【書評】西田彰一『躍動する「国体」 筧克彦の思想と活動』(ミネルヴァ書房、令和2年)

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 本書は、東京帝国大学で教鞭をとる法学者でありながら、古神道に傾倒し、独自の国体論を説くに至った、極めて特異な思想家である筧克彦〔明治5年(1872)~昭和36年(1961)〕の全体像の解明を企図した書である。

 これまで、筧に対しては、その学問の展開や、講義における振る舞いなどから、奇矯な人物であるという評価が一般的であり、「札付きの神がかりの学者」(中島健蔵)として見なされてきた。

 近年では、こうした従来の解釈に囚われない、竹田稔和(日本思想史)、石川健治憲法学)、中道豪一(神道学)らによる研究が出現しているが、これらも筧の全体像を解明するには至っていない。

 こうした議論動向を受け、本書は筧の思想形成過程や、国体論をはじめとした同時代の思想における位置、あるいは貞明皇后への御進講を通した政治的影響まで射程に収め、筧の法学と神道の二分野を越境した思惟の全体像を把握することを企図している。

 本書は、まず第一章・第二章で、筧の思想の内在的発展を描出する。筧は、留学先のドイツで、宗教が人々の統合に大きく貢献していることを発見し、日本への導入を企図するようになる。そこで、筧は当初は仏教に着目したが、やがて神道へと関心が移り、独自の「古神道」論を説くに至る。

 第三章・第四章では、筧が自身の思想を、どのように国民教化に生かそうとしたかが述べられる。筧は、貞明皇后への御進講によって一定程度の政治的影響を与えられるようになり、また内務省神社制度調査会委員として、宗教行政にもコミットするようになった。これらの活動を通し、筧は自身の思想を普及させ、国民教化に寄与しようとしたと論じられる。

 第五章・第六章・第七章では、筧の活動が、いかなる影響を日本社会に与えられたのかが議論の対象となる。筧は、「皇国運動(やまとばたらき)」という、ナショナリスティックな含意をもつ、独自の体操を提唱したが、これは少年団(現ボーイスカウト)理事長だった二荒芳徳や満蒙開拓青少年義勇軍指導者だった加藤完治によって実践され、一定程度膾炙した。

 また、満州国皇帝だった溥儀に御進講し、建国大学創設委員を務めるなど、植民地行政にも影響力を行使するようになった。こうした社会運動や植民地行政への関与をもとに、筧が同時代の社会に対して与えた影響が明らかにされる。

 こうして、筧の思想の全体像が浮き彫りとなる。それは、国体論に宗教を導入することで、国民の国体への信念を強固なものとし、明治期のような上からの強制によるものではない、国民が積極的に参加するかたちでの国体を構想する、というものだった。

 ここから、筧は国民教化を強く意識するようになり、貞明皇后への御進講、宗教行政へのコミット、皇国運動の提唱、植民地行政への関与といった諸活動に取り組んでいくこととなった。

 このように、本書は従来の筧研究において希薄だった、筧の全体像を描出するということに成功しているように見える。

 近年では、昆野信幸や植村和秀らによって、近代日本における国体論の展開に対する研究が盛り上がりつつあるが、本書はこうした動向に大きく寄与するものだろう。筧の国体論の全体像が明らかになることによって、同時代の国体論の展開の重要な一角が明らかになると思われる。