【関西】定例研究会報告 高島嘉右衛門の「神道実用論」

令和3年12月18日に開催された民族文化研究会関西地区第41回定例研究会における報告「 高島嘉右衛門の『神道実用論』」の要旨を掲載します。

はじめに

 明治初期の神道は神祇行政の変遷とともに紆余曲折を経るが、明治十五年の皇典講究所設置頃には祭教学分離路線がある程度定まることで落ち着くようになった。

 この皇典講究所神職養成と国学研究を主としていたが、その他各界から多くの人士を招いて講演・演説会を開いている。主に国学・歴史や有職故実などについての講演が多かったようだが、その中には実業家・高島嘉右衛門も居た。

 高島嘉右衛門は横浜において鉄道開通の礎を築くなどしたために「横浜の父」と呼ばれる大実業家である。その一方で彼は「易」の大家としても名を馳せた人物であった。その影響力は大きく、現在でも占いや暦に「高島」の文字を見ることが多い。

 そんな「易聖」とも言われる高島が明治十八年六月に皇典講究所で行ったのが「神道実用論演説」だった。

 本論ではこの「神道実用論」を中心に高島が当時の神道・神官をどのように見て何を求めたのかを確認し、明治期における外局者から見た神道の一側面を考えてみたい。

 

神道実用論』演説


 冒頭で高島は「釈迦ニ説法」なことは承知ながら、我国神道の為に弁ずるものであって岡見八目という諺もあるため「外局者」の意見として聞捨てることの無い様にとの言葉から始めている。

 まず、根本的な話ではあるが人には情欲というものがあり、そもそも政府というものが存在しその統制がなければ弱肉強食の世になると語る。現在枕を高くして眠ることができるのは天皇が治世し人民が上下の分を守っているからであり、海外と違って日本には「皇統一系ノ天子」が上に在し乱世であっても将軍宰相の地位を争うのみで王位を脅かすことが無かったと言う。君民が親和する理由として「歴代ノ聖主。皆ナ人民ヲ同一族トシテ之ヲ親愛シ玉ヒ。全国人民モ亦自ら聖恩ニ帰服シ。上下ノ情密着シテ。少シモ間隙ナカリシ故ナリ」とし、日本全国の人民がその祖先も含めてその恩沢を蒙っているとする。

 こうして君民が親和することで安定していた日本ではあったが、文明開化によって外国人が流入することになった。日本人と違い、外国人は皇室の「古來無限ノ徳澤」に浴したことが無いため、土地売買によって御陵墓まで荒らすといった「國体ヲ紊乱」する事態に至る可能性がある。そのため官民の有志者が集ってこの皇典講究所が設立されたのだと語る。

 「此ハ予カ想像説ナリ」と語っている通り、これはあくまで高島の想像する皇典講究所の設立理由である。有栖川宮幟仁親王を総裁に戴き「皇室ノ尊キト。人民恩澤ヲ蒙リタルノ厚キトヲ説キ」、さらには日本の沿革や古事記を説き、法令や制度を研究している皇典講究所であるが、それでは歴史学の範囲であり、「唯是レ黄金ヲ黄金ナリト謂フニ止マルノミ」「外国ヨリ入来ル者ハ。之ヲ認メテ敢テ黄金トナサヾルベケレバナリ」とその在り方が不十分であると批判している。

 ここまで見て分かる通り、どうやら高島の主眼は外国人への対応策のようである。

 続けて日本と外国の知識文化の差について長尺を用いて言及している。幕府が鎖国政策に至った経緯を肯定しつつもその政策が長すぎたと語り「此三百年間。祖先ノ怠リタル智識ノ負債ヲ。明治年間ニ際會シタル我々ハ。勉強シテ之ガ償却ヲナサヾルベカラザルナリ。」とし、国内で育った学問も読書構文に留まって実践にまで至らなかったと言う。その間にも欧米では興廃多事起こり互いに切磋琢磨して技術が向上し、ついに蒸気によって東洋まで来た。そしてとうとうペルリによって日本は開国したが、日本にとって不利な条約を結ぶことになる。これらは日本と外国の文化レベルの違いから来ており、治外法権を認めたのも法律が未完全なのを理由にむしろ日本側から辞しのだという。関税自主権の問題も外国が居留民を保護するため兵隊を送り、その費用を賄うために貿易時に税を上乗せしている。王政維新となり、法律の整備や外国人保護の問題が解決されたが、未だ彼等は条約改正に応じず商利を貪っている。法律が未だ完備されていないと彼等は言い訳し、日本政府はそれに対応するため法改正を続け、日本人民の文明に不釣り合いな法律まで施行したために今や陸海軍常備兵より懲役を受けた人間の方が多い有様である。

 以上の様な高島の現状認識が語られたうえで、日本が熱心に条約改正を望んでいるのに対し欧州諸国が応じない理由を「宗教」にあると語る。宗教は人心支配に非常の勢力をもっており、欧米では「實ニ同宗教ノ者ニアラザレバ。同等ノ人類ト見做サヾルガ如キ」状況だと言う。そのために日本政府も欧州へ配慮して徐々に宗教への干渉を解き「人民各自ノ帰依ニ一任」「約シテ之ヲ言ハヾ。無形ノ宗教ハ。政府ノ關スル所ニ非ズト云フ者ノ如シ。」という状態となった。故に日本人民は政府が如何なる理由でそうした政策方針となったのかを察し、これを助けていかなければならない。

 高島からすれば信教ノ自由の口達に至る理由は外国との交渉に伴うものであり、政府としては止むを得ない策だったとする様な見方をしていたようである。こうした現状を踏まえ、神官に対しては早晩条約改正がなって外国人が内地に雑居した場合の策を講じるべきだと訴える。雑居となれば自然と「耶蘇宗門」も盛んになり、宗教上の紛争が発生する。西教では独一真神を立ててその上帝だけを拝し、我国においては古来数多の神霊を祭祀している。ここからお互いに罵倒するような軋轢が発生し、「互ニ相怒リテ。遂ニ非常ノ騒動ヲ作サンモ測イ難シ」と、宗教間紛争の危機を訴える。

 こうした危機を未発に防ぐ方法を講究しなくてはならないが、神官諸君がそれを察しているとは言えない。神道によって外教を厭服させようとするばかりである。神道の現状は「前面ヨリハ。本國政府ヲ以テ後楯トスル。外教ノ攻撃ヲ受ケ。後ロヨリハ。我政府ハ既ニ宗教上ノ干渉ヲ解カレ(中略)敵味方ノ砲丸ヲ蒙ルノ地ニ陣スル」ようなものだたと言う。

 やはりここでも外国人の問題が出てくる。高島は「我國ハ神國ニシテ。神道ヲ以テ國家ノ大本トナスガ故ニ。神道廃頽セハ。國体紊乱セン。國体紊乱セハ。國家一日モ安寧ナルコト能ハズ」と神官諸君の働きは重要であるものの、神道側が吾神ノ功徳を説けば西教側は耶蘇救世ノ大功徳を説き「相擯斥シテ争ヲ生ズル」状態となってしまうと言う。

 このような争いや國体紊乱を防ぐにはどうすれば良いか。ここで高島は「易占」こそが必要なのだと主張するのである。

 

 高島曰く、事を成すには「利器ヲ得ル」ことが重要である。蒸気によって百馬力のものも軽く走らせることが出来、電気機によって瞬間の往復が通じるようになった。そして易もまた「神ト人トノ電信線」であり、人神とのやり取りはただ易占のみが可能なのである。

 人は吉凶禍福が分からず、それを神明に質問する方法も無い。祈願したところでその応諾を聞くこともできない。俗に言う「片便」状態である。そこで、神官が易によって神意を問い、人民に指示すれば人民の喜びはどれほどのものか。大洋を行くには船が必要であり、戦陣に臨むには銃砲が必要である。そして神道を興すには易占によって神徳の著しきを人民に用いることが必要である。易の書は亜細亜三聖人が作ったもので、世界人口の六分を占める黄色人種の中から出た文王、周王、孔子は聖徳神智を備え学識と困苦と実地経験に富んだ人物である。彼等が示した万古不易の大道こそ「易」であるが、世の人は未だ「易理」に達していない。そのため易を見ても出鱈目にしか思えず、占者も頑陋とのイメージが広まってしまった。神官諸君が疑念を抱くのは世の売卜者と我が「神易」を同視しているからである。彼等は人の顔色を見て憶測しているだけであり、神易は違うのである。易には文王の卦辞、周公の爻辞、孔子の彖伝象伝がある。故に吉ならその所以と保持方法、凶はその所以と回避方法が示される。そしてその何れに該当するかを見るのが筮竹であり、それこそが神告である。

 以上の様なことを述べた上で、易を用いて神と通じるために重要なのは「至誠」の精神であり、神官諸君が「固ヨリ誠意正心。近ク神明ニ奉仕スルノ職掌」であるため「其神ニ感到スルヤ。必ズ疑ヲ容レザル所ナリ」と、神官による易占の実施を説くのである。

 氏子に易断をするにあたっては親切に教示し「且ツ其名既ニ「ウラナヒ」(不売)ト云フガ故ニ」金銭を取らないようにする。このように神易で神明と通信することを職務とすれば神官という名称にも叶い、人民からの信用が得られる。さらに私言を挟まず神告を伝え「世ノ中ニ独リ日本神官ノミ。決シテ偽言ナシ」という評判となれば神道が「世界独歩ノ宗教」にも至るのである。

 また耶蘇教や仏教は天堂地獄を説く=未来ノ禍福を教える未来教であるが、「神道ノ易」は日用事実であり現世教である。そうであれば両者の関係は「湯屋ト斬髪店」の様に相隣して互いに「便利ヲ興フル」間柄となり、説く主題が違うために宗教上の軋轢も無くなり、神道興隆・國体維持・人民教道の功績も上がる。後々には外国宣教師も現世の禍福を神官に聞くようになるだろう。

 こうして高島は神道が易を用い神道が現世教となれば、来世教たる耶蘇教仏教との軋轢を避けられると説くのである。続けて高島は既に皇典講究所から生徒の一部を委託されていることを語り、当年四月以来勉強に励んで既に神易の大旨を了知している、半年あればこの道に達すると豪語する。そして易の手法を語った後に改めて外国との交際・内地への居留民滞在に伴う宗教紛争の危機を語り、また昨今は世の人情が日に日に軽薄となっているため神官および宗教の力は重要だとして、「大易ノ妙理ヲ以テ人民ノ脳裏ニ神徳ノ著シキヲ感覚セシメ」てから道徳を説けば人心の矯正も成り、國体を不朽に維持し、神道も興隆するのだと言う。

 最後に改めて「神道ヲ永遠ニ継続セント欲セバ」国家安寧・人民幸福を維持するために本分の職務を全うして欲しいと語り、一部失礼な言葉が出たことを謝して演説を締めくくっている。

 

高島嘉右衛門にとっての易と「神国」

 以上、「神道実用論」演説の内容を確認してみた。

 高島はある時、「世間では当たるも八卦、当たらぬも八卦などというが、立筮すれば必ず当たるものである」というような事を言ったという。それほどまでに高島にとって易とは完全なものであり、まさに神告であった。

 そしてそれを実施してこそ、神に仕える神官のあるべき姿としたのである。

 神国たる日本は「神人感通ノ道ヲ以テ國家百年ノ大計ヲ定」めるべきであり、欧米のように「唯一片ノ憶測」でしかない社会学を研究しても「萬變」には当たれない。あくまで神慮を伺い神人交際することこそ「祭政一致」なのである。

 こうした神官は易占を行うべしとの主張はそもそも高島が長く訴えていたもので、この演説以前にも千家尊福に伝えていたという。また陰陽寮の復活を訴え、そこにおいて神慮を窺て国政を進めることこそ「神国」の姿だという主張もしていた。明治二十一年に熱田神宮に参拝した際も、雨乞祈祷を行う神官に対して「神明何ノ御沙汰」、つまり神からの応答を得られていないことを批判している。

 この演説と同年に記された『易占大意』というパンフレットにおいてもこうした主張がなされており「我國神徳ノ顕明ナルモ神官唯其体ト徳トヲ説クニ止マリ其用ヲ以テ世ヲ和スル能ハス故ニ遂ニ社会ノ無用物視セラルニヽ至ラントス」としている。

 高島は神への信仰心が篤く、後には「神易堂」を建設して孔子を祀っていた。また宗教を重視してシカゴ万国宗教会議に自著『高島易断』の英訳を提出している。

 一方で実用主義者の大商人であり、自分が易を実用的に使っているのと同様に「実用性」を神官にも求めたのがまさに「神道実用論」だったと言えよう。

 

主な参考文献

紀藤元之介『易聖・高島嘉右衛門 乾坤一代男 人と思想』(東洋書院、平成十八年)

松田裕之『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』(日本経済評論社、平成二十四年)

高島嘉右衛門『高島易断 第十巻』(明治十九年)

高島嘉右衛門『高島易占 第五編』(明治二十四年)

高島嘉右衛門『政祭一致』(明治二十四年)

高島嘉右衛門『神人伝言 易占大意』(明治十八年)

松野勇雄編『皇典講究所改正要領』(皇典講究所、明治二十二年)

 

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高島嘉右衛門