民族文化研究会

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【関西】定例研究会報告3 アントニー・D・スミス『ネイションのエスニックな諸起源』紹介

 去る平成30年6月3日の民族文化研究会関西地区第2回定例研究会における報告「アントニー・D・スミス『ネイションのエスニックな諸起源』紹介」の要旨を掲載します。


ナショナリズム論の最大の争点

 ネーションとナショナリズムの理論にとって、もっとも重要な理論的争点とは何か。ネーションとナショナリズムは近代の産物か否か、という問いこそが、それであろう。

 

○原初主義あるいは永続主義と近代主義

 ナショナリストの目から見ると、ネーションの起源は、たいてい古代にある。ネーションは、家族や村落と同じように、人類史を通じて、ほぼ恒久的に存続してきた、と考えられる。だがこの説は、歴史学者社会学者には、あまり評判はよくない。多くの学者は、いくつもの事象的な事実から推察して、ネーションやナショナリズムは近代社会の産物の一つであり、それ以前には存在していなかった、と結論した。前者は、原初主義あるいは永続主義と呼ばれ、後者は、近代主義と呼ばれている。

 原初主義……エドワード・シルズ

 近代主義……ベネディクト・アンダーソン、アーネスト・ゲルナー、あるいはホブズボーム

 アントニー・D・スミスの『ネイションのエスニックな諸起源』は、ナショナリズム論の最大の争点に、最終的な決着をつけようともくろむ。

 

○スミスの紹介

 Anthony David Stephen Smith(二五九九~二六七六)

 スミスは、ロンドン大学政治経済学部に付属する、ヨーロッパ研究所の「エスニシティナショナリズム研究部門」の主任研究員である〔当時。後にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授〕。

 最初オックスフォード大学ワドハム・カレッジで古典と哲学を研究した。その後、研究の中心を、歴史学政治学、そして社会学へと移していく。ロンドン大学で博士論文を執筆したときのアドヴァイザーは、アーネスト・ゲルナーであった。近代主義の代表的論者ゲルナーは、その後、スミスにとっての最大の論敵となる。一九九〇年に、イギリスの「エスニシティナショナリズム研究学会」(民族学会)の設立に参加し、同学会の会長を務めた。ナショナリズムエスニシティを論じた多数の著書がある。八六年に出版された『ネーションのエスニックな諸起源』こそは、まぎれもなく彼の主著である。

 

○「日本」はいつ始まったか

 素朴な通念と学会の有力説とは、逆立している。すなわち、通念としては、原初主義が一般的だが──たとえばわれわれは「日本史」と言うとき、前近代の段階において、すでに「日本」という国民的共同体(の萌芽)がすでに存在していると考えるが──学界に広い影響力を与えた理論には、近代主義に立つものが多い。

 

○スミスの思想

 スミスは、原初主義と近代主義とを、一挙に総合しようとする。

 スミスの考えでは、近代主義者はある意味で正しい。ナショナリズムの運動は、一八世紀の後半に始まった現象であって、それ以前にはない。特殊にナショナルと見なしうる感情の萌芽は、西欧の場合には、一五─一六世紀に見いだされるが、それより古いわけではない。国民国家(民族国家)が、政治的な軌範と化すのはまちがいなく近代になってからである。だが──スミスは言う──近代主義にも難点がある。前近代にも──古代においてさえも──ナショナルな一体性やナショナルな性格に類似したものが、発見されるというのだ。

 ギリシャ人やローマ人が異文化を有する人々に向けたまなざし……ペルシアの領土拡張に対するイオニア人の抵抗……ガリア人によるシーザーへの抵抗 ナショナリズムの運動によく類似している


 そこでスミスは、近代主義に修正を加える。〔……〕原初主義を規定的な前提にして、そのうえに、近代主義を積み重ねるのだ。

 ネーションは無から生み出されたわけではない。ネーションは、エスニックな基礎や起源をもっており、そこから発展してきた、とする

 

■エトニからネーションへ

 

○エトニ

 スミスは、ネーションの素材とも言うべきエスニックな共同体を「エトニ ethnie」と呼ぶ
 次のような特長によって定義される。
 ①名前をもつこと。
 ②共通の血統神話。
 ③歴史の共有(とりわけ黄金時代の記憶の共有)。
 ④独自の文化(言語、慣習、宗教など)の共有。
 ⑤ある特定の領域(聖地や故郷など)との結びつき。
 ⑥連帯感。

 スミスによれば、〔……〕エトニは、人類の歴史のあらゆる段階において恒久的に存在してきた。

 

○二つの類型に区分 共時的

 第一に、水平的に、漠然と広範囲に広がるエトニ 水平的・貴族的
  貴族的なもの 都市の裕福な商人層や、聖職者、立法学者などを主たる担い手とする

 紀元前一〇〇〇年までに北インド平原に展開した、アーリア人

 第二に、社会の全階層に垂直的に浸透し、強い凝集力を発揮するエトニ 垂直的・平民的
  平民的なもの 都市を基盤として成立し、聖職者、商工業者を構成員としていた

 都市国家間の隣保同盟(古代シュメール、フェニキアギリシャなど)、「辺境」のエトニ(マジャール人クルド人など)、部族連合(オスマントルコ人ペルシア人、アラブ人など)、ディアスポラセクトユダヤ人、アルメニア人、ドルーズ、パールシーなど)の四つに下位区分される

 垂直的・平民的エトニの構成員を結びつける接着剤は、水平的・貴族的エトニのそれよりもはるかに強力で、しばしば宗教的であった 

 

○通時的な次元でのエトニの特徴

 エトニのなかには、性格を変化させながらも、何千年も存続するものと、歴史の中に消滅していってしまうものとがある。イギリス人、ギリシア人、エジプト人などが、性格を変化させつつ存続していた例にあたり、ヒッタイト人、フェニキア人、ペリシテ人などが、消滅したエトニの例に入るだろう。

 何がエトニの存続(\消滅)を規定する要素なのか〔……〕決定的な要素は、宗教的な条件

 

○いかにしてネーションが形成されたか

 ネーションへの移行の端緒は、はっきりしない
 西洋に於ける次の三つの革命が、ネーションへの熱望を不可避なものとした

 第一に、経済的革命、分業における革命 一般に「資本主義への移行」と呼ばれる
 高度な経済統合の形成を意味する。領域内に経済的な中心地帯が生み出され、その中心と周辺・準周辺との経済的交換が、中心地帯によってコントロールされる
 職業システムが、地域的に分離されていた状態から、領土全体に広がる単一の分業システムへと転換する

 第二に、政治革命、行政管理における革命
 工学と兵站学の進歩は、科学・技術の訓練を受け、専門知識を身につけた軍事専門家という階級を生みだした。さらに、この階級は訓練された官僚を要請する。官僚国家は、裕福なブルジョワ階級と知識階級とを育成することになった。そして、ブルジョワ階級は、みずからの利益や威信を極大化するために、伝統の国家主義的政策を引き継ぎ、強化することになった。

 第三は、文化・教育革命
 主権国家が、現世的で可視的な救済を約束することで、かつての神の位置を占め、教会の権威に取って代わることになる。国家による、教育の中央集権的な併合は、結果的に、標準化された愛国的文化を利用して、献身的で政治意識を有する市民を形成することにつながった。

 

○ネーションの二つの類型

 ハンス・コーンによって導入されたダイコトミーにしたがったもの

 領域の共通性の感覚に基礎を置くネーションは、法による結びつきを基幹とすること、市民権によってメンバーシップを規定すること、そして共通の文化を有することなどを特徴とし、主として西欧に生まれた。

 既存のエスニックな絆を基礎とするネーションは、想定された血の結びつきを重視すること、人民主義的であること、法よりも習慣や方言に重点があること、伝統的な土着主義の傾向などによって特徴づけられ、東欧や中東にしばしば見られる。

 

○ネーションをどのように形成するか

 ネーションとナショナリズムは、基本的には西欧の概念である。すなわち、それは、固有の領土のうえに成立する、諸権利を与えられた平等な市民による、法的な共同体である。だが、たとえば、アジアやアフリカの植民地に、こうした西洋モデルを直接に導入しても、ほとんど成功しない。ネーションを定着させるためには、血統神話、歴史的記憶、共通文化に訴求することによって、多様な諸階級を引き付け、動員できなくてはならない。要するに、西欧の領域的なモデルを定着させるためには、それに対抗するもう一つのモデルを、つまりエスニックなモデルを援用しなくてはならない。

 インドの例
 インドでは、一九世紀の前半に西欧モデルが導入されたときには、中流階級上層部に属するバラモンの集団などごく一部の階層を動員できただけであった。しかし、ティラクやオロビンドがインド・ネーションの概念を普及させるために用いたのは、西欧的な市民モデルではなく、ヒンドゥー教の伝統であった(このことは、結果的に、インドの血統的なネーションから、イスラーム教徒やシーク教徒を排除する事を意味した)。このように、市民的で領域的なネーションが成立するためには、ほとんどいつも、エトニの伝統が想起されなくてはならなかった、というのである。翻って考えてみれば、事情は、西欧の最初のネーションにおいても変わらない。

 

○エトニはどうネーションに昇華されているのか

 近代の三つの革命に直面して、エトニは、外部からの孤立、受動性、文化的順応の状態から、外部に対しても動的に働きかける活動主義者にならなくてはならない。また、かつての聖職者に代わる、「新しい聖職者」として、科学的知識を有する知識人が、指導的な地位に登場してこなくてはならない。さらに、エトニは、ある程度の自給自足によって、経済的に自立した単位へと編成される。そして、何よりも、エトニがネーションへと転換するには、その成員が「市民」にならなくてはならない。そのためには、選挙権が拡大される事が必要なことはもちろんだが、より一層重要なのは、エリートと大衆を結ぶ新しい情報伝達様式が確立され、全成員が動員される事、こうして生まれた新しい大規模な単位が、かつてのローカルな忠誠心を包摂してしまうこと、である。こうしたさまざまな処置を通じて、エトニはネーションへと、つまり三つの革命への対処を目的とする一種のゲゼルシャフトへと変容する。

 

○エトニへの訴求

 くり返し強調するならば、ネーションが完成するためには──スミスの考えでは──それは、エトニへの訴求によって補完されなくてはならない。ゲゼルシャフトとしてのネーションに、実質的な連帯を保証し、人々に明確なアイデンティティの感覚を与えるエスニックな要素とは、とりわけ、共有された「過去」についての記憶である。つまり、ネーションは歴史を必要とする。ネーションは知識人を動員して、過去を再構成しなくてはならなかったのだ。

 近代社会に見出される、顕著な逆説の一つは、次の点にある。近代的な市民社会は、人類史上、圧倒的に強い変革への渇望を持って現れるのだが、そうした未来志向的な渇望の強さにちょうど比例して、より深い過去へとまなざしを向けようとする郷愁もまた強化されるということ、これがその逆説である。こうした二重性を、スミスの議論は、ネーションがエトニを基盤とせざるをえなかった、という事実の一つの現われとして、理解しようとしているのである。

 「近代的なネーションは、近代主義者がわれわれに信じさせようとしているほどには、「近代的」でない」。その意味するところを、スミス自身にしたがって、もう一度整理しておこう。
 第一に、ネーションは、一挙に達成されるような静的な目標ではない
 第二に、ネーションが生き残るためには、エスニックな核が必要である。
 第三に、新興国家の使命感を持ったナショナリズムは、その情念を、とりわけ平民的な累計のエトニから引き出している。
 第四に、ネーションは祖国を必要とする。
 第五に、ネーションは黄金時代を必要とする。
 これら、諸項目が、近代的なネーションが「古い」という結論を支持している、というわけである。

 

参考文献

Anthony D. Smith, The Ethnic Origins of Nations, Basil Blaickwell, Oxford,1986.
『ネイションとエスニシティ──歴史社会学的考察』巣山靖司他訳、名古屋大学出版会、1999年

ナショナリズム論の名著50』大澤真幸篇、平凡社、2002年