【関西】定例研究会報告 曽和義弌『日本神道の革命』を読む

令和元年6月29日に開催された民族文化研究会関西地区第14回定例研究会における報告「曽和義弌『日本神道の革命』を読む」の要旨を掲載させて頂きます。

はしがき

 今回考察する曽和義弌なる人物を私が知ったのは今から五年ほど前、日本における優生学思想を調べていた時である。戦前、衆議院議員であった曽和は「民モ昔ニ遡レバ神ノ御末デアル、ソレヲ断種スルト伝フコトハ、……徹頭徹尾猶太思想デアル」と神道家の立場から優生学思想に反対したとされ、そこで興味を持ったわけである。

 しかし調べてみても、曽和と言う人物はほとんど実態が分からず、私にとって謎であった。先日、曽和の著作である『日本神道の革命』を幸運にも手にいれることが出来た。この『日本神道の革命』は昭和三十六年に発行されており、戦後の神社行政も一応は落ち着いた時期である。本書は、曽和が昭和三十年五月に神社本庁で行われた全国神社総代会の結成準備会にて発した次のような言葉から始まっている。

 本日此処に参列して居られる各位は、申すまでも無く、日本神道界の最高峰の諸君であるが、諸君は先ず第一に日本神道というものを能く知って居られるのであろうか。よもや知らないとは云えまいと思うのであるが、本当はお判りになっていないのではないか。若し、判って居ると仰せられる方があれば、先ず其の方にお尋ねしたい。即ち、其の方に、貴公は古事記冒頭の天之御中主神から、伊邪那岐神妹伊耶那美神までの十二代十七柱の神々の、御名義は何を意味するものであるかということがお判りであるかと(後略)。

 この発言に対して結局神道界からの反応は無かったということであるが、ここには曽和の戦後の神道に対するはっきりとした対決姿勢が読み取れる。というよりも、本書を通読すれば判るが、曽和は歴史上行われてきた神道をほとんど否定しており、「今や革命を断行すべき時期である」と神道の根本的変革を主張しているのである。

 では曽和の目指す神道とはどのようなものか(曽和はそれを「大日本神道」と呼称している)。本稿ではそれを読み取っていくことにする。

 本書に記されている著者略歴によると、曽和は明治二十一年六月十七日に大阪府河内郡高向村大字高向第四拾二番屋敷に生まれる。大阪府立堺中学校卒業後、村長、大阪府会議員、衆議院議員を歴任。議員在職中は主に神社行政問題を論じたという。

 ちなみに曽和は昭和十四年(1939年)の帝国議会に置いて宗教団体法案が提出された時、当時の文部大臣荒木貞夫

 一、神道と宗教、一例で云わば仏教との相違如何

 二、神社と仏寺との本質的相違如何

 三、神社の祭神と、仏寺の本尊との本質的相違如何

との質問をしたが、納得のいく回答を得られず、平沼総理大臣にも同様の質問をしたがこれまた回答を得られず、「卓を叩いて罵声一番、其の怠慢を咎めて質問を打ちきった」とのことである。

 ともかくも曽和は敗戦後急に神道革命を論じたのではなく、戦前からあるべき神道の姿を模索し、探求し続けていたのである。

 

「大日本神道」と「みたまのふゆ」

 曽和は祈願や占いといった行為全てを「迷信」として徹底的に批判する。曽和は本文中にて歴代天皇の祭祀や神道の歴史を概観しているが、そのほとんどを否定している。歴代天皇中には、「夢告」を得る、あるいは「神がかり」の状態になる場合がままあるがそれら全てを「迷信」として否定するのである。そして当然ながら、平安朝中期ごろから始まった神仏混淆には激しい嫌悪をしめし、暗黒時代とまで言い切るのである。

 曽和にとっての神道とはあくまで「合理的」「科学的」なものでなければならない。神社に参拝し、神に何かをこいねがうなどはもっての他の行為である。同様の理由で現世利益を期待しての参拝や参詣、盆などの民俗習俗も全て「迷信」として退けられる。

 では曽和にとっての「神」とは何であろうか。

 曽和は神を「主観神」と「客観神」との二つに先ず分ける。「主観神」とはわが身の「精神」であり、肉体が死亡するときは、その精神(つまり神)も共に死滅する。物心一如であり、死後の霊魂というものはありえない。ただし其の人間が生きたという事実はこの世界に永久に残る。曽和の言葉を借りれば「其の個性的法則は永久に存在する」ということになる。

 また、我と同様に他のあらゆる人々にも「神」が存在する。人間以外のあらゆる生き物や山や川といった存在にも「神」が存在している。自分以外のあらゆる存在に宿っている神を「客観神」とする。そしてこれら全ての「相対神」を統合した全一の神を「絶対神」と捉えるのである。

 ではその「神」はどのように姿を現すのであろうか。曽和はまず祈願の説明をする。曽和によると祈願は必ず叶えるという強い自信が無いと、そもそもやる意味が無いと言う。祈願とはあくまで自分と神に対する決意表明であり、願いを叶えるのは「主観の力」である。

 曽和は「主観の力」は全知全能としながらも、むしろ凡智迀愚であることが多いと説く。では「主観の力」を十全に発揮するようになるにはどうすればいいのか。

 曽和は、人間は「頗る幼稚であるが、これが次第に発達していくならば驚くべき摩訶不思議な力が出て来るはずである。それは現在では人間が持っている。」「「何時までも死なない」というのは本当なのである。但し、ここにも行った様に、それは優秀な系統のみで、劣等な者即ち神性の夢精になった者から絶えていく。優秀なものも、固体としては一定の需要があるので、その個体が、次々に子を造って、これに「みたまのふゆ」として其の生命を殖やし与えて、次々に相続して永久に滅びることがないことを云うのである。それは、系統による生命の優秀さを云うので、優秀なというのは神性の顕著なものを云い、それが、世代と共に、いよいよ顕著な発現をして、「神人」を実現することになるのである」としている。そして曽和は「大日本神道」の真髄を「物心一如、霊肉一本、神骸不二」であり、「個々の相対神に差別性を認め、其の最高神」を人間神とし、其れに、更に今後の無限の発達性を認める」ことであるとするのである。

 ではその神性を担保する「みたまのふゆ」はいかにして伝承されるのか。曽和は神というものは自分個人のものではなく、父母、さらには万世一系のつながりの中で、先祖代々受け継がれてきたものであるとする。しかし、曽和は、それはあくまで「父系一本」であるとする。理由として「人間は必ず生れ変るものである。其れも、必ず自分の子孫として生まれ変ってくる。殊に男性は、其の男系の子として生まれてくる。女性は其の嫁いだ家の家族として、精神的に完全に其の家人と成り切った人は、其の家の男系の子孫に生まれてくる」「男性は其の男系の男子として生れて来るという云うことは、男系の男子の精神の真髄は永遠に変らぬ者である。例えば、虎の系統の子は永久に虎の子に生まれて来るが如きものである。ところが虎であっても雌であれば、時には豹の子でも生むこともある。だから雄系にでなければならぬ」「男性は其の系統を伝える主役である。男は子となる生命の種子を持っているので、此の種子が女の胎中に取り入れられて、子宮内で発育するのである。つまり生命は男によって伝えられるのである。だから子は、先ず第一に父の霊の遺伝を持っている。遺伝というよりも父其のものである」と徹底した男系主義をとっている(なお、曽和は女性が参政権を持つことや、外で働くこと自体を否定している)。

 それらを踏まえて、曽和は「まず祖先を祭るのが肝要である」と祖先祭祀を「大日本神道」の中核にすえることを言うのである。云うまでも無く曽和の祖先祭祀は単なる迷信的習俗ではなく、「みたまのふゆ」を先祖から受け継ぎ、己が「神性」を覚醒させるための重要な手続きとして存在している。

 本文中では、曽和は各神社の由緒書をきちんと精査し、祭神や由来を明らかにすべきであると繰り返し述べているが、これもこの「祖先祭祀」の理念にのっとったものである。神を祭るにしてもその起源(人間で言えば先祖)が明らかでなければいくら祭祀をしても無駄であるからである。

 

曽和の古事記読解

 曽和は古事記の読解でも独自の見解を発表している。顕著なのはアマテラスとスサノオ姉弟神ではなく、夫婦として解すべきであるとしている点である。有名なアマテラスとスサノオの誓約(うけひ)を夫婦のまぐわりであるとし、そこから生まれた宗像三女神と五柱の男神を子どもであるとする。ここから神武天皇につながる皇統が始まっていくので、この論に従えばスサノオは皇室の父系の始祖であるということになる。そして曽和は伊勢神宮にアマテラスだけでなく、スサノオを共に祭るべきであると何度も強く主張するのである。

 なぜ曽和はこのような主張をするのか。云うまでも無く、皇統はその始祖も「男」であらないと「みたまのふゆ」が伝承されていることにならないからである。ここでも曽和の理論は一貫している。

 さらに曽和は、天地開闢の際、最初に表れた神である天之御中主神にも独自の解釈をする。曽和は天之御中主神を「宇宙間の万物一切のものに発展発育する根本の神」であるとし、その存在を粒子にたとえる。宇宙最初の存在であり、あらゆるエネルギー・法則・素質を生み出す根源である。そしてそれは万物を統一する存在であり、法則も永遠である。一切万物が天之御中主神による創造であり、この世界のあらゆる存在に神がましましている。そしてその天之御中主神の生命の一部を賜る。これが「みたまのふゆ」であるとするのである。曽和は「此の生命は天之御中主神の生命であり、また、個々の系統の生命である。此の系統が貴重なのである」と結んでいる。

 曽和にとっての祖先崇拝はこの天之御中主神の生命の一部、つまり「みたまのふゆ」を先祖から受け継ぎ、育て、後の世代に引き継ぐための手段なのである。そしてこれこそが、「大日本神道」の根本思想なのである。

 

むすび

 曽和の唱える「大日本神道」とは全体神たる天之御中主神の生命を祖先から受け継いでいることをしっかり確認し、自身の神性を高め、それをさらに次世代に伝え、種としての系統をさらに進化させていくということであった。曽和の理論は現代から見るとそのまま世界に出すことははばかられるものが多い。特に頑固なまでの男系主義は到底世間からは受け入れられないものであろう。

 しかし、現在世界中で精子バンクが急速に広まりつつある。精子バンクを求める動機は様々だろうが、能力や容姿を求めて、「優秀な」精子を購入する女性が相当数いることは想像できる。そしてそれがこれから先、ビジネスとしてさらに広まっていくことも容易に想像される。曽和の男系主義と精子バンクの隆盛は奇妙な符号を感じさせる。さらに私はまったくの専門外だが、遺伝子工学の分野で新たな優性思想が「学問的に」立証されつつあるという話も聞く。これらの流れは純粋にビジネスの論理、もしくは学問上の問題であり、従来の倫理や宗教では歯止めを利かせる事は難しいであろう。

 対して、曽和の神道論は、一見、優性思想であるかのように見えるが、そうではない。曽和はあくまで個々人が神になることのみを判断基準にしている。そこでは一般社会の能力や美醜などは問題にならない。そんなものは「絶対神」の前では瑣末な違いである。

 神道をいかにして鍛え直すか、あるいは再生するか。これは過去幾人も挑んできた重大問題である。これからの神道はどうあるべきか。より一層の科学技術の進展とグローバリズムの際限なき拡大にいかに神道は応対しえるのか。この命題を考える際のヒントとして曽和の「大日本神道」は無視しえない価値をもっているのではないか。

参考文献

曽和義弌『日本神道の革命』 大日本新思想学会 昭和三十六年六月