【関西】定例研究会報告 徂徠学の近代性――丸山真男の徂徠解釈と日本近代

 5月6日の民族文化研究会関西地区第1回定例研究会における報告「徂徠学の近代性――丸山真男の徂徠解釈と日本近代」の要旨を掲載します。

 

議論の前提――徂徠と近代

 江戸期の儒学における、朱子学批判を中心とした特異な潮流に対し、近代性の萌芽を発見する姿勢が、日本思想史学の主要な思考枠組となってひさしい。言及するまでもなく、こうした姿勢の起点は、丸山真男である。そして、丸山真男が、こうした江戸期の儒学における近代性の萌芽の典型として定義したのが、ほかならぬ荻生徂徠である。丸山は、徂徠が朱子学の道徳的リゴリズムを打破する思想的営為のさなかで、近代社会の要件である「公私構造」と「主体の作為性」を日本思想に導入することに成功した、と説いている。本稿においては、こうした徂徠学の近代性を検討することで、江戸期の儒学における近代性の萌芽に対し考察を及ぼす。まず、先に述べたような徂徠学における「公私構造」と「主体の作為性」を検討し、こうした丸山の徂徠観に対する近年の批判も検討する。続いて、丸山がこうした近代的な徂徠観に至った源流である「西欧的近代との対照性のなかで把握された日本的近代」という近代像について、徂徠との連関のなかで是非を論じる。こうして、日本的近代の起点である徂徠学という丸山の提示した徂徠観について、考察を及ぼす。

 

一 徂徠学における近代

 土田健次郎が簡潔な整理を行っているが(『江戸の朱子学』)、朱子学の思考様式の要諦とは、「個人と社会の直結」と「自然的秩序」である。朱子学は、個人の人格的完成と社会に対する貢献が、いかなる摩擦・反発・対抗も経験せず、連続的に直結されることになる。また、社会秩序は自然法則と連動しているという認識が伏在し、こうした自然的秩序は人為的には改変できないと捉える。丸山真男は、朱子学を「道理」が同時に「物理」である、すなわち倫理(個人・社会)が、自然に連続している思考様式だと定義しているが(『日本政治思想史研究』)、こうした状況の妥当な表現だと評せる。そして、丸山は、こうした状況では、私的領域と公的領域の両者が、未分化の状態にあると評価する。内面の修養と国家の運営を同一の地平で説明することで、私的領域と公的領域が混然一体と化しているわけである。また、主体による作為が否定され、静態的な秩序が継続されると評価する。人為的な改変を忌避する自然的秩序では、主体的な社会変革が生じないわけである。このように、朱子学の内部には道徳的リゴリズムと自然主義が伏在し、それらが前近代的思惟を形成している、と丸山は判断している。

 では、こうした前近代的思惟である朱子学を、徂徠を起点とする江戸期の儒者は如何に批判・克服したのだろうか。丸山によると、こうした社会秩序を個人道徳の延長線上で把握する朱子学に対し、近世日本において道徳とは一線を画す社会秩序の固有法則性を発見する思想的系譜が出現した。こうした思想的系譜は、山鹿素行伊藤仁斎を経て、徂徠に至って頂点に達する。すなわち、人間の本性である「人性」の自然性によって道徳を基礎づける朱子学の道徳的リゴリズムと自然主義は、朱子学における道徳を「人性」の自然性から乖離した抽象的思弁として批判し、両者の分離を企図する仁斎学によって否定され、この「天道」と「人性」の分離の延長線上に、さらに徂徠における「天道」に対する不可知主義による徹底化が出現した(徂徠における「天道」の問題については、陳暁傑「荻生徂徠の『天』」も参照)。他方で、こうした「天道」や「人性」といった道徳的規準から外されることで「脱道徳化」された徂徠学における「道」は、それまでの聖人による超歴史的な道徳理念から、単なる聖人の施行した礼楽制度に過ぎないとして「歴史化」され、「治国平天下」という政治性を本質とし、公的・政治的・社会的世界として展開することになった。これに対し、残された私的・個人的・自律的世界は、前者とは領域を異にする世界として、その存在を承認された。そして、人情や人欲が肯定され、これらを根拠とする文芸・美術の独立した価値が認識されるようになった。こうした思想的系譜は、公的・政治的・社会的側面は太宰春台ら経学派へ、私的・個人的・自律的側面は服部南郭文人派を経由し宣長学へ継承される。こうして、徂徠を頂点とする思想的系譜は、近代的な「公私構造」を産出するに至るわけだ。そして、徂徠は、それまでの根本的に「天道」によって基礎づけられていた聖人を、それ自体が人格として歴史に登場し、一切の「道」に先行し、無秩序から秩序を構築する者として把握した。ここに聖人の設定した「道」は、各王朝の開国の君主による、その都度ごとの作為をへて、新たな主体化を経験する形で継承されていく。ここで初めて「一切の秩序の主体的創造」という近代的な「主体の作為性」が規定されたのである。

 このように、丸山は徂徠学を、「公私区分」と「主体の作為性」から構成される、「一切の秩序の主体的創造」だと認識し、ここに近代的な社会構造・政治構造の生誕が読解されるわけである。また、こうした徂徠学は、朱子学における道徳的リゴリズムや自然主義と対置され、こうした既存の朱子学の根本的な批判・克服を通した、近代的思惟の構想であると定義されるわけである。こうした丸山の徂徠解釈は、平石直昭によって継承された(「徂徠学の再構成」)。平石は、公的観念に内包される道義性・私的次元の自律性・主体存立の条件といった課題について精緻な検討を試み、徂徠学の近代性をいっそう強調した。しかし、こうした丸山の徂徠解釈に対しては、批判も提起されている。尾藤正英は、徂徠における人情や人欲がそれ自体として、いわば自然権として許容されたわけではなく、社会有機体(封建的支配体制)にとって有用な限りで肯定されたに過ぎないと主張する(『日本封建思想史研究』)。したがって、徂徠は一面で人間性の解放を唱えると共に、しかしその解放の方法や方向を、全く人間性にとって外在的なものにしているという点において、また依然として社会有機体の利害に順応しなければならないという点において、人間性の制限・抑圧の論理をも強く内在させている、というわけである。尾藤の主張を整理すると、徂徠における主体は朱子学の統一的な規範の羈束から解放されているとはいえ、依然として封建制的な職分社会の有機的単位としての処遇しか与えられていない、とするものである。

 

二 範型としての西欧的近代

 これまでの議論を整理すると、朱子学の道徳的リゴリズムや自然主義の解体を徂徠学から読解し、「公私構造」と「主体の作為性」による近代的社会構造・政治構造の創出を発見する丸山真男および平石直昭の徂徠解釈に対し、尾藤正英は(一)徂徠における人間の個性は、封建体制に有益である限りにおいて許容されたに過ぎず、いわばそれが自然権的に承認されたわけではない (二)(一)から、徂徠における主体は封建体制の枠内において設定されており、充分な自律性を発現しえなかったのではないか の二点を中心として批判を提起した。このように、丸山の徂徠解釈に対し、賛否の両論がそれぞれ主張されている議論状況が存在しているわけである。こうした議論状況を概説した第一章に続いて、本章では丸山がこうした近代的な徂徠観に至った背景である「西欧的近代との対照性のなかで把握された日本的近代」という近代像にまで遡行することで、こうした議論状況に対して考察を及ぼしたい。徂徠に仮託された丸山における「近代」のイメージを源流にまで辿ることで、徂徠の「近代主義的解釈」の是非を問うことができるわけである。

 下川玲子が指摘しているように、丸山にとって徂徠による朱子学的世界の解体は、ホッブズによるスコラ学的世界の解体との対照性のなかで解釈されている(「日本近世思想における近代の萌芽」)。まず、丸山は、朱子学の基本的な特質を、中世ヨーロッパにおけるスコラ学になぞらえる。スコラ学において、人間関係・社会関係は自然的関係であり、自然に立脚するがゆえに、人為的には改変できないとされていた。そして、朱子学も同様に、人間・社会の倫理と自然法則が連動すると解釈し、社会秩序を自然に根差した改変不可能な制度と看做した。こうした「封建体制を支える中世思想」という共通項をもつ朱子学やスコラ学を解体することによって、近代的思惟は生誕することとなる。そして、丸山が「朱子学の破壊者」として看做したのが徂徠であり、他方で「スコラ学の破壊者」として評価したのがホッブズだった。丸山は、自然的秩序思想ないし社会有機体説が解体し、個人が主体的に社会秩序を創造できるとする「作為」の思惟の成立を、すなわち個人の発見と、個人の秩序に対する主体性の自覚を近代性の要件として要求した。機械論的宇宙観の導入によって有機体的宇宙観を打破したホッブズと、絶対的な規範である「道」を聖人による人為的な秩序形成へと転換させた徂徠は、こうした秩序像・主体観を創造したと認識されたわけである。ここで、中世思想の解体と近代的思惟の生誕へ至る潮流が、西欧と日本において並行して展開されたとする丸山の近代像が成立するわけである。

 これまでの議論を整理すると、自然的秩序を根源とする「封建体制を支える中世思想」として朱子学・スコラ学が定義され、これらの解体を近代化過程の起点とする認識が提示され、したがって作為を基礎とする主体観・秩序像によってこうした中世思想を打破した徂徠とホッブズが近代的思惟の東西における生みの親と評価され、これにより日本と西欧の近代化過程は一定の並行を辿ったとされ、このため日本的近代は西欧的近代の対照性のなかで把握されることとなるわけである。こうして、丸山の近代像を素描することができたわけだが、これには重要な問題が伏在していた。そして、こうした丸山の近代像の問題に、徂徠解釈についての問題も存在しているわけである。その問題とは、(一)ホッブズを西欧における近代的思惟の代表者として評価してよいのか (二)ホッブズと対照させたために、徂徠解釈において問題が生じたのではないか という二点に集約できる。まず、(一)についてだが、ホッブズを西欧における近代的思惟の代表者として評価しては、問題が生じるのではないだろうか。坂本達哉が説明しているように、西欧近代思想は大陸合理主義とスコットランド啓蒙の潮流に分かれ、西欧的近代も大陸モデルとスコットランドモデルに二分されている(『ヒュームの文明社会』)。ホッブズは英国の思想家だが、デカルトからインスピレーションを受け、スピノザと共に唯物論の先駆的考察を行った点から見ても、通常は大陸圏の思想家として処遇される。すなわち、ホッブズを準拠枠として成立した丸山の近代像は、西欧的近代のうちでも大陸モデルを採用しているわけである。

 だが、スコットランドモデルを意識的にか無意識的にか無視する丸山の姿勢は、はたして妥当なのだろうか。西欧的近代の大陸モデルとスコットランドモデルを分岐させる最大の指標は、その合理性についての観念の相違である。大陸モデルは、全能的なまでの理性を主体に仮託し、その理性的主体による設計主義的な社会構築を容認するが、対してスコットランドモデルは理性への懐疑を基調とし、慣習の蓄積である自生的な秩序を社会形成の根幹に設定する。ヒュームやA・スミスを源流とするスコットランド啓蒙は、中世的な絶対的自然秩序思想の「である」で表される秩序意識でも、大陸合理主義における全能的な理性的主体による「つくる」で表される秩序意識でもなく、第三の市民社会における相互行為によって成立する自生的な秩序を尊重する「なる」で表される秩序意識を、近代を稼動させる原理に選択したわけである。過剰な合理性という危険性を孕んだ大陸モデルだけでなく、節度のある合理性を選択したスコットランドモデルも、日本的近代を判断するうえでの準拠枠として採用できなかったのだろうか。そして、丸山自身も、後期はこうした「なる」という秩序意識に関心を寄せ、日本思想史の系譜のなかに「なる」という秩序意識を発見するに至るわけである(「歴史意識の古層」)。すなわち、丸山における西欧的近代との対照性のなかで日本的近代を評価するという大枠の方法論は妥当だったが、複数ある西欧的な近代化モデルのなかでどのモデルを選択するかという段階において誤謬を犯したのではないか、と指摘できるわけである。そして、(二)についてだが、 ホッブズと対照させたために、徂徠解釈において問題が生じたのではないか 、という問題は(一)における課題とも密接に連関している。尾藤による丸山の徂徠解釈批判は、その要諦としては徂徠における主体性が丸山の主張するような完全なものなのか疑問だとするものだが、これはホッブズ‐大陸合理主義を準拠枠として徂徠を解釈したために、理性的主体という側面を、すなわち「作為」の契機を過剰に解釈したため、と指摘できるのではないだろうか。「自然」を打ち破る「作為」という発想は徂徠の思索における重要な要素とはいえ、それにホッブズ‐大陸合理主義ほど固執すべきなのだろうか。過剰な合理主義という契機が、丸山の徂徠解釈に与えた影響を慎重に検討すべきだろう。

 

参考文献

土田健次郎『江戸の朱子学』(筑摩書房、2014年)
丸山真男『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952年)
丸山真男「歴史意識の古層」同『忠誠と反逆』(筑摩書房、1998年)
平石直昭「徂徠学の再構成」『思想』766号(1988年)
尾藤正英『日本封建思想史研究』(青木書店、1961年)
下川玲子「日本近世思想における近代の萌芽」『人間文化――愛知学院大学人間文化研究所紀要』28巻(2013年)
坂本達哉『ヒュームの文明社会』(創文社、1995年)

 

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丸山真男