新たな御代を仰いで――「令和」時代への展望

 御代替わりと改元が行われ、われわれは新時代「令和」を迎えました。われわれは、この新時代「令和」に、いかなる展望を描けばよいのでしょうか。新たな御代を仰ぎ、いかに国民的自覚を涵養し、来るべき国家社会を建設していけばよいか、会として下記の声明を採択し、指針を示すこととしました。

 

新たな御代を仰いで――「令和」時代への展望

 新たな御代「令和」を迎えるにあたって、まず第一に、上皇陛下・上皇后陛下が歩まれた三十年以上にわたる困難なお足取りとご姿勢を衷心から敬慕し、こうした上皇陛下・上皇后陛下の在られ方を、われわれ日本人の生活上・道徳上の模範として仰ぎ奉りたい。これを踏まえ、今上天皇皇后陛下を仰ぎつつ、「令和」という新時代を建設していかなければならない。

 顧みるに、「平成」は、災禍や不幸が重なった時代であった。上皇陛下の「おことば」にもあったように災害が頻発したことに加え、かつてない経済恐慌と地球規模のグローバリズムの拡大、そして何より我々が依って立つ「日本」という存在そのものが危うくなりつつある、そうした時代であった。然るに、畏れ多くも、これから迎える「令和」の御代が、後世において闇黒の時代のはじまりであったと評されるのか、また希望と復活の時代であったと記されるのか、定かでない。不遜ながら、それはわれわれ日本人の行動にかかっていると言えよう。

 思うに、個人としてのわれわれは実に卑小な存在である。「主体的に」風土や環境から切り離された自己を生き、世界を創りかえるなどという考えは増上慢ともいうべき思想であり、まさしく「さかしら」であると考える。我々が生きる俗世は常にカミのまにまに、風のまにまに存在するものであり、ときにその狭間で苦しみ、或いはのた打ち回り、生きることだけが人間に許されている唯一の道である。

 だとしても、それはただ世界に対して受け身であれ、ということではない。自らの存在の矮小さを認めながらも、常に世界に対して闘いを挑んでいくことこそが、我々が目指すべき途であり、常に古くて新しい「日本」を産み育てていくことにほかならない。日本神話では、万物を生成する大いなる力の働きを「産霊(ムスビ)」と言い表す。我々は「日本」という糸をつなぎ、織り、時には切り離し、そして「むすんで」いく。それは根底に柔らかかつ強靭な思想が常に躍動しており、頑迷固陋なイデオロギーとは無縁である。

 言い換えるならば、われわれは「日本」という糸を織る機織工であり、道無き荒野を行き、道を踏み固める先覚者であり、カミを畏れ、かつ護り、また育てる祭人(まつりびと)であらねばならない。そして何よりこの日本の上で産まれ、生き、死んでいった数多の先人の御霊を鎮め、祀り、その意思を引き継いでいかねばならない。

 われわれ日本人は、両陛下を仰ぎつつ、歴史を踏まえながら、あるべき未来を紡いでいかなえければならない。それが行われるのは、まさしく「今この瞬間」である。膨大な「今」を積み重ねていくこと、これこそ、我々がカミの道を生きるただ一つのあり方ではないだろうか。そしてこれこそが「中今」ということの本質ではないかと愚考する。

 当会は、かかる理念の下、その活動を通して、来るべき令和時代の新たな日本建設へと貢献せんと企図する。われわれは、カミの道における「中今」思想を上記の如く理解し、かつ実践するものである。

 

天皇皇后両陛下万歳

 

いざ子ども狂業なせそ天地の

     堅めし国ぞ大和島根は  藤原仲麻呂  万葉集

 

令和元年五月一日 民族文化研究会

 

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元号「令和」を公表する菅官房長官