民族文化研究会

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【関西】定例研究会報告4 社会主義に対する君主主義の応答――里見岸雄とローレンツ・フォン・シュタイン

 去る平成30年7月8日に開催された民族文化研究会関西地区第3回定例研究会における報告「社会主義に対する君主主義の応答――里見岸雄ローレンツ・フォン・シュタイン」の要旨を掲載します。もう一つの報告「民族宗教の可能性について」は、東京支部で行われた会員による討論会「民族宗教(パガニズム)の可能性」の議事録をもとに議論するという趣旨であり、その詳細は本ブログでも掲載されている当該議事録を参照してください。

 

はじめに

 社会主義と君主主義のあいだで取り結ばれた関係は、もっぱら対抗と憎悪で満たされた関係として解釈されてきた。こうした認識においては、君主主義による社会主義への弾圧と、社会主義による君主主義の打倒だけが物語られる。だが、社会主義と君主主義の調停・和解・統合は、現実の歴史において姿を現すことは無かったとはいえ、こうした政治的構想を提示した思想家が存在しなかったわけではない。「社会主義に対する君主主義の応答」という問題設定の下で、こうした政治的構想を提示した東西の思想家である、里見岸雄ローレンツ・フォン・シュタインを比較検討するのが、本稿の目的である。抬頭する社会主義運動を前に、いかに君主制の意義を弁証し、その維持を実現するか、両者の「社会主義に対する君主主義の応答」の論理を瞥見する。まず、シュタインの「社会的王制」論を概観し、のちにそれを里見岸雄の「社会主義の国体化」論と対比し、その異同を論じる。ただ、あくまで本稿は、この主題についての本格的な論考を意図せず、予備的考察に留まることを告げておく。

 

ローレンツ・フォン・シュタインにおける「社会的王制」論

 ドイツの公法学者・国家学者であるシュタインは、パリ滞在中に社会主義共産主義に触れ、それをドイツへと初めて体系的に紹介した。しかし、欧州で連鎖的に広がった革命である1848年革命の展開に失望し、以後は社会改良主義的な方向に転向する。以下で紹介する「社会的王制」論は、こうした転向の産物であり、シュタインの本来の専攻である公法学・国家学とも密接に関係する。それでは、シュタインの「社会的王制」論を、概説していく。まず、シュタインの国家原理から掻い摘んで説明しよう。シュタインは、国家を「人格的統一へと高められる全ての個々人の意思の共同体」と定義し、「人格的国家有機体説」と呼称される特有な国家観を提示している。こうした人格の集合体である国家の、意思が憲政であるとされ、行為が行政であると把握される。両者が、シュタインにおける国家原理の両輪なのである。シュタインは、憲政を「統一的な国家意思を国民の多様な意思から形成する形式」とし、国家原理の第一原理とする。対して、行政はこうした憲政を実現する国家の措置を含意し、国家原理の第二原理とする。

 これだけでは一般的な議論では、とも思われるが、憲政と行政の関係性が、シュタインの国家原理の核心だ。シュタインは、「行政なき憲政は無内容であり、憲政なき行政は無力である」との言辞を残している。シュタインは、市民が国家意思に参加する(憲政)だけでは不充分であり、社会に不可避的に存在する不自由を解決するため、救貧を中心とした社会改良(行政)が無ければ、人格共同体である国家を実現しえないと考えた。このため、憲政と行政の密接な連関が説かれたわけである。さらに、シュタインは、国家を「理想国家」と「現実国家」に二分する。人格的自由が完全に実現された理念上の「理想国家」がまず説明され、それに続き現実世界における人格が不自由に悩まされている「現実国家」が注目され、そうした「現実国家」における不自由をいかに克服し「理想国家」を成就させられるか、という二元的な議論構造が取られている。こうした「現実国家」における人格が悩まされる不自由(階級間格差もさることながら、納税額による選挙権制限といった政治参加における格差も注目される)が俎上に載せられ、これらをどう克服していくか、が課題とされる。ここで、シュタインが注目するのが、君主である。資本階級が自身の特権を自発的に放棄するとは考えられず、労働階層は教養の欠落などから国政の指導層たりえない。ここで、階級対立の超越者であり、人格共同体である国家を代表する最高の人格である君主が注目され、君主による救貧を中心とした社会改良を骨格とした「社会的王制」論が組み上げられるわけである。

 

里見岸雄における「社会主義の国体化」論

 田中智学の国体論から影響を受けつつ、国体の科学的認識を目的とした「国体科学」を展開し、従来の国体論に新風を吹き込んだ里見岸雄は、その国体研究のさなかに、抬頭する社会主義運動に対して、国体論はいかに応答すべきか、という論点に取り組む。その結果が、戦前期におけるベストセラーとなった『天皇とプロレタリア』である。それでは、この『天皇とプロレタリア』において展開された、里見岸雄の「社会主義の国体化」論を概観する。本書は、里見が断っている通り、あくまで学術書ではなく啓蒙書であり、里見の国体論については、別に里見の学的業績を参照されたい。まず、里見が言及するのは、「観念的国体論」への論難である。井上哲次郎・筧克彦・黒板勝美といった論者による従来の国体論が検討され、その抽象的・思弁的性格が俎上に載せられる。こうした「観念的国体論」では、現実の社会的矛盾は打開できず、国体は資本主義に従属する帰結を辿ると主張され、神学的・道徳的世界において国体を把握するのではなく、生々しい現実において国体を把握する「国体の現実社会的把握」が提唱される。こうした「観念的国体論」と「国体の現実社会的把握」の二元的な議論構造が提示されたのち、「国体の現実社会的把握」における国体認識として、「人格共存原理」が打ち出されることとなる。

 国体とは、現実の社会生活そのものであり、その軌範なのである。こうした社会生活を「人格共存共栄態」として実現する「人格共存原理」こそ、ほかならぬ国体であるとされる。だからこそ、国体を過去の事績(天壌無窮の神勅、万世一系)にのみ求める「観念的国体論」は否定され、今日の社会を指導する原理として国体を認識する「国体の現実社会的把握」が要請される。こうした「国体の現実社会的把握」は、国民生活への問題関心をもつがゆえに、階級格差や社会主義運動の現状を国体論との連関のなかで検討でき、その検討の結果として「社会主義の国体化」が提唱される。社会主義は高まりを見せており、それは階級格差という問題状況を取り除かずして排除できず、国体論は社会主義の脅威を無化するためには、「社会主義化の国体化」しかないと判断されるわけだ。この「国体の社会主義化」のためには、いまは資本階級によって壟断されてしまった、君民関係の原像に回帰する必要がある。里見は、国民生活に配慮している歴代天皇の御製などを引用しつつ、階級の超越者として天皇を定位する。そうして、収奪者・搾取者であった西欧や支那の君主とは大きく異なった、万邦無比の天皇像を提示する。ここから、君民の対抗関係に起因した西欧由来の社会主義共産主義における反君主論を誤謬とする。そして、古代における土地公有や、歴代天皇による私的所有の濫用を戒める勅令を援用しつつ、天皇の下での財産の公有が来るべき社会像として導入される。

 

両者の異同

 それでは、両者の議論を概観したのち、その異同を論じよう。両者の議論には、興味深い同質性が幾つか発見できる。第一に、抽象的議論と現実的議論を対比する二元的な議論構造である。これは、シュタインにおける理想国家/現実国家であり、里見における観念的国体論/国体の現実社会的把握である。そして、両者は議論の進め方が逆であることも面白い。シュタインは現実国家から理想国家に議論を進めるが、里見は観念論的国体論から国体の現実社会的把握に議論を進めるのだ。第二に、国家原理を人格を中心として理解する点である。これは、シュタインにおける「人格的統一へと高められる全ての個々人の意思の共同体」であり、里見における「人格共存原理」である。第三に、階級の超越者として君主を評価する視点である。シュタインはこうした超越性を「君主は人格の集合である国家を代表する最高の人格」である点に求め、里見は西欧や支那とは異なる日本における君民一体という国柄に求めている。

 だが、異なる点も発見できる。里見と比較しての、シュタインの理論における君主の存在感の希薄性である。君主制社会主義と親和的であると説得する段階において、西欧の君主制は、日本の君主制と比べて説得力のある論理を提示できないのだ。古代の土地公有や、その王者としては質素な生活ぶりや、中世以降の権勢を誇る特権階層との距離や、臣民の生活への細やかな配慮といった、一君万民・君民一体という概念によって集約される皇室の「社会主義との親和性」を傍証する幾多の根拠と比べて、シュタインが提示する西欧の君主制の「社会主義との親和性」は、「最高の人格であるから」という(里見が批判する)「観念的」議論なのである。これは、里見が主張するように、西欧や支那の君主がもつ、収奪者・搾取者という性格によるものだろうか。また、シュタインが救貧を中心とした社会改良という「穏和な」政策的解決に期待を寄せるのに対し、里見は財産の公有という「過激な」抜本的解決を提示する。この点について、シュタインは弥縫策に終始したと批判するか、里見は過激過ぎたと批判するか、論者によって見解が分かれるだろう。「君主像」と「君主主義と調和する社会主義像」の二点で、里見岸雄ローレンツ・フォン・シュタインにおける「社会主義に対する君主主義の応答」は異なった相貌を見せるのである。


参考文献

里見岸雄天皇とプロレタリア』(展転社、平成30年/原著は昭和4年
森田勉ローレンツ・シュタイン研究:憲法‐憲政論・国家‐社会学説・法哲学』(ミネルヴァ書房、平成13年)
青柳幸一「ロレンツ・フォン・シュタインの社会国家論:『旧傾向派』の理論的基盤の批判的検討のために」法學研究53巻4号(昭和55年)
下條芳明「ロレンツ・フォン・シュタインの国家形態論:その社会改革理論への視角」早稲田政治公法研究18号(昭和61年)