民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

書評2 川久保剛・星山京子・石川公彌子『方法としての国学』(北樹出版、2016年)

 本書は、いかにグローバル化の潮流と対峙し、ナショナリティを再確認するか、という伝統的な、しかし喫緊の課題を解決する糸口を、国学の系譜に求めた気鋭の日本思想史研究者たちの論考集である。こう説明すると、国学のイメージから想起される、きわめて常識的な問題設定をもとにしていると思われるかもしれない。だが、この論考集を、きわめて特異な作品に仕上げているのは、扱っている「国学の系譜」の型破りさ、である。

 第一部「江戸のグローバル化国学」において平田篤胤を扱っているのは妥当に思われるが、主題となっているのは篤胤の対ロシア認識や自然科学との関連である。文献研究を基調とした日本学という「国学」のイメージを、国籍と学問領域の双方から越境しているのだ。そして、第二部「近代国学の諸相」では、柳田國男保田與重郎折口信夫が検討対象となる。また、第三部「戦後『国学』精神の一系譜」では、今西錦司梅棹忠夫梅原猛たち新京都学派と、小林秀雄福田恆存江藤淳たち保守思想家が俎上に載せられる。近世期に展開された「国学」のイメージを、時間軸から越境しているのだ。すなわち、帯における苅部直の推薦の辞が記しているように、本書は「『江戸時代』にも『19世紀』にも、それどころか『日本』にも封じ込めることのできない、国学思想の意味と広がりを明らかにしている」わけである。

 こうした国学の多面性への着眼において、本書は類書とは異なった型破りな作品に仕上がっている。ここから、その国学の多面性を、本書の構成にしたがって見ていく。まず、第一部「江戸のグローバル化国学」では、平田篤胤の対ロシア認識を取り上げて、国学がもつグローバル性が提示される。ラクスマンやレザノフの日本来訪と開国要求によって、当時の日本ではロシア脅威論が高まりつつあった。平田のロシア研究は、こうしたロシア脅威論を受けたものだったが、そのロシア認識はきわめて学問的で客観的だった。こうした対ロシア認識の背景には、国学は外国の知見を包含する学でなければならない、という平田の国学観のグローバル性があった。そして、続いて、傑出した望遠鏡の作成に成功し、人類ではじめて太陽黒点の観測を行い、航空機の製作構想を幕府に上申したことでも知られる、近江の科学者の国友藤兵衛と篤胤の交流が取り上げられ、国学がもつ学際性が提示される。篤胤の私塾である気吹舎では、文理の境界を越え、様々な知的関心をもつ人々が集まっていた。篤胤自身も、蘭学の素養があり、自然科学の知識をもっていた。藤兵衛と篤胤の交流の背景には、こうした平田の国学観の学際性があったわけである。

 第二部「近代国学の諸相」では、柳田國男保田與重郎折口信夫を、国学の近代における継承者として解釈する。そして、こうした人々の「近代国学」が同時代の潮流に対して行った異議申し立てが着眼される。こうした視座は、第二部の執筆担当者である石川公彌子の『〈弱さ〉と〈抵抗〉の「近代国学」』(講談社、2009年)と共通しており、非常に興味深い。だが、この視座については、いくつかの疑義を提示することができるだろう。第一に、国学の文献学的方法論を継受した、皇典講究所國學院の文献学者の潮流を無視するのは、適切なのだろうか。石川は、国学の基調をなす「弱い」主体を継承していないため、こうした潮流は「近代的国体論」の所産に過ぎないと主張している。だが、文献学的方法論の継受や学際的日本学の志向といった、国学の重要な構成要素を、皇典講究所國學院の文献学者の潮流はもっている。こうした潮流を一方的に切り捨て、柳田・保田・折口を「近代国学」の系譜に据えるだけの論拠を、石川は提示しているのだろうか。「弱い」主体は、国学の核心であると定義できるのか、はなはだ疑問である。藤田大誠は、『近代国学の研究』(弘文堂、2007年)において、石川が「近代的国体論」と切り捨てた皇典講究所國學院の文献学者の潮流こそ「近代国学」であると定義したが、こちらの見解の方が説得的である。

 第二に、柳田・保田・折口の同時代への「抵抗」の側面を過度に強調するのは、妥当なのだろうか。同時代の国学から影響を受けた思潮を、体制側の「国家神道」と反体制側の柳田・保田・折口に二分し、後者による前者への「抵抗」を描出するのは、たしかに分かりやすい。だが、あまりに図式的であって、場合によっては石川の私的な政治イデオロギーの表出ではないか、という懐疑すら抱かせかねない。柳田・保田・折口の思惟を、「体制側」の言説から区別することで、その「救出」を石川は意図しているのかもしれない。だが、「体制」と「抵抗」という図式そのものが誤りなら、こうした企ては思想史の歪曲以外の何者でもあるまい。第二部は、興味深い視座を提示しつつ、こうした問題を抱えていた。

 第三部「戦後『国学』精神の一系譜」は、今西錦司梅棹忠夫梅原猛たち新京都学派と、小林秀雄福田恆存江藤淳たち保守思想家が、いかに国学の精神を継受したか、を主題としている。ここで課題となるのが、戦後日本への欧米の圧倒的な影響に、いかなる抵抗を展開するか、である。そもそも、江戸期の国学は、同時代の儒仏の圧倒的な影響に、いかなる抵抗を展開するか、を課題としていた。この論考では、こうした江戸期と戦後日本の時代状況の相似を念頭に置き、それぞれの「国学」のあり方を検討している。適者生存を基調とした西欧の進化論に、日本的な棲み分けを基調とした進化論を対置した今西錦司や、西欧崇拝を拒絶して土着的な知を求め、西欧と日本の並行進化という卓越した比較文明論を樹立した梅棹忠夫や、国学から影響を受けつつ、より広い視座から日本人の精神文化の検討を志向した梅原猛は、日本的なるものを基軸として思考を展開する、という共通項がある。西欧崇拝の風潮のさなかで、こうした日本的なるものを基軸とした学問を展開した新京都学派は、戦後「国学」精神の一典型だった。そして、西欧的な合理主義の瑕疵を見抜き、晩年に『本居宣長』を執筆し日本への回帰を企図した小林秀雄や、演劇や批評と並行して、国語問題や安保問題といった現実政治への発言を行った福田恆存や、GHQの検閲政策を糾弾し、戦後日本の言語空間の根源的問題と対峙した江藤淳は、戦後日本への欧米の圧倒的な影響に、いかなる抵抗を展開するか、という課題に応答を試みた、という共通項がある。こうした保守思想家は、新京都学派と並んで、戦後「国学」精神の一典型だった。このように、新京都学派と、保守思想家こそ、戦後日本において「国学」精神を体現したのである。

 このように、本書では「国学」を、その国籍・学問領域・時代を越え、多面的に理解しようと試みているわけである。こうした拡大された視座から「国学」を眺望する試みは、「国学」のもつ意味をさらに深く掘り下げるとともに、日本思想史そのものへの理解をさらに進展させることになるだろう。そして、こうした試みは、いかにグローバル化の潮流と対峙し、ナショナリティを再確認するか、という伝統的な、しかし喫緊の課題に向き合うわれわれに、きわめて有益な知見を提供するだろう。