民族文化研究会

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【関西】定例研究会報告2 神道の現代的再生に向けて――『現代思想増刊 神道を考える』を中心に

 去る平成30年6月3日の民族文化研究会関西地区第2回定例研究会における報告「神道の現代的再生に向けて――『現代思想増刊 神道を考える』を中心に」の要旨を掲載します。

 

はしがき

 

 「神道」とは一体何なのか。この問いに対して、統一した答えは未だに存在しない。日本を戦争に引きずり込んだ悪しき前近代的イデオロギーなのか、はたまた環境保全につながる「エコな」思想であるのか、古代から連綿と続く日本人の土俗的信仰であるのか。百人いれば百通りの神道観が存在しうる。あらゆる宗教、もしくは思想は多様な解釈が存在するものであるが、神道の場合はその解釈の数も幅も膨大である。なぜそうなってしまったのか。

 一つには、神道がそもそも教義経典を持っていなかったことが挙げられる。記紀神話、あるいは風土記のようなテキストは存在するものの、キリスト教における聖書、イスラム教のコーラン、仏教の諸経典の存在とは明らかに異質である。「神道非宗教説」が唱えられる理由の一端がここにあるわけだが、それだけでは神道の抱え込む世界がなぜここまで大きくなったかの説明としては不十分である。

 日本の中世には神話の様々な解釈、読み替えが行われた。また偽書の類も大量に編まれ、荒唐無稽ともいえるような多様な日本神話、あるいは神道の姿が生み出された。これらは学術用語で「中世日本紀」と呼ばれているが、中世では古事記日本書紀は必ずしも絶対的なテキストではなかった。むしろ多様な神道、神話の中の一つであったと表現したほうが適切であったろう。神道はある意味カオスとも言える中世日本紀の世界を経由したからこそ、膨大な解釈が編み出される余地を有しているとも言いえるのである。

 さて、昨今この「中世日本紀」の研究が思想史学、民俗学歴史学等の分野で急速に進んでいる。その背景には、近世を経て近代に至り、国家の統制の下で単一的な読み方に再構成された記紀神話もしくは神道に対するアンチテーゼとして、中世の「豊かな」神話群を読み直していこうとする意志がある。当然ながら、その営みからは「国家」や「民族」なるものは排斥される。

 神道を現代に通用する宗教もしくは思想として近代以前のテキスト群を読み解く営為は不可欠であるのは確かである。しかし、ではどのような方向性を持ちつつ、それを行えばよいのか、本稿はそのための手がかりを多少なりとも示すために書かれたものである。

 そのために、本稿では平成二十九年二月臨時増刊号として発行された『現代思想 神道を考える』に所収された対談、「歴史としての神道神道の可能性を考える―」を適宜引用しつつ、「神道」がいかに現代に再生できるかを考えていきたい。

 

対談「歴史としての神道神道の可能性を考える」を中心に

 この対談は伊藤聡・昆野伸幸・斎藤英喜・永岡崇ら四人によって行われた。この四人はいずれも思想史学、歴史学民俗学あるいは神話学といった各方面のトップランナーといっていい顔ぶれである。また中世・近世・近代と、専門とする時代区分は違えども、近代以降の神道を相対化しようとしている点は共通していると思われる。

 対談では、神道が超歴史的に存在した日本人の伝統的心性ではなく、時代によって様々に変貌してきたことをまず指摘する。伊藤聡は近著『神道とは何かー神と仏の日本史』の反応が中世日本紀をも神道の持つ多様性の産物である、とする捉え方が多かったことに対し反感を示し、以下のように述べる
  
  伊藤:(略)神道というのは日本だけに閉ざされたものではなくて世界に開かれた宗教という文脈でとらえかえされてしまった。(中略)むしろ、さまざまな要素を取り込みながらも、最終的に日本固有ということに落ち込んでいってしまうということこそ、神道が孕んでいる問題なのだ、と思っています。

 

 ここには「神道」を日本固有のものとして捉える見方そのものに対する伊藤の拒否感がはっきりと表れている。つまり伊藤が考えている「神道」とは「日本」を前提としていないのである。

 その議論を引き継ぐ形で近代の国体・皇国史観の再検討を行っている昆野伸幸は

 

  昆野:(略)国家神道皇国史観と呼ばれるものの実態は実はもっと多様で色々なバリエーションがあったと私は考えています。ですから、近代の神道を旧来の一枚岩的な形で見るのではなくて、多様性のほうを重視して見ていく必要がある。(略)皇国史観と言われるような歴史観も極端な話をすれば『古事記』や『日本書紀』の神話を都合よく解釈した大きな意味での近代神話あるいは偽史のひとつと言ってもいいかと思います。

 

 昆野は近代以降の国体もしくは神道を単一のものとして見る見方そのものに疑義を呈している。この発言を受けて斎藤英喜は「皇国史観も「偽史」であるというのは非常に重要な指摘だと思います」と賛意を示している。
 斎藤はこれらの議論を踏まえつつ

 

 斎藤:(略)神話テキストを注釈・解釈していく行為を通じて、記紀神話を超えてしまう、新しい「神話」の可能性があるのだと。こうした神話解釈史の運動は、中世のみならず、近世の宣長や篤胤、重胤などの国学者などの注釈世界、さらにそれを近代の「学問」として展開させていった折口信夫のなかに見いだせるわけです。

 

 と中世日本紀のような多様な神話解釈に可能性を見出し、その延長上に折口信夫を位置づける。実際、斎藤はこの対談でも神社本庁を設立し、戦後唯一の神道思想家として活躍した葦津珍彦を折口と対比し、折口の側に積極的な価値を見出している。斎藤はこの対談集の他に「神道大嘗祭・折口 ―<神道>はいかに可能か―」にて折口の神道観を分析し、「敗戦後の折口信夫の「神道宗教化」の議論は、神道という「民族教」を基点としつつ、それを超克する「人類教」をめざした、大いなる思考実験でもあった。神道なるものに附着する天皇、宮廷、先祖崇拝、多神教的な習俗の一切を脱却した、宗教としての極北の地平へ」と結んでいる。斎藤は折口の神道観を中世日本紀の系譜を引き継ぐものとして捉え、「日本」を排除した神道を志向している。

 さらに対談で伊藤は「神道が自然崇拝を本質とするというのは看板に過ぎないと前から思っている(笑)。」と発言。この発言を受けて斎藤も「神道の側はグローバリゼーションを批判できないから原発も批判することができない。常に相互補完になっている」と現代の神道を批判している。対談者全員は神道の再生とグローバリゼーションとの対決という点では一致しており、現代の神道はその任に堪え得ないと見なしていると思われる。

 以上、本稿で神道を考える上で重要と思われる箇所を対談から抜き出して論じてきたが、この対談全体を通してみると近代以降の画一化した神道を中世日本紀や折口の神道観に依拠しつつ相対化、乃至は乗り越えようとする意思はおおむね共通している。神話の多様な読み替えによって「近代」なるものの宿唖を超える「何か」を志向しているのである。私も基本的に、その手法自体には賛成する。しかし、「中世日本紀」という解釈群が生まれた背景には中央の権威や権力が徹底的に零落もしくは破壊された「中世」という時代があったという事実を見逃すわけにはいかない。

 この中世という時代は洋の東西を問わず様々な思想や宗教、神々や仏が互いの正当性を賭けて苛烈にぶつかり合う混沌の世界であった。その世界に互いが互いを認め合う「多様性」なるものは一切存在しない。

 21世紀は過激派イスラム勢力のアメリカへのテロで幕を開けた。現在に至るまで、世界各地であらゆる宗教・宗派が生存のために、己の信ずるもののために激しい闘争を続けている。その意味でまさしく現代は「新たな中世」といえる(もしくは先進諸国では現代は「神無き中世」とも表現できるであろう)。日本の中世社会の混沌ぶりを象徴する「応仁の乱」を題材とした呉座勇一氏の『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』がベストセラーになったという事実はまさに世界の中世化を人々が肌身で感じていたからではなかったか。

 むしろ混沌とした中世という時代が生んだ中世日本紀と呼ばれる多様な神話の解釈群は現代のグローバリズムやそれが行き着いた先にある社会的ダーウィニズムと非常に親和性が高いのではないか。現代日本でも貧困による社会階層の分断が進み、深刻なディスコミュニケーションがそこここで引き起こされている。かつての日本にあった「阿吽の呼吸」「察し」などという概念はほとんど通用しなくなってしまった(なおADHDアスペルガー症候群なる症状が大きく喧伝され始めたのは日本社会の分断による相互のコミュニケーションの不可能性が表面化したからではないかと私は考えている)。

 欧州での移民問題ひとつ見ても、もはや「多様性」なるものが実は深刻な危険性を持っていることが了解される。もはや我々は「多様性」なるものに積極的な評価を持つことは出来ない。仮に「多様性」なるものが大いに担保された社会があればどうなるか。個々の人間、そして集団がそれぞれの独自の神話や思想、宗教を作り上げ、それらの正当性を巡ってひたすらに闘争を続けるであろう。「まさに万人の万人に対する闘争」である。我々はそのような社会が生み出す集団の先駆的な存在を既に知っている。言うまでも無く、それはオウム真理教である。オウムは教義経典を作成するに当たって、竹内文書東日流外三郡誌といった偽書に大きな影響を受けていたが、このような営みと中世日本紀のそれとは構造的にそれほど違わないのではないか。

 もちろん「多様性」は重要である。様々な価値観や思想、思考法を持った人間や集団が存在したほうが世界は豊かになるし、危機にも対処しやすくなる(例えば稲の品種改良はまさに「多様性」を担保するための試行錯誤の歴史であったと言っていいであろう)。しかし、その「多様性」には一定の「枠組み」をはめておかなければならない。その枠組みは例えば、国家であり、民族であり、ナショナリズムであり、言語であり、法律であり、行政であり、あるいは天皇である。葦津がなぜ戦後、神社本庁を設立する上で折口を排除したのか。その理由はこのあたりにあるのではないか。

 我々は「神道」を現代的に再生するために近代以前の多様なテキストや世界観を参照しなければならない。しかし、同時にそれらをある程度規定する枠組みのあり方も探索していかねばならない。真に険しい茨の道ではあるが、それをせずして神道の現代的再生、さらに言えば日本と日本人の再生は無い。

 

神道天皇

 現在、神道について言及する際によく引き合いに出されるのは「日本会議」「神道政治連盟」といった政治団体である。神道勢力が安倍政権のような極右政権の黒幕として日本の軍国主義化、ファシズム化を狙っているという言説は現在大量に流通している。著者はそのような政治団体との接触は無いので判断は付きかねるが、現代神道の現場にいる多くの宮司等の神官は、そこまでおどろおどろしい、陰謀をめぐらしている人々なのだろうか。

 著者はかつて下鴨神社の境内にマンションを建設する計画が持ち上がった際、その反対運動に参加したことがある。そもそもの発端は式年遷宮の費用が賄えず、境内の森林を伐採し、マンションを建設することにより、何とかその費用を捻出しようというものであった(最も神社側の説明ではマンション建設用の土地は鎮守の森ではなく緩衝地帯ということであったが)。

 結局マンションは建設されたが、ここで問題なのは神社側が神道の原点ともいえる鎮守の森よりも遷宮による建物の保全を優先した点である。建築物と森(あるいは土地そのもの)どちらが神道にとってより本質的なものなのか、という命題がここに表れてくる。しかし、下鴨神社側がそのような思想的命題にきちんと向き合ったという形跡は全く無かった。というよりも下鴨神社に限らず、ほとんどの神官は職業としてそれをしているに過ぎず、神道に対する当事者意識も信仰心もほとんど持ち合わせていないのが実態ではないか。愛国心や尊皇の精神などというような大層なものを有している神官などどれくらい存在しているのであろうか。

 また、世間に神道学者は存在するが、そのほとんどが神職ではない。アカデミズムの世界においても神官が思想を発信するケースがほとんど見られない事実も、考えなければならない。葦津は神社建築を本業としていたが自身は神職ではなかった。仏教学者が僧籍を持ち、寺院の住職を勤めているケースが多い仏教界とは対照的である。そもそも現場の神職がアカデミズムであれ、社会事業であれ、何かを社会に向けて発信するなり活動をしていくなりする事例の方が圧倒的に少ないのである。

 一方で皇室は戦後、社会事業に密接に関ってきたという歴史がある。東日本大震災の被災地巡幸と慰霊は記憶に新しい。皇后美智子は水俣病を世に知らしめた文学作品『苦界浄土』の著者である石牟礼道子と親しく、2013年には熊本を訪問し、水俣病患者と面会している。震災等の大規模災害があった際は今上天皇も皇后美智子も膝まずき、被災者の目線に立って「お言葉」をかける。

 天皇生前退位の「お言葉」に「天皇高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」という文言があるが、ここでいう「象徴としての行為」には祭祀はもちろんのこと、国民のための巡幸や祈りが含まれていることは明白である。天皇の行う「お務め」の中における、人々のための巡幸や祈りが占めるウェイトは非常に大きくなっているのである。「現代思想増刊 神道を考える」に所収されている政治学者、小林正弥の論文「神道における公共性―改憲論対生前退位メッセージ」ではこれらの「天皇の務め」が非常に高く評価されている。小林は今上天皇が現行憲法と調和した存在であり、「「国民神道」は「市民宗教」ないし「市民神道」であり、これを成立させる思想的起爆力を天皇のメッセージは秘めているのだ」とする。そして神道的祭祀は法的には私的行為だが、「祈り」は政教分離の原則に反せず、実質的な「公的行為」として位置づけることが出来る、とした上で「近代憲法を前提にしつつ、地球的・国民的・地域的・家族的という四層のコミュニティにおける神道として発展していくところに、二一世紀以降における神道の未来が存在しているのではないだろうか」と結論付けている。

 小林に限らず今上天皇と皇后美智子が身を削り、あらゆる人々のために祈り、傷ついた人を慰め、霊を鎮めてきたとういう事実は誰もが認める所であろう。もはや天皇軍国主義ファシズムに関連させて論ずる言説はほぼ絶滅したといって良い。むしろ現代人の天皇に対するイメージは「平和」や「福祉」といった概念と深く結びついているといっても過言ではあるまい。

 対して神道に携わる人々はどうであろうか。ほとんど社会に向けたメッセージや活動といったものが見受けられない。昨日、日本の農作物の安全と品質を守り続けた種子法が廃止されたが、五穀豊穣をその祭祀の起源としているはずの神道側からは反対どころか、ほとんど何の反応も無かった。かつての米の輸入自由化に続き、神道は二度目の思想的敗北を喫したのではないだろうか。

 神道は、本来社会に対して思想を発信していくポテンシャルを有しているはずなのである。例をあげれば、五穀豊穣の祭祀を掌る立場から農業問題に対して発言する、鎮守の森を始めとする里山や山林の保全、そこから環境問題に接続する、あるいは目に見えず国土を汚し続ける放射性物質を「ケガレ」と見なし(もちろん福島県人に対する差別や風評被害には加担せずに)、除染や反東京電力闘争を行うなど、選択肢は様々にあるはずなのである。

 神道の現代的再生のためには思想を練ることももちろん重要だが、実際の行動をいかにして展開していくか、という観点も同様に大切である。そのためには現代の神道の現場にいる人々をいかに覚醒させるか、あるいは神職者の教育制度の抜本的改革も含めた神道界の変革も必要不可欠であるだろう。

 

結びにかえて―福島県飯館村宮司、多田宏氏の祝詞

 最期に「芸術新潮」2013年7月号に掲載された「福島県飯館村―神々に放射能が降った」という記事を紹介して本稿を締めくくりたい。この記事で紹介されている多田宏氏は旧郷社の綿津見神社の宮司を務めるだけでなく、飯館村の50社、氏子1200人の神事をつかさどっている。

 多田氏は避難命令を無視して当地に留まり、同じく命令を無視して留まる村民とともに神事と祭祀を行っている。震災と原発事故によって飯館村にあった貴重な神事や風習は途切れかかり、多くの社殿や祠も祭る人がおらず、朽ち果てようとしている。神々が放射能を浴び、今にも死に絶えようとしている風景を、当該記事は容赦なく書き記している。

 そして多田氏は帰着困難地域にある白鳥神社にて祭りを行う。除染により表土がはがれおちた田畑と黒い土嚢に囲まれた場所にて、村人達が見守る中、多田氏は祝詞を諷げる。

 「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の損ないたるは最も憂たき極みにして此の長泥の里も放射能に穢され、五穀の作付は素より帰還困難の区域と定められぬ」
 「今より後は大神の陵威の御霊を蒙らせ」
 「里人の心を振い起さしめ給えと恐み恐み曰す」
 「童らの声聞こゆる元の村へと」

 福島には津波を浴び、放射能を浴びた神々が今でも鎮座ましましている。避難を余儀なくされた人々の故郷を取りもどすことはもちろん、朽ち果てようとしている福島の神々を慰め、再び祭ることは私たちすべての日本人に課せられた責務である。この責務を怠り、忘却したその時、神々は恐ろしき怨霊となり私たちに災いをもたらすであろう。福島の神々を鎮め、祀ることを抜きにして神道の再生も、日本の真の復興もありえない。村人たちと共に、放射能に塗れた土地と神々を祀り続ける多田氏の姿がこれからの私たちが神道の創造していく上での貴重な道標となるはずだ。

 

参考文献
 「現代思想 2017年2月臨時増刊号 神道を考える」青土社 2017年1月
 「芸術新潮 2013年7月号」新潮社 2013年7月