【関西】定例研究会報告 平泉澄『山彦』を読む

令和3年9月18日に開催された民族文化研究会関西地区第38回定例研究会における報告「平泉澄『山彦』を読む」の要旨を掲載します。

はしがき

 いわゆる「皇国史観」の主唱者として知られる歴史家の平泉澄(1895年(明治28年)2月15日 – 1984年(昭和59年)2月18日)は、昨今、ようやくその思想や歴史観に研究の光が当てられるようになっている。著作も錦正社などの出版社などから復刻されて、購読が非常に容易になっており、いわゆる「平泉史学」に足を踏み入れることは、専門の研究者ではなくとも、難しくはなくなっている。

 平泉に言及する際には、戦前・戦中の活動に主に比重が置かれており、戦後のそれに関してはあまり触れられない傾向がみられる。しかし、平泉は戦後も長く存命しており、東京の銀座に国史研究室を設置するなど、旺盛な言論活動を続けていた。

 その戦後の言論活動の一つに『週刊時事』での「ひとこと」欄での一般読者層に向けた文章の執筆があげられる。毎回およそ一千字程度の短文で、これをまとめた書籍『山彦』が昭和42年(1967年)に出版された。その後も増補版が出版され、平成20年(2008年)に新装版が勉誠出版から出版された。

 新装版のあとがきにて平泉澄の孫にあたる平泉隆房は「本書は、祖父平泉澄の数ある著作のなかでも、格別な一冊である。祖父自身が、来訪者に本書をしばしば進呈してゐた姿が想ひ出される」と記している。本書は学術的な出版物ではないが、戦後の平泉にとって重要な位置を占めているのではないかと思われる。本稿では、本書に収録されている短文の中でいくつか興味のひかれるものを引用し、論評を加えたい。

 

 「歴史」と「観光」

 「祖国とのめぐりあひ」という文章では、作家の尾崎士郎の沖縄旅行の体験記を記すところから始まる。尾崎は沖縄の戦績を見る中で本土の観光とはまったく違う感激に達したとし、特に牛島司令官・長参謀長の自決の丘にてその思いが最高潮に達したという。平泉は尾崎の話を聞いて、深い感慨に打たれたという。そして本土の観光に対して「(前略)山河自然に対する敬愛、神社仏寺に於ける祈り、父祖の足跡にひざまづくつつましさ、つまり自分の精神を深め、品性を高める巡礼行たらしめよ」と意見を述べている。

いわゆるレジャー的な観光に対する批判であるが、それ以上にこの「祖国とのめぐりあひ」が興味深いのは、沖縄の戦績を想う際、「沖縄では、軍も官も民も、すべて一心、全島一体となって戦ひ、あげて国難に殉じた。そして今生き残ってゐる人々に、祖国復帰の念願は、少しも衰へていない」と記している点である。この文章は昭和38年(1963年)の執筆であり、沖縄の本土復帰前である。沖縄の復帰を熱望しているのは当然として、沖縄の戦跡に対して、「国難に殉じた」との感慨を抱くのは、一般の想像力とはかなり乖離しているように思われる。基本的に現在の沖縄での戦跡見学は(学校の修学旅行が典型であろうが)「戦争の悲惨さ」を前面に出したものであり、平泉や尾崎が抱いたような感慨とは別物である。ここでも平泉は戦前から一貫した国家観を有していたことが伺える。

また、歴史的な由緒を持つ場所が野放図に売買されることに否を突き付けた文章に「島の売買」がある。この文章は紀州にある明恵上人ゆかりの島(鷹島という)が、売買されようとしている現状を嘆いているものである。平泉は明恵を尊皇の志篤い僧であると認識しており、その嘆きは一層深いものであったと言える。平泉は「人は魂を失ひ、国は精神を棄て、おどけたる見世物となつて、それでよい物か」と結んでいる。

しかしその後「野に義人あり」という文章では島の買主が平泉の著書『父祖の足跡』を読んで明恵の高徳を知り、計画を変更して、その遺徳を顕彰しようと決意したいきさつが記されている。これを受けて平泉は「ああ野に義人あり!先哲崇拝の至誠、史跡保存の熱意、それを私は、外ならぬ在野の人に見た。これ亦、上人の余徳であるか」と感激を以て記している。

平泉の歴史と観光に関する態度が最も明瞭に表されているのが「観光」である。まず平泉は「観光は本来望ましい事、其自身には反対すべき何者も無い。只問題となるのは、観光開発又は観光施設の名に於いて行われがちな自然の風致の抹殺や、史跡の破壊であり、観光者自身の軽薄なる態度によつて侵されがちなる自然と歴史の冒涜であり、落ち着いて実務に服する質美の美風の失はれる事であり、観光業者の利益追求による不快等であろう」と「観光」の持つ問題点を指摘している。そして平泉は宮崎県において、とある観光事業が営利ではなく、奉仕として行われている事例を紹介し、「観光の尊いのは、人の心を養ひ、うるほひを持たせ、人々に自然と先人とに対する畏敬と感謝の念を生じせしめる所に在り、事業の尊さは、それが奉仕の精神に充ちている所に存ずる」と自らが理想とする観光像を提示している。

むすび

平泉にとって、史跡や名所を巡るといった行為は、先人たちが紡いできた歴史と接続する営みに他ならなかった。その「歴史」を語る際に平泉の場合はあまりに道徳主義的(当然、「皇室」や「国家」を栄えさせることを前提とした)ではある。しかし、いわゆる学者以外の通常の読書人に歴史家や作家が歴史を語る際、現在でも「道徳主義的」でない語りがどれほどあるであろうか。平泉はあくまで自身の歴史観に基づいた人間像を通常の読み手にも説き続けたのであった。『山彦』はそんな平泉の姿が垣間見える貴重な書籍である。

 

参考文献

平泉澄『山彦』勉誠出版 平成20年12月

 

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平泉澄