏を責任者として、会報の発行作業が開始されますが、そこではいかなる雑誌を目指していくかが検討され、現在の「大八洲」を支える編集上の基本方針が決定されました。それらの基本方針は、(1)誌面づくり(2)雑誌の方向性(3)意匠の三つに及んでおります。以下では、それらを見ていきます。

いかなる雑誌を目指すか――「大八洲」を支える基本方針

(1)誌面づくり――時代状況に振り回されず、歴史の評価に耐えうる紙面を

 左右を問わず、政治的に旗幟を鮮明にしている雑誌は、良かれ悪しかれ、時代状況に規定される傾向があります。こうした雑誌は、時代状況に鋭敏に反応し、求められている課題への応答をすぐに提示できるという、良い面がある一方で、ともすれば時代状況に振り回され、しばらく時間が経過すると、内容が陳腐化してしまうという、悪い面も目立ちます。
 こうした問題を踏まえて、われわれは「大八洲」の創刊時に、あくまで時代状況を踏まえつつ、しっかりとした自身の思想的な立脚点を築くことで、時代状況から適切な距離を保ち、より俯瞰的な立場からの判断ができる紙面づくりをしよう、と思い立ちました。すなわち、時代状況に振り回されず、広い視野に立った議論を行うことを目指したわけです。そして、こうした議論ならば、歴史の評価にも耐え、残っていくに違いありません。

(2)雑誌全体の方向性――「情報誌」・「運動誌」ではない「思想誌」・「学術誌」へ

 こうした紙面づくりの方針に基づき、「大八洲」の思想的な立脚点を綱領にまとめ、この雑誌で展開される言論活動の指針とすることにしましました。「大八洲」の劈頭に掲載されている、「会報『大八洲』の趣旨と信条」という綱領が、それです。
 そして、雑誌全体の性格も、ここで決定されました。時代状況に即応するため、関係する情報を掲載したり、あるいは紙面を通した運動の組織を行う雑誌(「情報誌」・「運動誌」)ではなく、時代状況から距離を保ったうえで、根本的な思考を行うための、思想や学術を取り扱う雑誌(「思想誌」・「学術誌」)を志向することが、決定されました。

(3)意匠――伝統文化の表象と現代的なデザインの両立

 こうして、誌面づくりの基本方針と、雑誌全体の方向性が、決定しました。これらは、いわば雑誌の「中身」です。では、この「中身」を包む、表紙や装丁などの、いわば雑誌の「外側」を、どう形作っていくかが課題となります。
 発行元である、われわれの会が、民族文化・民族問題の学術的研究を志向していることから、伝統文化の表象を、表紙や装丁に用いることは、最初に決められました。ですが、伝統文化の表象をそのまま使うのではなく、それを現代的なデザインと併用することで、その潜在的な魅力をさらに引き出すことを目指すことにしました。表紙・装丁を作成するうえでは、伝統寺院の風景写真(京都市内の双林院〔通称:山科聖天〕)を使用しつつ、全体的には現代的な装丁を用い、両者が調和するようにしました。

 

                          文責:会報「大八洲」編集部

 

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大八洲」表紙に掲載されている双林院(山科聖天)の風景