【静岡】定例研究会報告 美濃部達吉『憲法撮要』を読む(2)主権

 美濃部達吉憲法撮要』読書ノート(輿石逸貴〔当会会長、弁護士〕執筆)を掲載します。読書会参加者は参考にして下さい。

 今回は、第2回の読書会で範囲となった箇所(15~32頁)を解説します。

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国家法人説に対する批判→
①君主国において、君主が統治権の主体であることは明らか
②国家に意思があるというのは擬制である
③国家は対外的には単一体だが、内部には治者と被治者の対立があり、単一体ではない
美濃部の回答→
①←君主は自分の個人的権利として統治権保有しているわけではなく、国家のために保有しているのだから、統治権自体は君主ではなく国家にあると考えるべき
②←外部の事実にとらわれ、社会心理による認識を考慮していない
③←対外的にも対内的にも国家は性質を異にするものではなく、単一体であることに疑いはない

上杉慎吉ら正統学派は、美濃部に上記の批判をするわけですが、①について、美濃部の反論はもっともと言え、また、②について、団体(法人)にも意思があるというのは、今日の法学ではもはや常識となっており、有効な反論とはならないでしょう。

一方、③について、国家を天皇と国民を包括した一つの法人ととらえる美濃部からすれば当然の帰結となるのでしょうが、憲法の目的が、国民の権利を権力から保護することにあることからすれば、美濃部説は国家権力と国民との対立関係を希薄化させるものということができます。

したがって、現代ではむしろ上杉慎吉の主張したように、統治権の主体である国家と被治者としての国民を分離して考えるのが当然の前提となっており、筆者もこの点は美濃部説への批判の方が妥当であると考えています。

主権の意味→①国家が最高独立であること、②国家の意思力そのもの、③統治権すなわち国家権力そのもの、④国家の最高機関意思の所在の4つ。
すなわち、主権とは、対外的にも対内的にも国家が最高独立の存在であって、単一不可分の意思を持ち、人民及び領土に統治権力を及ぼし、最高機関意思が天皇にあることを意味する。

⇒現代の憲法学の通説においても、①、③及び④の3つが主権の意味として説明されます。

主権が以上の意味を持つとすれば、日本は終戦直後、最高独立性が日本国家ではなくGHQにあり、単一不可分のGHQの意思が最高決定権力であったのだから、主権は日本になく、日本国憲法は主権(=意思)を欠いて制定されたものであるから、明らかに無効ということになります。

帝国議会で可決された、昭和天皇憲法改正を認めていた、国民も消極的ながら同意していたといった有効論については、主権が存在しない中、主権意思を欠いている個人あるいは機関の行動である以上、憲法を有効する根拠に全くならないものと考えます

美濃部達吉憲法撮要 改訂第5版』(呉PASS出版)15-32頁

 

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美濃部達吉