民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

定例研究会報告19 日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(五)

 去る12月10日の民族文化研究会定例会における報告「日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(五)」の要旨を掲載します。

 

 前回に引き続き、萩野貞樹『歪められた日本神話』(PHP新書、平成16年)を紹介する。今回は、第3章「神話各説を批判する」の第4、5節「ツギハギの説について」である。
 
 日本神話研究には、神話の接合を説くものが多い。たとえば益田勝実氏は、出雲で国譲りが行われ、日向に天孫降臨が行われたのは「矛盾」であり、これは2神話を接合したためであるという(『古典を読む・古事記岩波書店、昭和59年)。しかし、「神話」に合理的解釈を施すことの愚は、従来萩野氏が説いてきた通りである。

 このような「接合」は、出雲政権を大和朝廷が征服したことを誇るためとされる。しかし、元の神話が別々であるならば、国譲りを迫った主体が別にあることになる。しかし、そうやって神話自体を分割していくと、その内容自体が空虚になっていかざるを得ない。物語として成立していなければ、神話として伝承されることは難しいだろう。「接合」的理解は、このような観点から疑念が持たれるのである。

 また、上田正昭氏は、スサノオ高天原における荒ぶる行為と、後の荒ぶる者の平定という行為の間には、「矛盾」があるという(『日本神話』、岩波新書、昭和45年)。これは、荒ぶる神としての説話が、高天原系神話に接合されたためであるという。しかし、神が多面的な性格を見せることがどれほど「矛盾」なのだろうか。

 このような「ツギハギ」説においては、各氏族の断片的な古伝承が宮廷で統合されて、一つの日本神話が成立したという見解も有力である。たとえば荻原浅男氏は、「神話群」には原説話があり、それはそれぞれ独立して伝承されていたとして、イザナキ・イザナミの禊祓神話は海人族の安曇氏・住吉氏系であり、国土創成時に出て来るウマシアシカビヒコヂの神は大阪湾周辺の海人の伝承であろうとする(『日本古典文学全集 古事記上代歌謡』小学館、昭和48年)。

 しかし、このような推測は果してどれほど妥当なのだろうか。たとえば、ウマシアシカビヒコヂの神は神話冒頭でしか出て来ないが、何故これが大阪湾の海人の神と断定出来るのであろうか。荻原氏は、大阪湾は低湿地で葦が生えていた、また、大和に近い、といった理由を挙げるが、これらがどれほど信憑性のある解釈かは疑問である。

 また、松前健氏は、国生み神話のうち、イザナキ・イザナミの2神の修理固成神話は淡路島のもので、棒で海をかき回す話は内陸アジア系といった分割説を提唱している(『シンポジウム日本の神話1』学生社、昭和47年)。このような解釈は、大林太良氏や吉田敦彦氏といった神話学者から、該当部分の日本神話の一体的性格を指摘されて批判を受けていることが留意される。

 そもそも、こういった解釈が成立するためには、そもそも日本神話は存在しなかったという結論になるであろう。しかし、各神話を強引に接合して成立させた日本神話に求心力が発生するのかは疑問である。論者によっては、各氏族の保有する神話に一定程度のつながりがあったことを認めるが、もしそうであれば、むしろ各氏族の共通性が明らかになるのではないだろうか。

 萩野氏の結論はこうである。「日本民族は各地各氏、だいたい一様の神話を共通の民俗伝承として聞き伝えていたであろう。それが長い時代を経て、それぞれ微妙な変容、変形、過誤が生じていたであろう。それが日本書紀に見える一書の各伝であり、また天武天皇が「既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふ」と憂えていたところのものであった」(186-7頁)。