【関西】定例研究会報告 近世期における神道神学の展開――中野裕三『国学者の神信仰』を読む(第4回)

 令和2年7月18日に開催された民族文化研究会関西地区第26回定例研究会における報告「近世期における神道神学の展開――中野裕三『国学者の神信仰』を読む(第4回)」の要旨を掲載します。

第三編 鈴木重胤の神信仰

第一章 鈴木重胤と神祇祭祀――神学確立過程に関する一考察

◎現代における重胤研究の問題点

 鈴木重胤は、宣長・篤胤に匹敵するほどの影響力を後世の国学者に与えた。しかし、中野裕三によると、重胤の神道神学は、大きな注目を受けたにも拘わらず、その学問の全体像の把握や、具体的な内容分析について、十分な議論がなされてこなかったとされる。

 中野は、主だった重胤研究の潮流を、重胤のライフヒストリーを本格的に検討した谷省吾の重胤研究、重胤の延喜祝詞式研究をもとに祭祀研究の方面で展開した真弓常忠の重胤研究、折口信夫への影響も含んだ重胤の大嘗祭理解に焦点を合わせた前田勉の重胤研究に分類しつつ、これらは上記の問題に陥っていることが指摘される。

 中野は、重胤神学の特色がもっとも表れている祭祀論に論点を絞り、また師である篤胤から受けた影響を中心に、重胤神学の形成過程を跡付けることで、従来は明らかにされてこなかった重胤神学の思想的内容や、その現代神学にとっての意義に迫る。

◎重胤における「神廷朝廷一体の論」――神宮祭祀と宮中祭祀の一体性

 まず検討されるのが、重胤神学における中心的な主張である「神廷朝廷一体の論」である。「神廷朝廷一体の論」とは、伊勢神宮の神田にできた初穂を天照大御神に奉る神嘗祭と、宮中において天皇が皇祖神と共に初穂を食する新嘗祭を、連動した祭祀だと主張することによって、神宮祭祀と宮中祭祀の一体性を指摘する議論である。

 中野によれば、これは皇祖神・天皇・人民の三者の緊密な関係を、祭祀を通して具現化しようとする主張だとされる。新嘗祭において、収穫は神に奉られる。そして、そうして聖別された収穫を、天皇と皇祖神は聞し召す。また、かかる収穫は、節会を通して人民に授けられる。ここで、皇祖神・天皇・人民の関係は、二つの祭祀を通し、具現化されることになる。

 また、こうした神嘗祭新嘗祭の一体性の主張は、神話伝承にその正当性を求められる。重胤は、伊勢神宮と朝廷の祭祀は、共に同じ起原に由来すると主張する。双方ともに、崇神天皇の御代までは一体的であり、天照大御神らが新嘗を聞し召していたという、神代の故実まで遡行する。

◎祭祀重視の神道神学――平田篤胤からの影響関係

 中野は、こうした「神廷朝廷一体の論」から、重胤神学の主要な特徴を、「神話伝承のみならず神祇祭祀の重要性を認識し、双方に対して、対等の価値を見出した」ことに発見する。すでに見たように、「神廷朝廷一体の論」は、祭祀を皇祖神・天皇・人民を緊密に結び付け、神話伝承における神学的理念を実践する行為だと看做すことから、極めて神祇祭祀を重視していると分かる。

 それでは、こうした神祇祭祀を重視する重胤神学は、どの国学者からの影響のもとで確立されたのだろうか。中野は、重胤の師である平田篤胤が、重胤に対する決定的影響を与えた存在だとする。中野は、重胤と篤胤の共通点を、祝詞の重視・「古語拾遺」への着目・「祭礼の儀式」の重要性喚起の三点にまとめている。

 まず、祝詞の重視だが、賀茂真淵本居宣長は、「延喜祝詞式」を、上代における創作だと看做した。だが、対照的に、篤胤と重胤は「延喜祝詞式」を極めて重視している。そして、「古語拾遺」への着目だが、権力闘争の結果である政治的書物と評価される傾向もある「古語拾遺」について、篤胤と重胤は、双方ともに祭祀研究にあたっての重要文献だとしている。そして、二人とも、「祭礼の儀式」の重要性を喚起する方向性の議論を行っている。

◎重胤の大嘗祭観――大嘗祭天皇神格化のための祭祀なのか

 このように、重胤は篤胤の圧倒的影響下において神学を展開したが、やがて重胤独自の論点が出現するようになった。大嘗祭論が、こうした重胤における独自の見解である。では、現在の重胤研究において、こうした大嘗祭論は、どのように論じられているのか。

 前田勉や宮地正人は、こうした重胤の大嘗祭観に着目しているが、そこでは重胤の大嘗祭理解において、天皇大嘗祭を契機として神格化されるという議論が登場したと主張される。前田はとりわけ、大嘗祭を通し、天皇が「現御神」になるとの議論は、重胤の『中臣寿詞講義』において初めて成立したと主張している。

 だが、中野は、こうした重胤の大嘗祭論に対する見方を否定する。中野によれば、重胤の大嘗祭解釈は、あくまで「神話伝承に示された高天原に於いて新嘗聞食されたという天照大御神の御業を皇孫である天皇が現実世界に履行すること」すなわち「『斎庭之穂の神勅』に淵源する『天津御膳』を相嘗の神々と共に天皇が聞食すこと」にあるとする。あくまで、重胤において、大嘗祭の含意は、収穫を神に奉り、共に食すことなのであり、前田・宮地における天皇神格化の手段とする見方は誤謬だとされる。

第二章 「祝詞講義」と明治期の祝詞研究

◎明治期における『祝詞講義』の出版

 明治四十三年に、國學院大學出版部から、鈴木重胤『祝詞講義』が出版された。この『祝詞講義』は、祝詞の解説書・注釈書としての観点から、それ以前の祝詞注釈書(真淵『祝詞考』、宣長大祓詞後釈』)に比較して、卓越したものと見做され、大きな期待を寄せられていた。

 ここでは、こうした『祝詞講義』が、明治期の祝詞研究に如何なる影響を与えたのか、すなわち重胤の祭祀学説が、当時の祝詞研究にどれだけ継承されたのか、当時の祝詞注釈書の分析を通し、明らかにされる。

◎明治期の延喜式祝詞研究と鈴木重胤

 中野は、こうして当時の祝詞注釈書を分析する。中野によれば、こうした祝詞注釈書では、共通して古典的な注釈書(真淵『祝詞考』や宣長『後釈』)が基本的資料として参照されており、重胤から大きな影響を受けた注釈書も存在した。たとえば、久保季茲著『祝詞略解』は、『祝詞講義』からの引用にほとんど依拠しており、また阪正裕著・角田忠行校閲祝詞正訓講義録』は、随所に重胤の学説を引用し、前述の「神廷朝廷一体の論」に依拠している。

 

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鈴木重胤