【関西】定例研究会報告 日本音樂を私達の生活に取り戻すために(第六囘)――能樂

 平成31年1月13日に開催された民族文化研究会関西地区第9回定例研究会における報告「日本音樂を私達の生活に取り戻すために(第六囘)――能樂」の要旨を掲載させて頂きます。

 

 この企劃は現代音樂に滿たされた現代日本人に明治以前の日本の音樂を知つてもらふため、まづは私達自身が詳しくなり傳道していかうと云つた考へのもと始めました。
 今囘は日本音樂の大きなくくりである、雅樂・聲明・琵琶樂・能樂・箏曲・三味線音樂・尺八樂・近現代音樂・民謠のなかから能樂に就いて解説致します。下記は今囘解説する項目です。

一、 能樂の成立  二、觀阿彌と世阿彌 三、能樂の樣式
四、能樂の音樂 五、今日の能樂 

一、 能樂の成立

 能とは日本で初めて成立した演劇のことです。能樂は能と狂言の總稱で、明治以前は猿樂(申樂)が一般的な名稱でした。猿樂能も能と同義です。能樂は奈良時代に唐から傳來した散樂が源流とされてゐます。散樂は殆どが雜技で、幅の廣い内容や種目で構成され、現代のサーカスに相當する見せ物的なものです。散樂は次第に日本古來の滑稽な寸劇と習合して平安中期には猿樂と呼ばれるやうになりました。
 猿樂は平安~鎌倉期邊りまでは曲藝・輕業・奇術・物まねが主體で、平安時代末の藤原明衡著『 新猿樂記』には、田樂、傀儡、品玉、舞、からくり人形、曲藝などと竝んで、後の能の源流となるやうな記述部分があります。すなはち獨身の尼さんに乳兒用のおむつが必要になる妙高尼の襁褓乞ひ、京童とおのぼりさんの東人との珍妙なやりとりをする東人の初京上と云つた工合の寸劇ものです。都の人が抱腹絶倒してゐたと記されてをり、當時の樣子も伺へます。
 鎌倉~室町期に猿樂は次第に各種の藝能に分化されて、曲藝・輕業は田樂に、奇術は傀儡師に、物まねは能・狂言(猿樂)に發展していきました。この頃になりやつと猿樂が現在の能樂の枠に收まることになつたのです。鎌倉~室町初期の猿樂は現在の能と云ふより狂言に近い言葉遊びを主體としたものでした。それがいつから物語性の強い演劇に變貌したかの經緯は不明ですが、具體的な内容がわかるのが貞和三年(西暦一三四九年)の春日若宮御祭に於てです。巫女や禰宜が演じ、遣唐使が琵琶の曲を日本に傳へ歸朝する時に龍王龍神が出でてこの曲を取る、などの三作品を大人數で演じ、龍王龍神には面も用ゐてゐました。
 かうした物語性の強い演劇のほかに、猿樂が表藝として行つてゐたのが式三番と呼ばれる祝?藝です。翁、父丿尉、三番叟と云ふ三人の老人がそれぞれ登場して、別個に天下泰平、五穀豐穣をことほぐ儀式性の強い演目ですが、どのやうな經緯で誕生したのかは不明です。しかし興福寺薪能で行はれる式三番を古くから呪師走りと呼ぶことから、呪師と關はりがあると云ふ説があります。鈴を持つ點、大地を踏みしめるやうに足拍子を踏む所作などが共通點として指摘されてゐます。猿樂は鎌倉時代には寺院や神社とのつながりを深め、法會や神事に附隨して式三番を演じるやうになり、式三番を演じるための集團、坐を組むやうになつたと言はれてゐます。室町初期の大和には圓滿井・外山・結嵜・坂戸の四坐が誕生してゐました。これらの活動を總稱して呪師猿樂と翁猿樂としてゐます。
 室町初期には坐が關西地區に散在してゐましたが、特にものまね藝を根幹とする大和猿樂、幽玄さを根幹とする近江猿樂、この二派に觸發されて發生したとされる田樂能が突出します。大和の結嵜坐に所屬する觀阿彌(西暦一三三三~八四)世阿彌(西暦一三六三?~一四四三?)父子は、庶民や寺社を對象にしてゐた猿樂を高度な演劇に變質させました。足利義滿に目をかけられ將軍を始めとする貴人がパトロンとなつたことを契機に神事性が強い式三番より娯樂性の高い演目に比重が移されるやうになりました。また金春・寶生・觀世・金剛と云ふ役者個人の名が、坐の名稱より表に現れ、流儀名となりました。他坐の卷き返しもありましたが、桃山時代に能樂は大和猿樂の四流に獨占される結果となりました。(圖一)

二、 觀阿彌と世阿彌

 能樂者の觀阿彌清次は大和猿樂の一坐、結嵜坐を創建して棟梁となりました。觀阿彌以前の大和猿樂はものまね藝を中心とし、鬼など強い役柄による問答などの面白さを基本としてゐました。一方の近江猿樂は、女など幽玄なものを得意としてをり、また同時代に活況を呈してゐた田樂能は歌舞音曲で人氣をとつてゐました。觀阿彌は近江猿樂の幽玄さ、田樂能の歌舞性、南北朝時代に流行してゐた小唄や早歌を學び、更に曲舞のリズム中心の構成法を攝取して大和猿樂に大膽な改革を加へ、從來の猿樂になかつた音曲や作劇の面白さで人氣となります。
 今熊野神社で父觀阿彌と十二歳の美貌と才能にあふれる息子世阿彌とが演じた猿樂能を見た足利義滿一七歳は、その魅力の虜となり生涯觀世親子のパトロンとなりました。その結果大和猿樂は地位向上と他流を壓倒する人氣を得ていきました。世阿彌二十一歳のときに觀阿彌が駿河で巡業中に死亡したため結嵜坐の二代目太夫となります。義滿の變はらぬ庇護もあつて名望も高く、坐も繁榮しましたが、義滿は近江の名優道阿彌の情緒あふれる藝風を評價するやうになり、これをきつかけに世阿彌は大和猿樂の傳統である物まね本意から幽玄能へと藝風を變化させます。義滿の次代の將軍義持は、猿樂能よりも喜阿彌の田樂能を愛好しました。世阿彌は大和猿樂の劣勢を挽囘すべく、田樂能の長所も取り入れました。現在能が主力であつた觀阿彌と異なり、世阿彌は夢幻能を確立、密度の高い名作を數多く創作します。現在能は現世に生きる人間を主役にし、夢幻能は靈が主役のものです。
 世阿彌の功績は、かうした新しい樣式や作能以外に、「 祕すれば花」の句で有名な『 風姿花傳』をはじめ、樣々な傳書を書き殘したことです。特に世阿彌の序破急論の展開は極めて深淵・複雜なもので、雅樂の舞樂用語で使はれたもとの意味とは大きく變化し、複雜な概念を持つ藝術論用語にまで擴大されました。その哲學的な思考は後代日本文化に大きな影響を殘しました。
 しかし最後に世阿彌は將軍義教の怒りに觸れて佐渡へ配流され、その後の消息は不明のまま生涯を終へました。觀世流は甥の音阿彌が繼ぐことで流派の斷絶はしませんでした。

三、 能樂の樣式

 能は屋根のある專用の舞臺で演じられます(圖二)。明治以前は屋外に能舞臺と別棟の觀客席とを作つた名殘です。足袋ですり足が能の動作の基本ですから、四本の柱に圍まれた三間四方の檜ばりの舞臺は見事に磨き上げられてゐます。この四本の柱で演者は位置を確認してゐます。正面奧には松の老木が描かれた鏡板と云ふ大羽目板があります。舞臺と鏡板の間が後坐とよばれる囃子方と後見が坐る場所で、その右奧に切戸口がありますが、これは地謠や後見などの出入り口です。舞臺右側が地謠坐と呼ばれ、地謠の面々が奧よりに坐る席です。舞臺から向かつて左斜め奧につながるてすりのついた長い廊下は橋懸りと言ひ、單なる出入りの道ではなく舞臺の延長です。橋懸りの奧、揚幕の先は鏡の間と言ひ、客席から見えませんが舞臺へ出る前の演者が裝束や面を附ける場所です。なほ、樂屋は別にあります。
 前に突き出た觀客席との間に幕もない舞臺は、能樂だけのもので背景もなければ大道具もなく、わづかに作りものと稱する最小限の舞臺裝置がおかれるだけです。主演者は、役に扮して舞臺に立つ立方と、器樂の囃子方、謠の地謠方、そして後見の四種類です。
 立方は主役のシテ、脇役のワキ、科白劇的な演技部分をうけもつアイで構成されます。シテが二人の場合はもう一人をシテヅレとよびます。ワキはワキヅレ、アイは重要な役をオモアイ、他をアドアイと呼びます。囃子方は笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方とあります。地謠方は齊唱で謠の地の部分をうたつてシテその他の演技を助けます。通常八人程度の人數で、舞臺に向つて右手の地謠坐に二列に竝びうたはれ、後列中央寄りの一人を地頭といい,地謠を統率します。後見は裝束を直したり作り物や小道具を扱ひます。しかしシテに事故などがあつた場合に直ちに代役を務める役目があります。また、立方と囃子方にはそれぞれ固有の流派が存在してゐます。
 能の登場人物を類型で區分すると靈體・準靈體・現在體になります。靈體は神や物の精・亡靈で、準靈體とは鬼や天狗など肉體を有しながら實在の人間ではないもの、現在體は現在に生きる人間のことです。能面はこれら區分によつて變はり、男體以外は面があります。能面は七十種類あり、それぞれの役側に応じて老若男女から靈體など、柔和なものから嚴しい表情のものまで準備されてゐます。素顏は直面と云はれ、これも面と同じやうに考へられてゐるので、無表情が原則です。能面に応じて裝束も變はりますが、種類は能面ほど多くありません。
 能樂は能と狂言が交互に上演されます。能と狂言は一體と云ふ現れです(圖三)。室町時代には十七番演じられたこともありますが、江戸時代以降は五番立てが標準です。五番立てでは初番目物から順に上演され、同時にそれぞれが演目の分類(曲籍)になつてゐます。初番目物は神靈の夢幻能、二番目物は武士の靈の修羅能、三番目物は女性や貴公子、老木の精などの鬘能、四番目物はその他の雜能、五番目物は貴公子や鬼畜の切能と呼ばれてゐます。曲籍ごとに更に○○物と云ふ區分があります。
 能の上演方式もいろいろあり、能面と裝束をつけて一曲全部演じる裝束能、能面裝束をつけずに紋服袴で演じるものを袴能、後半だけを演じるものを半能、興福寺のみで薪を照明に野外で行はれた薪能などです。シテの舞ひのうち見せ場だけを紋服袴で演ずるのを舞囃子、その舞囃子と同じ場面を舞ひをはづして、囃子・地謠のみでおこなふ居囃子、能の全曲を囃子方・地謠方だけで演奏するのを番囃子と云ひます。器樂部分だけを切り取つた演奏を素囃子、謠のみを素謠、能の一部分を囃子を入れずに地謠だけで紋服袴で舞ふのを仕舞と云ひます。このやうに能の特徴はその構成要素である舞、囃子、地謠などを組み合はせたり省略したり、またそのひとつだけをとりだして演じても成立します。

四、 能樂の音樂

 能樂は歌舞を中心とした音樂劇であるから、物語は歌によつて進行します。能樂の音樂は聲樂の謠と器樂の囃子で構成されてゐます。謠はシテ方の集團による齊唱で、囃子は能管・小鼓・大鼓・太鼓の構成で、四拍子とよばれます。能の音樂構造は時代とともに變容をして、きはめて複雜ですが、強引にまとめると圖四のやうに謠と打樂器と笛の三種に大別されます。
 謠はコトバ(科白)とフシ(旋律)に大別されます。コトバには定まつたイントネーションはありますが旋律的ではありません。フシの吟型(音階・發聲)には、ヨワ吟とツヨ吟の二種があり、音階領域、息遣ひ、ビブラートなどに違ひがあります。ツヨ吟は江戸中期以降に創られたものです。フシのリズムにも有拍の拍子合と無拍の拍子不合の二種があります。拍子合は平ノリ・中ノリ・大ノリの三種にわかれ各々適用される場面が決まつてゐますが、平ノリが基本型であるため尤も多用され、どのノリ型も一句八拍の八拍子を基本とします。
 打樂器の拍子は三種あります。平ノリ、中ノリの謠にあはせてうつ竝拍子は、そのうち型から合はせ打ちと言はれます。拍の感覺を不明確にするサシ拍子は、謠ひや笛と一緒の拍を刻まづ獨自の拍子で進むので、アシライ打ちとも云はれます。ノリ拍子は場面によつて合はせ・アシライ兩面を持つた打ち方のことです。
 笛は、謠ひに對しては拍子合・拍子不合はずのいづれでも常にアシライ吹きです。謠事では打樂器がノリ拍子で、笛はアシライ吹きになります。なほ、囃子方は常に四拍子すべてが出演するわけではなく、演目によつて決められてゐます。
 かうした能の音樂構造を定める上で特徴的なことは、「 小段」と云ふ概念です。小段は脚本や旋律の構造單位のことで、謠事・囃子事それぞれに約五十種の小段があります。小段をモザイク的に積み上げて能一曲を構成すると云ふ仕組みです。極端とも言へる省略と誇張で行ふ能の所作に比べ、能の音樂構造はきはめて複雜で精緻な樣式化されたものとなつてゐます。
 歌舞の能に對して科白と仕草の狂言と言はれますが、實は狂言の演目の六割には歌舞的要素が組みこまれてゐます。能と同じく謠と囃子がありますが、能と區別して狂言謠、狂言アシライとよばれます。

五、今日の能樂

 室町時代に大成した能ですが、応仁の亂以後、能のパトロンであつた將軍家や寺社が衰頽したので、客層を擴大する必要に迫られ作風は演出を工夫した派手なものへと變はつていきました。桃山時代には秀吉が能を保護し、江戸幕府も繼承し幕府の式樂として上演されるやうになりました。明治維新により幕府の後ろ盾を失つて、更に廣い聽衆を相手にするやうになりました。第二次大戰により能樂も打撃を受けますが、名人の活躍や觀客の廣がりにより今日まで興隆を保つてゐます。
 能樂は外國の詩人や劇作家にも大いに刺戟を與へ、昭和三十一年に來日したイギリスの作曲家ブリテンは「 隅田川」を見て觸發され、宗教劇「 カーリュー・リバー」を作曲しました。また、アイルランドの劇作家イエイツは能の影響を受け「 鷹の井戸」を書き、それを逆輸入して「 鷹姫」が創られました。
 現代でも新作活動や廢曲復古や演出の見直しは行はれ、世阿彌研究の進歩によつて昔の型附けを復元する動きもでてきてゐます。能役者や狂言役者が現代劇に出演することも、現代では珍しいことではなくなりました。三島由紀夫の「 現代能樂集」の舞臺に能役者が登場したり、演出家の渡邊 守章結成の冥の會に觀世壽夫が代表者になり、現代音樂に合はせて舞つたり、ギリシャ劇に主演したりしてゐました。しかし、能樂は身體技法、發聲方法ともに特殊な發達をしたため、それらを現代演劇に融合するには難もあります。
 觀客にとつては、長い演劇時間、謠のわかりづらさが大きな問題となつてゐます。江戸時代後期にも同じやうな問題が起こつてゐて、謠のわかりづらさの原因である古典智識の缺如は現代に於て更に深刻さを増してゐます。さうした現状に對応するために謠や囃子の一部を省略する演出が取られてゐますが、安易な迎合にならないやうにと願ふばかりです。
 平成十三年、能樂は世界無形遺産に宣言され、藝術的な價値の高さは改めて人々の周知するところとなりました。しかしこれに胡坐をかかず、能樂が過去の遺産ではなく現代に生きる藝術として常に樣々な試みを續けていつてもらひたいと思ひます。


參考文獻

ひと目でわかる日本音樂入門 田中健次(音樂之友社 平成十五年)
よくわかる日本音樂基礎講坐 福井昭史(音樂之友社  平成十八年)
日本の傳統藝能講坐 音樂 小島美子(淡交社 平成二十年)
日本音樂がわかる本 千葉優子(誠幸堂 平成十七年)

 

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能楽解説図(舞台・系譜)