【関西】定例研究会報告 日本の相互扶助システムーー無尽講あるいは頼母子(たのもし)講

 令和2年3月21日に開催された民族文化研究会関西地区第23回定例研究会における望月 浚渫氏の報告「日本の相互扶助システムーー無尽講あるいは頼母子(たのもし)講」の要旨を掲載します。

(一)はじめに

 無尽講とは、原始的な相互扶助の一つである。内容は後述するが、建治元年に記述として初めて現れて以来、現代に至るまで無尽講は続いてきた。また、無尽講が与えた影響も今日見ることができる。

 例えば、近代になって無尽講が営利化・会社化した「無尽会社」は、現在の国内外のいくつかの金融機関の前身となったり(例:関西みらい銀行、台湾中小企業銀行)、「無尽会社」を冠する会社は現在でも存在する(日本住宅無尽株式会社)。

 また、実業家の家入一真氏は無尽講から着想を得て、共同財布アプリ「gojo」を開発した。

 このように、無尽講を元にしたシステムなど例を挙げると切がない。

 本稿では、現在さまざまな場所で息づく「無尽講」とは何か、どのように運用されているのか、そこに潜む思想とは何なのか、ということを主に記述し、無尽講を実践もできるように(三)において、無尽講のマニュアル的なものも作成した。

 将来、本稿を読んだ者が、社会包摂の手段として、あるいはコミュニティ内の脱落者を減らす手段として、あるいは共同体の生存手段として、無尽講が用いられれば筆者としては望外の喜びである。

 故に、本稿では(二)で無尽講の概要を、(三)で無尽講の運用方法をマニュアル的な形で、(四)では無尽講が持つ思想を、(五)では、無尽講が与える視座を記述した。

 もし、無尽講を開設しようと考える者は、(三)だけを読めば開設できるようにしている。

 

(二)無尽講(頼母子講)の概要

 無尽講(もしくは頼母子講。以下「無尽講」とだけ記載する)は、金銭や物品を加入者の間で支出し、加入者の中の一人に集めた金銭などを分配するシステムである。ただし、地域によっては無尽講が変質している場合があり、必ずしもここに記述したように運営されていない場合もある(拙稿「近世・近代日本の相互扶助システムー定礼と国民健康保険」の『定礼』は無尽講が変質したものであると言える)。

 無尽講は、かつて日本全国に存在した。現在、無尽講が残っているかはわからないが、二〇一二年にNHKによって岐阜県の無尽講が紹介されるなど近年その姿が確認されており、現在でも残っていると考える方が自然である。

 名称としては、必ずしも「無尽講」という名を冠している訳ではない。例えば沖縄県などでは、「模合(ムエーとも呼ばれている)」と一般に呼称されており、また個々の「無尽講」はその加入者達によって名称が作られている場合もある。

 一般的な呼称は、「無尽講」、「頼母子講」、「模合」であるが、単に「講」と呼ばれることもある。

 歴史的には、建治元年の十二月「猿川真国神野三箇庄庄官請文」の十条に『憑支』という文言が登場して以降、「憑子」「憑支」「頼子」「頼支」「憑敷」という文字があったが、やがて「頼母子」という言葉に統一して使われるようになった。

 また、「無尽」という言葉は仏教の用語ではあるが、かつて質屋から借りる金銭を「無尽銭」と称していたのが、室町の頃に「頼母子講」を表すようになり、近代以降「無尽」と「頼母子」は同一の概念を指すようになったと言われている。

 無尽講がいつ発祥したか定かでない。一説では、中国の唐朝時代に「合会」という無尽が行われており、唐朝時代に日本に渡ってきたのではないか、とされているが明らかではない。

 筆者は、自然的(人為的)に日本で発生したものと考えている。

 

(三)無尽講の運用方法

    無尽講の種類は多岐に渡るため全ての運用方法を記述することは困難である。

 故に、本稿では一般的な、金銭を支出し、金銭を取得する無尽講を記載する。無論、この運用方法を元に加入者間で好きに変化させることは可能である。

 まず、無尽講の組織で使われる用語を説明する。

 

 親・・・無尽講による金銭融通などを必要とする者。救済を受ける者。必ずしも無尽講に存在している訳ではない。親以外の名称としては、親元、講元ととも言う。

 

 講員・・・無尽講の参加者。金銭を支出する者。講中とも言う。

 

 会日・・・無尽講が開かれる日のこと。会日は固定されているのが普通。会が開かれる日も講員内で決めることは可。

 

 掛金・・・無尽講で払い込む金銭のこと。掛銭とも言う。

 

 取金・・・掛金によって集められた金銭。講員たちはこの金銭を無尽講内で決められたルールに従い、分配する。

 

 満会・・・講員全員に取金が一度行き渡ること。講員全員に一度金銭が行き渡ると、その無尽講は「満会」といい、無尽講は終了する。

 

 担保・・・無尽講を満会まで継続させるために、取金を受けた者が掛金を払い込まなくなることを防止するため保証人などを立てること。ただし、当事者間で相応の信用があれば、立てなくてもよい。

 

 講則・・・話し合いで決められた無尽講の規則を記したもの。

   

  ・ 無尽講の開設の手順(親がいない場合)

 

 一・・・講員を何人か確定させる。

 

 二・・・講員間で、いくら掛けれるのか、あるいは、取金はいくらがいいのかを、相談。

 

 三・・・講員たちは、取金や掛金を元に会日を何回にするか決定。

 

 四・・・取金の取得方法(後述)を決定(親がいる場合は、一回目の会でに親に渡すことになるので、二回目以降の会における取得方法を決める)

 

 五・・・各規則が決まれば、無尽講を開始する。

 

 六・・・定められた会日に集まり、金銭を支出し、取金の取得方法によって取金を分配する。

 

 七・・・六を満会まで行う。(一度取金を受け取った者は、その無尽講では取金を受けることはできない)

 

 ・ 取金の取得方法

 取金の取得方法には、主に、「順番法」、「籤取法(くじとりほう)」、「掫取法(せりどりほう)」がある。以下述べる。

 

 ・順番法

 予め、取金を受け取る人を順番に決めておく方法

 

 ・籤取(くじとり)法

 取金を受け取る人を、抽選によって決める方法。

 講員人数分の数字を書いた紙を講員が引き、そこに書かれた番号によって取金を取得する順番を決めるなど、抽選方法は講内で決めることは可能。

 

 ・掫取(せりどり)法

  取金を「せり」にかけて、一番高い金額を提示した者が取金の落札者として取金を取得する方法。

 例えば、一万円を取金として「せり」にかける。講員たちは、それぞれ落札金額を提示する。

 そして、千円で落札されたとすると、落札者は千円を払いこみ、一万円を取得する。払い込まれた千円は取金を受け取らなかった講員たちで公平に分配するなど、無尽講によって分配方法は異なる。

 

 これらが主だったものであるが、無尽講によっては取金の取得方法を混ぜ合わせた方法も存在しているため、取得方法は自由に設定してもよい。

 以上が、無尽講の開設・運用方法である。細かな内容については、自由に講員間で決めることができる。

 

(四)思想としての無尽講

 南弘道の『無盡金融の社會的基礎』の中で菊池休松が書いた序文内に、『我が大和民族天照大神を偉大なる平和の神と表徴して居るが如く、相互扶助、共存共榮によって、民族獨自の生命として居るのである。此の精神が民衆の上に表現されたもの所謂物質生活たる自然科學と文化科學の調和統一されたものが、今日の無盡と稱さられたる庶民金融機關であって、この日本の民族精神があらん限り存續すべきものである』*1という記述がある。

 序文の記述はやや大袈裟に書かれた(無尽講が、日本独自のものではないことは前述したように、すでに中国において成立していたため)のであろうと推察するが、無尽講を民族精神の『実践』として現れてきた点は否定しない。

 また、テツオ・ナジタ氏はその著書の中で、社会発展のあり方を、多様な人間社会を普遍的な価値尺度で序列化するコスモポリタニズムと、社会の文化的独自性を非歴史的、物象化する自国主義(nativism)といった二項対立の枠組みではなく、庶民の中で培われた哲学や倫理観が実践に結びついた「講」を使って説明した。

 筆者は、この「無尽講」の概念が見せる様々な影響を捉え、ある思想や倫理などを依り代にしながら、無尽講の実践をもって、社会包摂や社会承認を行い、貧困解消も達成しようとする思想を『無尽主義(あるいは、頼母子主義)』と名付けたいと思う。

 無尽主義は、実践であり、相互扶助であり、社会包摂の側面を持ち、地域主義的であり、国境も越えることができる(戦前、日本人がブラジルに移民した際に無尽講を持ち込み、そのまま日系人コミュニティを形成したため)。

 社会の発展の方法の一つとして、無尽講を隆盛させることに求めることもできよう。

 また筆者は、もし将来AIが人格を持つことがあっても無尽講の下では、包摂することができると考えている。何故なら、無尽講は意志のみによって成立し、電子空間にも存在しうるからである。

 また、無尽主義が目指すべき社会は、ありとあらゆるものが無尽講に包摂され、貧困や飢餓を防ぎ、相互扶助、共存共栄の下で自己の求める空間を保持あるいは創造していく社会である。筆者は、これを『大無尽社会』という。

 

(五)無尽講が与える視座

 筆者は、無尽講は様々な視座を与えると思われる。

 一つは、近世期における平均寿命である。村落内で形成された無尽講は、当然のことながら村民で運営される。また、無尽講は年単位で行われることも多く、このことから少なくとも「村民がある期間内は生存している」という認識に立たなければ無尽講を作ることはできない。

 故に、例えば無尽講の年数が三十年だとすると、少なくともその村落共同体内では三十年以上は生きるという認識があった、ということを意味すると思うのである。

 二つ目は、農村の見方である。無尽講を通してみる農村は、村落共同体を維持するために無尽講を利用して「商品」を作り出し、売買し、村の収益にしていたり(縄索無尽講・・・村民達が、それぞれ縄をない、その縄を掛金として支出、それを販売して得た金を貧窮者救済の資金や、離村防止のためや、農具や肥料購入に充てられる)と、農業のみに従事している姿はあまり見えてこない。

 三つ目が、貧窮者の救済に関してである。無尽講は、もっとも「簡易」で「簡素」な相互扶助システムではあるが、必ずしも貧窮者全員を救済できたわけではない。村落共同体において、貧窮者救済のための無尽講は「頼まれ無尽」と言われ、村の有力者に依頼をし、無尽講の中に貧窮者を参加させて貧窮者に対して金銭あるいは物品給付を行い、救済する手段である。しかし、それは裏を返せば貧窮者とその周辺の人物が村の有力者とコネクションがなければ開設されなかったことでもあり、故に、コミュニティや人との関わりが極端に細い者を救済することが困難である。また、最貧者も救済することは困難である(親がいる無尽講においては、無尽講が始まって二回目以降に、親はその給付金額を分割して無尽講に払うか、支払い免除を受けて無尽講内の事務を担当するかのどちらかであり、最貧者においてはその支出する金銭などもないことが考えられ無尽講に参加することが難しい為である)。

 四つ目が、信用と契約の概念である。無尽講は、加入者の間に権利義務関係を生じさせる一種の「契約」であるともいえる。それ故に、加入者間でのある程度の「信用」が必要になってくる。このことは、近代以前の日本における「契約」や「信用」の概念を調査する際に無尽講はその材料になるのではないだろうか。

 最後が、「保守」に関してである。これは、「無尽講は、保守すべきものとしてどのように扱うべきなのか」という問題意識に立っている。

 なぜなら、無尽講は、定期的に「満会」という形で解散するからである。形がある訳でもない。人を変え、場所を変え、国を変え、現代まで続いてきた。その上、現在見ることができる無尽講もはるか昔に作られた訳でもない。また、無尽講から派生したものも多く存在している。

 この問いに筆者は、「ミーム」、「わざ」、「趣き」という言葉を使って答える。

 それは、結論から言えば、ミームによって伝えられた『無尽講』の情報を、地域や民族固有の「わざ」によって作り上げ、無尽講内に「趣き」が出てくる。この「趣き」こそ『保守すべきもの』と捉える。

 「無尽講」は、その簡便な仕組みであるが故にどこでも作ることができる。ただ単に作ればそれはただの「複製」でしかない。

 ここで筆者は「わざ」という概念を用いる。ここで言う「わざ」とは、無尽講を作る過程での講員間の折衝の過程を指す。無尽講に参加する人々はそれぞれが抱える金銭事情や、家の事情があるかと思う、そしてそれぞれが無尽講を作る際に事情を相談し、講員全員が納得する形の無尽講を作り上げていく。

 次に、「趣き」である。「わざ」によって作り上げられたとしても、無尽講を行う下地を作り上げたに過ぎない。下地の上でそれを実践し生活の中に溶け込ませていく。そして、「わざ」まではある程度似通ったものがあるだろうが、「趣き」はそれぞれで唯一つしかない。「趣き」は、無尽講のシステム(ミーム)と、講中の個々の事情(わざ)と、講員間の交流の一体によって生み出されるのである。

 この為に、無尽講は各地や時代ごとに独特の変質を遂げることもできたのではないだろうか、と思う。無尽講を作り上げた人々は、各地でその「趣き」を匂い立たせたのである。

 

(六)結びに

 以上が、無尽講概要と運営方法である。思想としての無尽講や、無尽講の与える視座はかなり踏み込んで記述した。

 筆者が、無尽講に魅かれた理由として、無尽講は親元と講元相互に利益をもたらすことで、無尽構内における親元と講元との不満を生まないようにかなり配慮がなされている点にある。

 即ち、親元に対しては初回に金銭を渡すことで無尽講は救済の場になり、二回目以降の無尽講は講元たちの金銭融通や娯楽の場となる。これを池田竜蔵氏は、これを「誇張的ならぬ慈善」*2と称した。

 現代社会において、おおよそボランティアと称する慈善行為は、主催者の『費用の節約』を行いたいなどという経済事情の下無償の労働を調達する手段の一つとして使われ、ボランティア従事者はボランティアに参加することで所属機関への忠誠心を示す手段あるいは自身の優位性の証明または経歴の箔付けの手段として使われているように思えてならない。

 また、無尽講は中流社会が崩壊したと言われて久しい現代日本において人々の生活の救済手段の一つとして有用に機能しうると筆者は考える。

 何故なら、無尽講に関わっていた者は無尽の金融システムが「中流以下から下層」の人々の小口金融として存在していたことを認識していたからである。それ故に、彼らが目指したのは、いかに下層社会の人々の所得を底上げし生活を安定させることにあった。

 無尽講は、遥か昔からそこに生きる人々によって、時代の変化に応じて無尽講を作り、実践してきたからこそ今もなおその有用性を失っていないと思うのである。

 『名も無き人々』の「語られることのない知恵と努力」は無尽講を通して今に伝えられた。

参考文献

池田竜蔵『稿本無尽の実際と学説』 全国無尽集会所 昭和五年

南弘道『無盡金融の社會的基礎』 先進社 昭和六年

森嘉兵衛『森 嘉兵衛著作集 第二集 無尽金融史論』 法政大学出版局 一九八二年

テツオ・ナジタ著、平野克弥編訳、三橋修、笠井昭文、沢田博 訳『Doing思想史』 みすず書房 二〇〇八年

テツオ・ナジタ著、五十嵐暁郎監訳、福井昌子訳『相互扶助の経済ー無尽講・報徳の民衆思想史』 みすず書房 二〇一五年

大蔵大臣官房銀行課 編『無盡ニ關スル調査』 大蔵大臣官房銀行課 大正四年

農林省経済更生部 編『農村金融資料.第四号.頼母子講規約例』 農林省経済更生部 昭和十一年

 

参考サイト

NHK ”頼母子 動画で見るニッポンみちしる 新日本風土記アーカイブス”
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990292_00000

 

f:id:ysumadera:20200411233208j:plain

無尽講について論じたテツオ・ナジタ『相互扶助の経済』

 

*1:南 弘道、『無盡金融の社会的基礎』、(先進社、昭和六年)、序一頁

*2:池田 竜蔵『稿本無尽の実際と学説』、(全国無尽集会所、昭和五年)、二一一頁