【静岡】定例研究会報告 美濃部達吉『憲法撮要』を読む(1)国家論

 当会静岡支部では、美濃部達吉憲法撮要』の読書会を行っていますが、参加者の便宜を考え、本書の内容をまとめた読書ノート(輿石逸貴(当会会長、弁護士)執筆)を掲載します。読書会の進捗状況に合わせ、逐次掲載しますので、参考にして下さい。

 今回は、第1回の読書会で範囲となった箇所(1~15頁)を解説します。

=======================================

 戦前に最も通説に近い立場から書かれていた憲法教科書、美濃部達吉憲法撮要』(改訂第五版、呉PASS出版)の読書日記を、逐次アップしていきます。

 また、帝国憲法制定時の公式注釈書である伊藤博文憲法義解』、そして美濃部達吉、佐々木惣一ら立憲学派と対立していた正統学派の代表的論者である上杉慎吉憲法述義』を、副読本として使用していきます。

法律学に於ける論理の価値は比較的に限られたもので、それよりも遥に重要な法律学者の任務は、何が正義であり、何が社会的利益に適するかを判断することに在らねばならぬ。」「観念は唯実定法を説明する為の補助手段に過ぎぬ」(第五版序)

 ⇒法学者は、「論理」や「観念」ばかりに気をとられてはいけないのであって、解釈による結論が「正義」や「社会的利益」に適合していることが肝心なのであるというある意味当然のことを説いています。

 弁護士も、「社会正義」の実現を使命とされているのですから(弁護士法1条)、結論の妥当性を考慮することを忘れてはいけなません。

 なお、この記述は、当時提唱されていた、法に政治的社会的倫理的価値判断を持ち込まず、純粋に法的論理のみにより法を解釈するという学説(純粋法学)を意識したものです。

国家成立の起源(8頁)→

諸学説→(1)神話の伝説により説明する(神意説)、(2)君主は一家の家長であり、君主は国民の親である(家族説)、(3)国家は経済上の資産である(財産説)、(4)国家は人民による契約である(契約説)、(5)国家は強者の実力により誕生したにすぎない(実力説)、(6)国家は人類の社会的天性もしくは民族精神という人類の心理によるもの(心理説)

美濃部説→(1)説:学問的ではなく宗教的信仰にすぎない。(2)説:国家と家族は違う。(3)説:国家の一側面を見ているに過ぎない。(4)説:歴史的事実としてそのような契約はないし、なぜ契約が子孫まで永久に拘束するのか不明である。
→(5)と(6)説:国家は実力と心理の両面により成立したものと考えるべき

 ⇒このように美濃部は、社会契約説の立場には立っていません。また、神話による国家成立の説明も否定しています。

 気になった点が一つ。なぜ社会契約が子孫まで拘束するのかと批判していますが、たとえば現代の賃貸借契約でも賃借人死亡後も権利は相続されますので、契約の効力が子孫まで拘束されるということはありえます。したがって、あまり有効な反論とは言えないというべきでしょう。

国家の本質(9頁)→
国家の(外部的)三要素→(1)国民、(2)領土、(3)統治権
国家の(内部的)要素についての諸学説→(1)国家は事実上の威力(実力説)、(2)国家は人類の道徳を完成するための制度(道徳説)、(3)国家は生物と同様の社会的有機体(有機体説)、(4)国家は国民の力の結合(合力説)、(5)国家は団体的単一体である(団体説)

美濃部説→(1)(2)説:一面しか見ていない、(3)説:国家は生物とはあまりにも違うところが大きすぎる、(4)説:団体説により説明が可能。(5)団体説こそが国家の本質の説明として妥当

  ⇒このように、美濃部は国家=団体といういわゆる国家法人説天皇機関説)を唱えました。
 これは特異な説ではなく、当時のドイツの国法学の権威、ゲオルク・イェリネクの説を輸入したものです。

 なお、有機体説ですが、国家が生物とは違うのは勿論ですが、国家を比喩的に説明したものとしてはわかりやすいのではないかと考えています。

 この点につき、憲法学者百地章先生も、ネイション(国家)=有機体であるという説を唱えています。

 また、道徳説は、上杉慎吉が採用しています。しかしながら、国家を超えた国際貢献という活動も考えられる今日では、国家が道徳を完成する最高の場所であるという考え方はあまりに国家主義に偏しており、現代では到底採用できないでしょう。無論、ときに国民は国家のために尽くす道義も要求されることを否定はしません。

美濃部達吉憲法撮要 改訂第五版』(呉PASS出版)1-15頁

 

f:id:ysumadera:20200714203921j:plain

美濃部達吉