【コラム】「帝国市民」と欧州右翼運動の現状――ユートピア願望の果て

「帝国市民」とは

 ドイツでは、最近になって「帝国の市民(Reichsburger)」と呼ばれる極右勢力が注目されつつある。この勢力は1980年代中盤に出現し、確たる組織をもたない緩やかなネットワークを形成し、近年ではソーシャルネットワークを介して連携を行っている。それなりに以前から存在する勢力であるわけだが、2016年に構成員が警官射殺事件を引き起こし、また参加者数が最近になって急激に増加したため(2016年段階で1万人だった構成員が、2017年には1万8000人になっている)、一躍巷間の耳目を集める結果となった。これに対し、ドイツの治安機関(内務省・連邦警察)も警戒を始め、今年になって「帝国市民」の構成員が所持する武器類を押収するなどしている。

 これだけならば、近年になって拡大している過激な新興右翼勢力という、近年の欧州では珍しくもない現象かもしれない。この「帝国市民」が巷間の耳目を集めたのは、その主張の特異性のためだった。「帝国市民」の主張のうち、反EU・反移民・国家の伝統や主権の強調といった点は、他の右翼勢力と共通している。だが、現在のドイツ連邦共和国を認めない点は、他の右翼勢力とは一線を画しているとされる。「帝国市民」は、第二次世界大戦末期の連合国との終戦協定は無効だとし、戦後に誕生したドイツ連邦共和国には正当性が無く、国家社会主義ドイツ労働者党が指導していたドイツ国ナチス・ドイツ)がいまだに存続していると主張しているのだ。さらに、「帝国市民」は、こうした主張を実践している。現在のドイツ政府に正当性を認めない彼らは、パスポートをはじめとする公的機関が発行する証明書類を破棄し、納税も拒絶している。さらには、独自の通貨やパスポートを製造するところまで行動がエスカレートしている。近年の「帝国市民」の武装化は、こうした行動による当局との軋轢に由来しているとされる。

 

本当に「帝国市民」は特異な集団なのか――「歴史のリセット」をめぐって

 こうした「帝国市民」の特異な行動を、「歴史のリセット」をキーワードとして分析しているのが、ニューズウィーク日本語版に掲載されている六辻彰二「『歴史のリセット』を夢想するドイツ新右翼『帝国市民』とは何者か」である。六辻は、「帝国市民」の性格を、次の二つに要約する。第一に、「基本的に伝統的な価値観や歴史を重視し、一方で現実の社会に不満や幻滅を蓄積させていることは他の極右勢力と同じでも、歴史のある時点に立ち返るという不可能なことを夢想している点」であり、第二に、「その不可能な夢想のために、現実を全く否定するという倒錯がある点」だ。ここから、こうした思考様式はIS(イスラム国)とも通じる、と結論付けられている。しかし、ここで疑問を呈したいのは、そもそも「帝国市民」の主張の内容が、本当にこれまで右派に類例を見ない特異なものなのか、そして「帝国市民」の思考様式が、すなわち「歴史のリセット」は既存の右派の文脈のなかで捉えることができないのか、の二点である。

 まず第一の点から触れるが、「帝国市民」のような主張は、端的に言えば前例が存在するのである。国防軍の元少将でナチ擁護の論陣を張っていたオットー・エルンスト・レーマーらによって、1949年の西ドイツで結成された右翼政党であるドイツ社会主義帝国党は、戦後に成立したドイツ連邦共和国アメリカの傀儡政権であり、正統な政府はヒトラーの死後に、その遺言に従ってカール・デーニッツが組織した「フレンスブルク政府」(敗戦処理を遂行するための疎開政府)だと主張した。ドイツ連邦共和国を否定し、ナチ政府の存続を主張する「帝国市民」の主張と瓜二つだろう。続いて第二の点に触れるが、「歴史のリセット」という思考様式は、右派には全く珍しくない。正確には、過去のある一時期を理想的な黄金時代と解釈したうえで、そこへの回帰を志向する思考様式である。これは数多の事例があるが、ドイツのケースを取り上げよう。アルミン・モーラーは『ドイツの保守革命』において、ワイマール時代における左右の政治的立場が混交した当時の右翼的思潮を「保守革命(Konservative Revolution)」と呼び、それらを青年保守派・国民革命派・国粋民族派・青年同盟・農村民運動の五種類の運動へと類型化した。ここで注目したいのが、青年保守派である。青年保守派は、中世ドイツを理想化し、そこへの回帰を志向した。青年保守派のイデオローグであるE・J・ユングは、神聖ローマ帝国の体制を至上と見なし、中世的身分制と全欧州的な多元的国家体制から構成され、期限付きの皇帝である「ライヒ代理職」によって支配される「新たな中世」を構想していた。ユングについては、小野清美『保守革命とナチズム:E・J・ユングの思想とワイマール末期の政治』に詳しいが、こうした雄大な中世回帰の構想に表れているように、いわゆる「歴史のリセット」は「帝国市民」の専売特許ではないことが明瞭になっただろう。こうしたワイマール期の青年保守派の思想にせよ、ロマン派以来の中世賛美・古典回帰の延長線上にあるものだ。

 

ユートピア願望の果てに

 ここまで来て、「帝国市民」におけるドイツ連邦共和国の否定にせよ、「歴史のリセット」という思考様式にせよ、前例が幾らでもある代物であることが分かった。筆者が思うに、「帝国市民」の特異性は、こうした過去の右派の主張を、実際に実行してしまう点である。例えば、ドイツ社会主義帝国党は、ドイツ連邦共和国を否定する主張を繰り返しながら、選挙に出馬し続けた。さらには、ニーダーザクセンブレーメンの州議会では一定の議席保有していた。現政府を否定しながら、その現政府によって維持されている議会制度へのコミットを続けたわけで、身も蓋も無い言い方をすれば、矛盾以外の何物でもない。しかし、彼らの行動こそ、常識的だろう。現実政治にコミットし、そこで勢力を獲得しなければ、政治団体としての意義を果たせないのだ。しかし、「帝国市民」は、現実政治にコミットせず(それどころか、彼らはパスポートを破棄し、納税もしない)、自身らで通貨やパスポートを発行し、黙々と「国家」を演じ続けている。ここに、現実政治に深く絶望し、自身で(閉鎖的な)理想世界を作り出そうとする、ある種のユートピア願望を読み取るのは不自然だろうか。「ドイツのための選択肢」であれ、「国民戦線」であれ、「北部同盟(現在は「同盟」に改称)」であれ、欧州諸国の議会において極右政党の台頭が著しい。急進右派の現実政治へのコミットメントが深まるのに並行して、こうした現実政治に完全な絶望を覚えた人々が、自身のユートピアに逃れようとしている。六辻によれば、アメリカにも、「帝国市民」と同様の主張と行動を行っている「独立市民」というグループが出現している。欧米の右翼運動は、深い「断絶」を経験しようとしているのかもしれない。

 

【関西】定例研究会のご案内

来月の関西地区定例研究会を、下記要領で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加ください。

 

民族文化研究会関西地区第3回定例研究会

日時:平成30年7月8日(日)16時30分~19時30分
会場:貸会議室オフィスゴコマチ 4階 422号室
京都府京都市下京区御幸町通り四条下ル大寿町402番地 四条TMビル

https://main-office-gocomachi.ssl-lolipop.jp/index.html
会費:500円
​主催:民族文化研究会関西支部
備考:参加希望者は、事前に当会アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。

 

【東京】定例研究会のご案内

来月の東京地区定例研究会を、下記要領で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加ください。

 

民族文化研究会東京地区第16回定例研究会

日時:平成30年7月22日(日)15時~18時
会場:早稲田奉仕園 セミナーハウス1階 102号室
東京都新宿区西早稲田2‐3‐1
https://www.hoshien.or.jp/
会費:1000円
​主催:民族文化研究会東京支部
備考:参加希望者は、事前に当会アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。

 

【関西】定例研究会報告 アントニー・D・スミス『ネイションのエスニックな諸起源』紹介

 平成30年6月3日の民族文化研究会関西地区第2回定例研究会における報告「アントニー・D・スミス『ネイションのエスニックな諸起源』紹介」の要旨を掲載します。


ナショナリズム論の最大の争点

 ネーションとナショナリズムの理論にとって、もっとも重要な理論的争点とは何か。ネーションとナショナリズムは近代の産物か否か、という問いこそが、それであろう。

 

○原初主義あるいは永続主義と近代主義

 ナショナリストの目から見ると、ネーションの起源は、たいてい古代にある。ネーションは、家族や村落と同じように、人類史を通じて、ほぼ恒久的に存続してきた、と考えられる。だがこの説は、歴史学者社会学者には、あまり評判はよくない。多くの学者は、いくつもの事象的な事実から推察して、ネーションやナショナリズムは近代社会の産物の一つであり、それ以前には存在していなかった、と結論した。前者は、原初主義あるいは永続主義と呼ばれ、後者は、近代主義と呼ばれている。

 原初主義……エドワード・シルズ

 近代主義……ベネディクト・アンダーソン、アーネスト・ゲルナー、あるいはホブズボーム

 アントニー・D・スミスの『ネイションのエスニックな諸起源』は、ナショナリズム論の最大の争点に、最終的な決着をつけようともくろむ。

 

○スミスの紹介

 Anthony David Stephen Smith(二五九九~二六七六)

 スミスは、ロンドン大学政治経済学部に付属する、ヨーロッパ研究所の「エスニシティナショナリズム研究部門」の主任研究員である〔当時。後にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授〕。

 最初オックスフォード大学ワドハム・カレッジで古典と哲学を研究した。その後、研究の中心を、歴史学政治学、そして社会学へと移していく。ロンドン大学で博士論文を執筆したときのアドヴァイザーは、アーネスト・ゲルナーであった。近代主義の代表的論者ゲルナーは、その後、スミスにとっての最大の論敵となる。一九九〇年に、イギリスの「エスニシティナショナリズム研究学会」(民族学会)の設立に参加し、同学会の会長を務めた。ナショナリズムエスニシティを論じた多数の著書がある。八六年に出版された『ネーションのエスニックな諸起源』こそは、まぎれもなく彼の主著である。

 

○「日本」はいつ始まったか

 素朴な通念と学会の有力説とは、逆立している。すなわち、通念としては、原初主義が一般的だが──たとえばわれわれは「日本史」と言うとき、前近代の段階において、すでに「日本」という国民的共同体(の萌芽)がすでに存在していると考えるが──学界に広い影響力を与えた理論には、近代主義に立つものが多い。

 

○スミスの思想

 スミスは、原初主義と近代主義とを、一挙に総合しようとする。

 スミスの考えでは、近代主義者はある意味で正しい。ナショナリズムの運動は、一八世紀の後半に始まった現象であって、それ以前にはない。特殊にナショナルと見なしうる感情の萌芽は、西欧の場合には、一五─一六世紀に見いだされるが、それより古いわけではない。国民国家(民族国家)が、政治的な軌範と化すのはまちがいなく近代になってからである。だが──スミスは言う──近代主義にも難点がある。前近代にも──古代においてさえも──ナショナルな一体性やナショナルな性格に類似したものが、発見されるというのだ。

 ギリシャ人やローマ人が異文化を有する人々に向けたまなざし……ペルシアの領土拡張に対するイオニア人の抵抗……ガリア人によるシーザーへの抵抗 ナショナリズムの運動によく類似している


 そこでスミスは、近代主義に修正を加える。〔……〕原初主義を規定的な前提にして、そのうえに、近代主義を積み重ねるのだ。

 ネーションは無から生み出されたわけではない。ネーションは、エスニックな基礎や起源をもっており、そこから発展してきた、とする

 

■エトニからネーションへ

 

○エトニ

 スミスは、ネーションの素材とも言うべきエスニックな共同体を「エトニ ethnie」と呼ぶ
 次のような特長によって定義される。
 ①名前をもつこと。
 ②共通の血統神話。
 ③歴史の共有(とりわけ黄金時代の記憶の共有)。
 ④独自の文化(言語、慣習、宗教など)の共有。
 ⑤ある特定の領域(聖地や故郷など)との結びつき。
 ⑥連帯感。

 スミスによれば、〔……〕エトニは、人類の歴史のあらゆる段階において恒久的に存在してきた。

 

○二つの類型に区分 共時的

 第一に、水平的に、漠然と広範囲に広がるエトニ 水平的・貴族的
  貴族的なもの 都市の裕福な商人層や、聖職者、立法学者などを主たる担い手とする

 紀元前一〇〇〇年までに北インド平原に展開した、アーリア人

 第二に、社会の全階層に垂直的に浸透し、強い凝集力を発揮するエトニ 垂直的・平民的
  平民的なもの 都市を基盤として成立し、聖職者、商工業者を構成員としていた

 都市国家間の隣保同盟(古代シュメール、フェニキアギリシャなど)、「辺境」のエトニ(マジャール人クルド人など)、部族連合(オスマントルコ人ペルシア人、アラブ人など)、ディアスポラセクトユダヤ人、アルメニア人、ドルーズ、パールシーなど)の四つに下位区分される

 垂直的・平民的エトニの構成員を結びつける接着剤は、水平的・貴族的エトニのそれよりもはるかに強力で、しばしば宗教的であった 

 

○通時的な次元でのエトニの特徴

 エトニのなかには、性格を変化させながらも、何千年も存続するものと、歴史の中に消滅していってしまうものとがある。イギリス人、ギリシア人、エジプト人などが、性格を変化させつつ存続していた例にあたり、ヒッタイト人、フェニキア人、ペリシテ人などが、消滅したエトニの例に入るだろう。

 何がエトニの存続(\消滅)を規定する要素なのか〔……〕決定的な要素は、宗教的な条件

 

○いかにしてネーションが形成されたか

 ネーションへの移行の端緒は、はっきりしない
 西洋に於ける次の三つの革命が、ネーションへの熱望を不可避なものとした

 第一に、経済的革命、分業における革命 一般に「資本主義への移行」と呼ばれる
 高度な経済統合の形成を意味する。領域内に経済的な中心地帯が生み出され、その中心と周辺・準周辺との経済的交換が、中心地帯によってコントロールされる
 職業システムが、地域的に分離されていた状態から、領土全体に広がる単一の分業システムへと転換する

 第二に、政治革命、行政管理における革命
 工学と兵站学の進歩は、科学・技術の訓練を受け、専門知識を身につけた軍事専門家という階級を生みだした。さらに、この階級は訓練された官僚を要請する。官僚国家は、裕福なブルジョワ階級と知識階級とを育成することになった。そして、ブルジョワ階級は、みずからの利益や威信を極大化するために、伝統の国家主義的政策を引き継ぎ、強化することになった。

 第三は、文化・教育革命
 主権国家が、現世的で可視的な救済を約束することで、かつての神の位置を占め、教会の権威に取って代わることになる。国家による、教育の中央集権的な併合は、結果的に、標準化された愛国的文化を利用して、献身的で政治意識を有する市民を形成することにつながった。

 

○ネーションの二つの類型

 ハンス・コーンによって導入されたダイコトミーにしたがったもの

 領域の共通性の感覚に基礎を置くネーションは、法による結びつきを基幹とすること、市民権によってメンバーシップを規定すること、そして共通の文化を有することなどを特徴とし、主として西欧に生まれた。

 既存のエスニックな絆を基礎とするネーションは、想定された血の結びつきを重視すること、人民主義的であること、法よりも習慣や方言に重点があること、伝統的な土着主義の傾向などによって特徴づけられ、東欧や中東にしばしば見られる。

 

○ネーションをどのように形成するか

 ネーションとナショナリズムは、基本的には西欧の概念である。すなわち、それは、固有の領土のうえに成立する、諸権利を与えられた平等な市民による、法的な共同体である。だが、たとえば、アジアやアフリカの植民地に、こうした西洋モデルを直接に導入しても、ほとんど成功しない。ネーションを定着させるためには、血統神話、歴史的記憶、共通文化に訴求することによって、多様な諸階級を引き付け、動員できなくてはならない。要するに、西欧の領域的なモデルを定着させるためには、それに対抗するもう一つのモデルを、つまりエスニックなモデルを援用しなくてはならない。

 インドの例
 インドでは、一九世紀の前半に西欧モデルが導入されたときには、中流階級上層部に属するバラモンの集団などごく一部の階層を動員できただけであった。しかし、ティラクやオロビンドがインド・ネーションの概念を普及させるために用いたのは、西欧的な市民モデルではなく、ヒンドゥー教の伝統であった(このことは、結果的に、インドの血統的なネーションから、イスラーム教徒やシーク教徒を排除する事を意味した)。このように、市民的で領域的なネーションが成立するためには、ほとんどいつも、エトニの伝統が想起されなくてはならなかった、というのである。翻って考えてみれば、事情は、西欧の最初のネーションにおいても変わらない。

 

○エトニはどうネーションに昇華されているのか

 近代の三つの革命に直面して、エトニは、外部からの孤立、受動性、文化的順応の状態から、外部に対しても動的に働きかける活動主義者にならなくてはならない。また、かつての聖職者に代わる、「新しい聖職者」として、科学的知識を有する知識人が、指導的な地位に登場してこなくてはならない。さらに、エトニは、ある程度の自給自足によって、経済的に自立した単位へと編成される。そして、何よりも、エトニがネーションへと転換するには、その成員が「市民」にならなくてはならない。そのためには、選挙権が拡大される事が必要なことはもちろんだが、より一層重要なのは、エリートと大衆を結ぶ新しい情報伝達様式が確立され、全成員が動員される事、こうして生まれた新しい大規模な単位が、かつてのローカルな忠誠心を包摂してしまうこと、である。こうしたさまざまな処置を通じて、エトニはネーションへと、つまり三つの革命への対処を目的とする一種のゲゼルシャフトへと変容する。

 

○エトニへの訴求

 くり返し強調するならば、ネーションが完成するためには──スミスの考えでは──それは、エトニへの訴求によって補完されなくてはならない。ゲゼルシャフトとしてのネーションに、実質的な連帯を保証し、人々に明確なアイデンティティの感覚を与えるエスニックな要素とは、とりわけ、共有された「過去」についての記憶である。つまり、ネーションは歴史を必要とする。ネーションは知識人を動員して、過去を再構成しなくてはならなかったのだ。

 近代社会に見出される、顕著な逆説の一つは、次の点にある。近代的な市民社会は、人類史上、圧倒的に強い変革への渇望を持って現れるのだが、そうした未来志向的な渇望の強さにちょうど比例して、より深い過去へとまなざしを向けようとする郷愁もまた強化されるということ、これがその逆説である。こうした二重性を、スミスの議論は、ネーションがエトニを基盤とせざるをえなかった、という事実の一つの現われとして、理解しようとしているのである。

 「近代的なネーションは、近代主義者がわれわれに信じさせようとしているほどには、「近代的」でない」。その意味するところを、スミス自身にしたがって、もう一度整理しておこう。
 第一に、ネーションは、一挙に達成されるような静的な目標ではない
 第二に、ネーションが生き残るためには、エスニックな核が必要である。
 第三に、新興国家の使命感を持ったナショナリズムは、その情念を、とりわけ平民的な累計のエトニから引き出している。
 第四に、ネーションは祖国を必要とする。
 第五に、ネーションは黄金時代を必要とする。
 これら、諸項目が、近代的なネーションが「古い」という結論を支持している、というわけである。

 

参考文献

Anthony D. Smith, The Ethnic Origins of Nations, Basil Blaickwell, Oxford,1986.
『ネイションとエスニシティ──歴史社会学的考察』巣山靖司他訳、名古屋大学出版会、1999年

ナショナリズム論の名著50』大澤真幸篇、平凡社、2002年

 

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Anthony D. Smith, The Ethnic Origins of Nations

 

 

【関西】定例研究会報告 神道の現代的再生に向けて――『現代思想増刊 神道を考える』を中心に

 平成30年6月3日の民族文化研究会関西地区第2回定例研究会における報告「神道の現代的再生に向けて――『現代思想増刊 神道を考える』を中心に」の要旨を掲載します。

 

はしがき

 

 「神道」とは一体何なのか。この問いに対して、統一した答えは未だに存在しない。日本を戦争に引きずり込んだ悪しき前近代的イデオロギーなのか、はたまた環境保全につながる「エコな」思想であるのか、古代から連綿と続く日本人の土俗的信仰であるのか。百人いれば百通りの神道観が存在しうる。あらゆる宗教、もしくは思想は多様な解釈が存在するものであるが、神道の場合はその解釈の数も幅も膨大である。なぜそうなってしまったのか。

 一つには、神道がそもそも教義経典を持っていなかったことが挙げられる。記紀神話、あるいは風土記のようなテキストは存在するものの、キリスト教における聖書、イスラム教のコーラン、仏教の諸経典の存在とは明らかに異質である。「神道非宗教説」が唱えられる理由の一端がここにあるわけだが、それだけでは神道の抱え込む世界がなぜここまで大きくなったかの説明としては不十分である。

 日本の中世には神話の様々な解釈、読み替えが行われた。また偽書の類も大量に編まれ、荒唐無稽ともいえるような多様な日本神話、あるいは神道の姿が生み出された。これらは学術用語で「中世日本紀」と呼ばれているが、中世では古事記日本書紀は必ずしも絶対的なテキストではなかった。むしろ多様な神道、神話の中の一つであったと表現したほうが適切であったろう。神道はある意味カオスとも言える中世日本紀の世界を経由したからこそ、膨大な解釈が編み出される余地を有しているとも言いえるのである。

 さて、昨今この「中世日本紀」の研究が思想史学、民俗学歴史学等の分野で急速に進んでいる。その背景には、近世を経て近代に至り、国家の統制の下で単一的な読み方に再構成された記紀神話もしくは神道に対するアンチテーゼとして、中世の「豊かな」神話群を読み直していこうとする意志がある。当然ながら、その営みからは「国家」や「民族」なるものは排斥される。

 神道を現代に通用する宗教もしくは思想として近代以前のテキスト群を読み解く営為は不可欠であるのは確かである。しかし、ではどのような方向性を持ちつつ、それを行えばよいのか、本稿はそのための手がかりを多少なりとも示すために書かれたものである。

 そのために、本稿では平成二十九年二月臨時増刊号として発行された『現代思想 神道を考える』に所収された対談、「歴史としての神道神道の可能性を考える―」を適宜引用しつつ、「神道」がいかに現代に再生できるかを考えていきたい。

 

対談「歴史としての神道神道の可能性を考える」を中心に

 この対談は伊藤聡・昆野伸幸・斎藤英喜・永岡崇ら四人によって行われた。この四人はいずれも思想史学、歴史学民俗学あるいは神話学といった各方面のトップランナーといっていい顔ぶれである。また中世・近世・近代と、専門とする時代区分は違えども、近代以降の神道を相対化しようとしている点は共通していると思われる。

 対談では、神道が超歴史的に存在した日本人の伝統的心性ではなく、時代によって様々に変貌してきたことをまず指摘する。伊藤聡は近著『神道とは何かー神と仏の日本史』の反応が中世日本紀をも神道の持つ多様性の産物である、とする捉え方が多かったことに対し反感を示し、以下のように述べる
  
  伊藤:(略)神道というのは日本だけに閉ざされたものではなくて世界に開かれた宗教という文脈でとらえかえされてしまった。(中略)むしろ、さまざまな要素を取り込みながらも、最終的に日本固有ということに落ち込んでいってしまうということこそ、神道が孕んでいる問題なのだ、と思っています。

 

 ここには「神道」を日本固有のものとして捉える見方そのものに対する伊藤の拒否感がはっきりと表れている。つまり伊藤が考えている「神道」とは「日本」を前提としていないのである。

 その議論を引き継ぐ形で近代の国体・皇国史観の再検討を行っている昆野伸幸は

 

  昆野:(略)国家神道皇国史観と呼ばれるものの実態は実はもっと多様で色々なバリエーションがあったと私は考えています。ですから、近代の神道を旧来の一枚岩的な形で見るのではなくて、多様性のほうを重視して見ていく必要がある。(略)皇国史観と言われるような歴史観も極端な話をすれば『古事記』や『日本書紀』の神話を都合よく解釈した大きな意味での近代神話あるいは偽史のひとつと言ってもいいかと思います。

 

 昆野は近代以降の国体もしくは神道を単一のものとして見る見方そのものに疑義を呈している。この発言を受けて斎藤英喜は「皇国史観も「偽史」であるというのは非常に重要な指摘だと思います」と賛意を示している。
 斎藤はこれらの議論を踏まえつつ

 

 斎藤:(略)神話テキストを注釈・解釈していく行為を通じて、記紀神話を超えてしまう、新しい「神話」の可能性があるのだと。こうした神話解釈史の運動は、中世のみならず、近世の宣長や篤胤、重胤などの国学者などの注釈世界、さらにそれを近代の「学問」として展開させていった折口信夫のなかに見いだせるわけです。

 

 と中世日本紀のような多様な神話解釈に可能性を見出し、その延長上に折口信夫を位置づける。実際、斎藤はこの対談でも神社本庁を設立し、戦後唯一の神道思想家として活躍した葦津珍彦を折口と対比し、折口の側に積極的な価値を見出している。斎藤はこの対談集の他に「神道大嘗祭・折口 ―<神道>はいかに可能か―」にて折口の神道観を分析し、「敗戦後の折口信夫の「神道宗教化」の議論は、神道という「民族教」を基点としつつ、それを超克する「人類教」をめざした、大いなる思考実験でもあった。神道なるものに附着する天皇、宮廷、先祖崇拝、多神教的な習俗の一切を脱却した、宗教としての極北の地平へ」と結んでいる。斎藤は折口の神道観を中世日本紀の系譜を引き継ぐものとして捉え、「日本」を排除した神道を志向している。

 さらに対談で伊藤は「神道が自然崇拝を本質とするというのは看板に過ぎないと前から思っている(笑)。」と発言。この発言を受けて斎藤も「神道の側はグローバリゼーションを批判できないから原発も批判することができない。常に相互補完になっている」と現代の神道を批判している。対談者全員は神道の再生とグローバリゼーションとの対決という点では一致しており、現代の神道はその任に堪え得ないと見なしていると思われる。

 以上、本稿で神道を考える上で重要と思われる箇所を対談から抜き出して論じてきたが、この対談全体を通してみると近代以降の画一化した神道を中世日本紀や折口の神道観に依拠しつつ相対化、乃至は乗り越えようとする意思はおおむね共通している。神話の多様な読み替えによって「近代」なるものの宿唖を超える「何か」を志向しているのである。私も基本的に、その手法自体には賛成する。しかし、「中世日本紀」という解釈群が生まれた背景には中央の権威や権力が徹底的に零落もしくは破壊された「中世」という時代があったという事実を見逃すわけにはいかない。

 この中世という時代は洋の東西を問わず様々な思想や宗教、神々や仏が互いの正当性を賭けて苛烈にぶつかり合う混沌の世界であった。その世界に互いが互いを認め合う「多様性」なるものは一切存在しない。

 21世紀は過激派イスラム勢力のアメリカへのテロで幕を開けた。現在に至るまで、世界各地であらゆる宗教・宗派が生存のために、己の信ずるもののために激しい闘争を続けている。その意味でまさしく現代は「新たな中世」といえる(もしくは先進諸国では現代は「神無き中世」とも表現できるであろう)。日本の中世社会の混沌ぶりを象徴する「応仁の乱」を題材とした呉座勇一氏の『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』がベストセラーになったという事実はまさに世界の中世化を人々が肌身で感じていたからではなかったか。

 むしろ混沌とした中世という時代が生んだ中世日本紀と呼ばれる多様な神話の解釈群は現代のグローバリズムやそれが行き着いた先にある社会的ダーウィニズムと非常に親和性が高いのではないか。現代日本でも貧困による社会階層の分断が進み、深刻なディスコミュニケーションがそこここで引き起こされている。かつての日本にあった「阿吽の呼吸」「察し」などという概念はほとんど通用しなくなってしまった(なおADHDアスペルガー症候群なる症状が大きく喧伝され始めたのは日本社会の分断による相互のコミュニケーションの不可能性が表面化したからではないかと私は考えている)。

 欧州での移民問題ひとつ見ても、もはや「多様性」なるものが実は深刻な危険性を持っていることが了解される。もはや我々は「多様性」なるものに積極的な評価を持つことは出来ない。仮に「多様性」なるものが大いに担保された社会があればどうなるか。個々の人間、そして集団がそれぞれの独自の神話や思想、宗教を作り上げ、それらの正当性を巡ってひたすらに闘争を続けるであろう。「まさに万人の万人に対する闘争」である。我々はそのような社会が生み出す集団の先駆的な存在を既に知っている。言うまでも無く、それはオウム真理教である。オウムは教義経典を作成するに当たって、竹内文書東日流外三郡誌といった偽書に大きな影響を受けていたが、このような営みと中世日本紀のそれとは構造的にそれほど違わないのではないか。

 もちろん「多様性」は重要である。様々な価値観や思想、思考法を持った人間や集団が存在したほうが世界は豊かになるし、危機にも対処しやすくなる(例えば稲の品種改良はまさに「多様性」を担保するための試行錯誤の歴史であったと言っていいであろう)。しかし、その「多様性」には一定の「枠組み」をはめておかなければならない。その枠組みは例えば、国家であり、民族であり、ナショナリズムであり、言語であり、法律であり、行政であり、あるいは天皇である。葦津がなぜ戦後、神社本庁を設立する上で折口を排除したのか。その理由はこのあたりにあるのではないか。

 我々は「神道」を現代的に再生するために近代以前の多様なテキストや世界観を参照しなければならない。しかし、同時にそれらをある程度規定する枠組みのあり方も探索していかねばならない。真に険しい茨の道ではあるが、それをせずして神道の現代的再生、さらに言えば日本と日本人の再生は無い。

 

神道天皇

 現在、神道について言及する際によく引き合いに出されるのは「日本会議」「神道政治連盟」といった政治団体である。神道勢力が安倍政権のような極右政権の黒幕として日本の軍国主義化、ファシズム化を狙っているという言説は現在大量に流通している。著者はそのような政治団体との接触は無いので判断は付きかねるが、現代神道の現場にいる多くの宮司等の神官は、そこまでおどろおどろしい、陰謀をめぐらしている人々なのだろうか。

 著者はかつて下鴨神社の境内にマンションを建設する計画が持ち上がった際、その反対運動に参加したことがある。そもそもの発端は式年遷宮の費用が賄えず、境内の森林を伐採し、マンションを建設することにより、何とかその費用を捻出しようというものであった(最も神社側の説明ではマンション建設用の土地は鎮守の森ではなく緩衝地帯ということであったが)。

 結局マンションは建設されたが、ここで問題なのは神社側が神道の原点ともいえる鎮守の森よりも遷宮による建物の保全を優先した点である。建築物と森(あるいは土地そのもの)どちらが神道にとってより本質的なものなのか、という命題がここに表れてくる。しかし、下鴨神社側がそのような思想的命題にきちんと向き合ったという形跡は全く無かった。というよりも下鴨神社に限らず、ほとんどの神官は職業としてそれをしているに過ぎず、神道に対する当事者意識も信仰心もほとんど持ち合わせていないのが実態ではないか。愛国心や尊皇の精神などというような大層なものを有している神官などどれくらい存在しているのであろうか。

 また、世間に神道学者は存在するが、そのほとんどが神職ではない。アカデミズムの世界においても神官が思想を発信するケースがほとんど見られない事実も、考えなければならない。葦津は神社建築を本業としていたが自身は神職ではなかった。仏教学者が僧籍を持ち、寺院の住職を勤めているケースが多い仏教界とは対照的である。そもそも現場の神職がアカデミズムであれ、社会事業であれ、何かを社会に向けて発信するなり活動をしていくなりする事例の方が圧倒的に少ないのである。

 一方で皇室は戦後、社会事業に密接に関ってきたという歴史がある。東日本大震災の被災地巡幸と慰霊は記憶に新しい。皇后美智子は水俣病を世に知らしめた文学作品『苦界浄土』の著者である石牟礼道子と親しく、2013年には熊本を訪問し、水俣病患者と面会している。震災等の大規模災害があった際は今上天皇も皇后美智子も膝まずき、被災者の目線に立って「お言葉」をかける。

 天皇生前退位の「お言葉」に「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」という文言があるが、ここでいう「象徴としての行為」には祭祀はもちろんのこと、国民のための巡幸や祈りが含まれていることは明白である。天皇の行う「お務め」の中における、人々のための巡幸や祈りが占めるウェイトは非常に大きくなっているのである。「現代思想増刊 神道を考える」に所収されている政治学者、小林正弥の論文「神道における公共性―改憲論対生前退位メッセージ」ではこれらの「天皇の務め」が非常に高く評価されている。小林は今上天皇が現行憲法と調和した存在であり、「「国民神道」は「市民宗教」ないし「市民神道」であり、これを成立させる思想的起爆力を天皇のメッセージは秘めているのだ」とする。そして神道的祭祀は法的には私的行為だが、「祈り」は政教分離の原則に反せず、実質的な「公的行為」として位置づけることが出来る、とした上で「近代憲法を前提にしつつ、地球的・国民的・地域的・家族的という四層のコミュニティにおける神道として発展していくところに、二一世紀以降における神道の未来が存在しているのではないだろうか」と結論付けている。

 小林に限らず今上天皇と皇后美智子が身を削り、あらゆる人々のために祈り、傷ついた人を慰め、霊を鎮めてきたとういう事実は誰もが認める所であろう。もはや天皇軍国主義ファシズムに関連させて論ずる言説はほぼ絶滅したといって良い。むしろ現代人の天皇に対するイメージは「平和」や「福祉」といった概念と深く結びついているといっても過言ではあるまい。

 対して神道に携わる人々はどうであろうか。ほとんど社会に向けたメッセージや活動といったものが見受けられない。昨日、日本の農作物の安全と品質を守り続けた種子法が廃止されたが、五穀豊穣をその祭祀の起源としているはずの神道側からは反対どころか、ほとんど何の反応も無かった。かつての米の輸入自由化に続き、神道は二度目の思想的敗北を喫したのではないだろうか。

 神道は、本来社会に対して思想を発信していくポテンシャルを有しているはずなのである。例をあげれば、五穀豊穣の祭祀を掌る立場から農業問題に対して発言する、鎮守の森を始めとする里山や山林の保全、そこから環境問題に接続する、あるいは目に見えず国土を汚し続ける放射性物質を「ケガレ」と見なし(もちろん福島県人に対する差別や風評被害には加担せずに)、除染や反東京電力闘争を行うなど、選択肢は様々にあるはずなのである。

 神道の現代的再生のためには思想を練ることももちろん重要だが、実際の行動をいかにして展開していくか、という観点も同様に大切である。そのためには現代の神道の現場にいる人々をいかに覚醒させるか、あるいは神職者の教育制度の抜本的改革も含めた神道界の変革も必要不可欠であるだろう。

 

結びにかえて―福島県飯館村宮司、多田宏氏の祝詞

 最期に「芸術新潮」2013年7月号に掲載された「福島県飯館村―神々に放射能が降った」という記事を紹介して本稿を締めくくりたい。この記事で紹介されている多田宏氏は旧郷社の綿津見神社の宮司を務めるだけでなく、飯館村の50社、氏子1200人の神事をつかさどっている。

 多田氏は避難命令を無視して当地に留まり、同じく命令を無視して留まる村民とともに神事と祭祀を行っている。震災と原発事故によって飯館村にあった貴重な神事や風習は途切れかかり、多くの社殿や祠も祭る人がおらず、朽ち果てようとしている。神々が放射能を浴び、今にも死に絶えようとしている風景を、当該記事は容赦なく書き記している。

 そして多田氏は帰着困難地域にある白鳥神社にて祭りを行う。除染により表土がはがれおちた田畑と黒い土嚢に囲まれた場所にて、村人達が見守る中、多田氏は祝詞を諷げる。

 「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の損ないたるは最も憂たき極みにして此の長泥の里も放射能に穢され、五穀の作付は素より帰還困難の区域と定められぬ」
 「今より後は大神の陵威の御霊を蒙らせ」
 「里人の心を振い起さしめ給えと恐み恐み曰す」
 「童らの声聞こゆる元の村へと」

 福島には津波を浴び、放射能を浴びた神々が今でも鎮座ましましている。避難を余儀なくされた人々の故郷を取りもどすことはもちろん、朽ち果てようとしている福島の神々を慰め、再び祭ることは私たちすべての日本人に課せられた責務である。この責務を怠り、忘却したその時、神々は恐ろしき怨霊となり私たちに災いをもたらすであろう。福島の神々を鎮め、祀ることを抜きにして神道の再生も、日本の真の復興もありえない。村人たちと共に、放射能に塗れた土地と神々を祀り続ける多田氏の姿がこれからの私たちが神道の創造していく上での貴重な道標となるはずだ。

 

参考文献
 「現代思想 2017年2月臨時増刊号 神道を考える」青土社 2017年1月
 「芸術新潮 2013年7月号」新潮社 2013年7月

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現代思想 2017年2月臨時増刊号 神道を考える』

 

【関西】定例研究会のご案内

来月の関西地区定例研究会を、下記要領で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加ください。

 

民族文化研究会関西地区第2回定例研究会

日時:平成30年6月3日(日)13時~16時
会場:左京西部いきいき市民活動センター 会議室4
会費:500円
​主催:民族文化研究会関西支部
備考:参加希望者は、事前に当会アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。