【関西】定例研究会報告 とある旧ソ連人記者の日本人論――『一枝の桜 日本人とは何か』を読む

 5月20日に開催された、民族文化研究会・関西地区第57回定例研究会における研究報告「とある旧ソ連人記者の日本人論――『一枝の桜 日本人とは何か』を読む」の要旨を掲載します。

はしがき

 いわゆる日本人論というものは過去から現在に至るまで大量に発表されているが、その中でも外国人の手になるものは、日本人自身による日本人論とはまた違った視角からの問題意識を提供する。今回紹介する『一枝の桜 日本人とは何か』もその一つである。本書はフセワロード・ウラジミロウィチ・オフチンニコフによって記された書物で、1971年に読売新聞社から出版されている(現在では中公文庫にて読むことが可能)。また、訳者のあとがきによると発売直後、旧ソ連ではベストセラーになったらしい。

 著者のオフチンニコフは1926年レニングラードに生まれ、モスクワの東洋大学中国科卒業後、ソ連共産党中央機関紙「プラウダ」に入社。北京特派員を経た後、1962年から1968年に至るまで東京特派員を務めた人物である。いわば生粋のエリートであり、日本通の記者でもあるわけである。

 本書はそのような立場の人間から見た高度経済成長期の日本の貴重なルポである。単なる日本人論としてだけではなく、まだ大衆消費社会が到来していない、前近代的な生活風習がギリギリ残っていた時代の日本の記録としても貴重である。本稿では本書の印象的な記述を適宜引用し、論評を加えていきたい。

第一節 日本人と美

 「日記からの断章」の章では当時の人気歌手のコンサートの様子が興味深げに描かれている。当時の人気歌手に群がる日本人女性を見て、著者は「果たして、これが、あの優雅さ、慎み深さ、非の打ちどころのない感情表出の抑制の典型として聞こえの高い日本娘にちがいないのだろうか。」「これほどまで西欧のモードに目のない現在の日本の若者は、旧世代の道徳と慣習から、もはや完全に断絶してしまったように見れば、そう見えないことはない。」としながらも「ところが、結婚適齢期がくると、この気違いじみた金切り声をふりしぼり、髪を振り乱した女たちは、その一人一人がまたもや優しさ、慎み深さ、しとやかさの典型に変わってしまう。」としている。その理由を著者は、結婚相手を本人ではなく両親が決める風習に求め、日本人が未だ旧時代の遺訓に忠実であることの証明であるとしている。具体的なデータはないが、当時の日本人は恋愛結婚よりもいわゆるお見合い結婚がまだ多数派であったと思われるので、当時と現在の結婚観の違いが表されている。

 また別の部分では日本の新聞各社がそれぞれ独自の販売網を持っていることや記者クラブ制度の存在について「このような考え方は、ブルジョワ新聞の鉄則である競争という概念と、果たして両立するのだろうか。」と疑問を呈している。特に記者クラブ制度については、昨今とくに問題視されているが、当時の外国人の目から見ても特異な印象があったというのは興味深い。

 「道案内がいります」という章では急速に近代化している日本において「この国の姿かたちのなかにはきょうときのうが、いったいどんな割り合いで結びついているのだろうか」と疑問を立て、日本の文化を批評していく。その中で「この国では一生涯雇われるのが当たり前のことである」と当時の日本の終身雇用制に言及する部分もある。

 「イザナギノミコトの鉾から落ちた雫」という日本神話から着想を得たであろう章では、神道の説明に入り、「シントウの信仰こそは、自然との共感、自然の無制限な変容を楽しみうる心、自然の多彩な実に喜悦する心を日本人の心につちかったものなのだ。」と文化論を展開している。神道文化論は昔から今まで数多く書かれてきたが、オフチンニコフもそのよくある神道文化論を踏襲している。

 またいわゆる神仏習合についても、「日本は、いかにもまことらしからぬことだが、仏教にそのとびらを解放し、これほど似ても似つかない二つの宗教は平和のうちに仲よく住みついて、存在し続けている。」と捉えている。これまた現在でもよく見られる日本文化論の型である。

 「宗教にかわる美学」では日本人を中国人と並んで宗教心の希薄な民族であるとしたうえで、日本人の場合、それにかわるものを「美学」であるとしている。そしてその日本人の「美」に対するありかたを叙述していく。

 オフチンニコフは日本人の自然に対する姿勢に特に注目する。「歳時記」の存在を強調し、「日本人が生まれつきもっている性格は、自然を征服し改造しようという強い意思というよりも、むしろ自然と和合して生きようとする、ひたむきな心である。」というような表現を行っている。

 「造形芸術としての料理」でも中国料理と違い、日本料理は素材の味を活かす点が特徴であるとしている。また調味料である「アジノモト」にも言及する部分がある。

 「美の四つの尺度」では日本の美学である「さび、わび、しぶい、幽玄」についてそれぞれ説明を加えている。「さび」は「古いものの魅力、時間の刻印」。「わび」は「俗っぽいところのないこと」。「しぶい」は「単純さの美プラス自然らしさの美」。「幽玄」を「言外の意をほのめかす術、含みをのこすことの美しさそのものを具象化したもの」としている。オフチンニコフはそれぞれ詳細な解説を加えているが、その妥当さがどうというよりも、言語化しにくい美学上の概念をしっかり説明している点は驚嘆に値する。

 これらを踏まえた上で、「時間の経過にともなう変化を喜び、あるいは、それを悲しむ心は、すべての民族が生まれながらに持っている。しかし、永遠に続かないことのなかに美の源泉をあえて見たのは、おそらく日本人だけであろう。日本人が、ほかならぬ桜の花を国花に選んだのは偶然の事ではない」と日本人の美意識を桜に結びつけている。

 「美を教えること」の章では、日本人が小・中学校で行う美学教育がほかの国よりも範囲が広く基本的であることは「外国の専門家たちが認めている」との記述を行っている。また大勢の人間が月見に訪れた際の様子をスケッチするなど、日本人と美の関係性に注目している。

 興味深いのは「花と茶」の章である。この章では三池炭鉱での労働者争議の様子を取材した文章を収めている。事故で夫を亡くした炭鉱婦がハンストを行い、その合間に休憩所で生け花の稽古をしていたのであるという。その光景に対してオフチンニコフは「それにしても生け花サークルのことは、どうしても書くだけの値打ちがある。切羽の暗闇の中で何日間もハンストをやったあとで、また新しい力をくみとるために、チューリップと桜の枝の組み合わせの中に美を求めるということ―そこにこそ、日本的性格の典型的な特徴が具体的な形となって現れていたからであった。」と深い感銘を受けたことを記している。労働運動から日本人の美の感情をくみ取るのはいかにも旧ソ連共産党の人間らしい発想である。書名に「一枝の桜」と付けたのはこの光景から受けた感銘からであろう。

第二節 日本人の行動様式

 「ものみなその分あり」では日本人の行動様式を「分」の概念から説明しようとする。「日本人は行為を正しい行い、正しくない行いに分けずに、分相応な行ないと、差し出た行ないというふうに評価する。「ものみなその分あり」なのである。」といった具合である。

 また「「義理」としての良心と自尊心」では日本人の行動様式の第二を「義理」で説明しようとする。オフチンニコフは「義理」を「善、悪という抽象的な概念以外のものにもとづいた義務意識であり、こういう状況の場合には、こういう行動をとれと厳重に定めた人間関係の規則に基づく義務意識である。」と定義付けている。そしてこのような観点からオフチンニコフは日本人の行動規範や彼自身が言う「日本人の二重性」を解き明かそうと試みているのである。

 その他、現代でも通ずる小噺的な章もある。「なぜ沈黙は言葉より雄弁か」では日本語の「はい」「いいえ」が実は単なるイエス・ノーではなく、非常に多様な意味が込められていることを紹介している。

 「軒下の日かげ」や「六枚の畳」などでは日本住宅の特質をやはり自然との親近性によって論ずるなど、ここでも日本文化観は一貫している。一方で、「車に乗る生活」では交通事故による死者が一万五千人、負傷者五十万人という当時の交通戦争の在り方が垣間見える記述もある。

 また一方で「過密と過疎」では現在さらに深刻な問題となっている都市と地方の格差問題を、「女と手」では都市に出稼ぎに出た若い女性の待遇の問題に注目するなど、いかにも共産主義国の記者らしい視点が反映されている。

 最終章「フジに登る」では著者の富士登山の様子が描かれている。その合間に富士山がゴミによって汚れている事実(当時は美観の意識が相当薄かったと思われる)や富士山頂の権利をめぐって富士山本宮浅間神社と国の間で争われている裁判の事実などが指摘されている。そして最後に、オフチンニコフは富士山頂上のレーダーがベトナム戦争時の米軍に情報を送っていたことや、富士裾野の米軍海兵隊基地を見て次のような感慨を漏らす。

 

  ほかならぬ日本全国民にとっての聖地、国民の主権が遠慮も無く踏みにじられている場合、フジが神社の財産か国の財産かという訴訟を何年も続けることなど、なんの意味があろうか。フジの西斜面にぽっかりと深くあいた傷を見るのが、日本人にとってどんなに身を切られるような思いであっても、東斜面におけるヤンキーたちの無礼な所業を我慢するほうが日本人にとって、はるかにつらいことである。時がくれば、別の法廷―歴史という法廷―が、外国の軍部にフジの斜面をわがもの顔にすることを許した者に判決を下すだろう。

 

  フジ山は、いまでもやはり日本の国民的象徴である。もしホクサイが生きていたら、かれはフジの三十七番目の顔を描いたことだろう。かれはフジの山体を引き裂く砲弾の炸裂だけでなく、特殊訓練場にすわりこんだ武器ひとつもたぬ素手の女たちを描いたであろう。かれは、その尊厳を傷つけられはしたが、完全に踏みにじられないこの聖地、日本民族の象徴であるこの聖地が、いまは眠っているけれども死に絶えたのではない火山であり、そのたくましい力を示す能力をもった火山であることを思い出させてくれただろう。

 

 旧ソ連人だけあってアメリカへの敵愾心が濃厚に出ている文章であることは否定できない。しかし、現在も富士山には米軍海兵隊によるキャンプ富士が存在している。オフチンニコフの投げかけた「尊厳」の問題は今まさに我々の現前に存在し続けているのである。

むすび

 オフチンニコフは旧ソ連人でありながらも日本と日本人に強い愛着を抱いていたようである。もちろんそれは、共産主義国の記者特有のイデオロギーが濃厚に反映された日本像であって、公正なものであるとは言い難い。またあくまで記者のレポートであるので、学問的な厳密さが本書にあるわけではない。しかしグローバル化が進み、全てがフラットになる現代の世界でオフチンニコフが関心を寄せた文化や風習は急速に我々の目の前から姿を消した、あるいは消そうとしている(当然この現象は日本にのみ起こっているわけではない)。この状況に対して我々自身はいかなる生き方を選択すべきなのであろうか。筆者は、あくまでいまだに残っている「日本の文化」を継承すべきであると強く考えている立場である。

参考文献

Ⅴ・オフチンニコフ著 早川徹訳『一枝の桜 日本人とは何か』読売新聞社 昭和四十六年五月

※なお、本文中の年代記述は著者がソ連人であることを踏まえて西暦としたが、参考文献の発行年月日は日本の元号のままとした。

※本稿は民族文化研究会関西地区の第五十七回定例研究会での発表原稿に加筆訂正を加えたものである。