定例研究会報告 日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(四)

 10月15日の民族文化研究会定例会における報告「日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(四)」の要旨を掲載します。

 

 前回に引き続き、萩野貞樹『歪められた日本神話』(PHP新書、平成16年)を紹介する。今回は、第3章「神話各説を批判する」中の第3節「道教起源論のこと」を取り上げる。

 萩野氏によれば、2、30年前(すなわち現在から見ると3、40年前)から、日本神話を道教文献の焼き直しとする説が発生したという。主として、「神道」「惟神」「禊」「祓」「天皇」など、神道・神話関係の語彙が道教文献に由来するものだというのが根拠だという。

 とはいえ、萩野氏の紹介はいささか簡略なので、今回は氏が論及している福永光司氏の研究のうち、論文「日本の古代史と中国の道教」(同『道教と日本文化』〈人文書院、昭和57年〉所収。初出昭和56年)を補足として取り上げよう。福永氏は、まず日本古代史の事実として、以下の7点を挙げる。

(1)「天皇」の語の初出は推古天皇朝(法隆寺薬師如来像)か。「八色の姓」の「真人」は皇族にのみ与えられる位で、天皇とセットの概念ではないか。

(2)神器のうち、鏡と剣の2種が核であり、勾玉は後に追加されたと考えられる。

(3)皇室は古代紫の色を尊んでいた。

(4)神話では、天孫降臨によって皇室の祖先が出現したとされており、記紀の時代には現人神思想が成立していたとみられる。

(5)『延喜式』記載の祝詞には、道教の神名が挙げられている。

(6)『江家次第』所収の四方拝の内容には、道教的な文言が含まれている。

(7)「神道」の語は『日本書紀』が初出である。

そして、この7点についてそれぞれ、

(1)「天皇」の語は宇宙の最高神として紀元前1世紀頃に中国で出現したもの。北極星の神格化で、「天皇大帝」などと呼称され、これが紫宮に住み、そこに真人という仙道の体得者が仕えるという観念があった。すなわち、「天皇」概念には道教の影響が強い。

(2)(3)紫宮で「紫」が登場している。2種の神器への信仰は道教文献に記載がある。

(4)天神の子孫が降臨する思想は『詩経』などにあり、道教もそれを継承、神仙の降臨と救済を説いている。従って、現人神思想も道教の影響であろう。

(5)大祓の「東西の文部の祝詞」は道教の呪文を採用している。

(6)四方拝道教儀礼の直輸入である。

(7)「神道」語は天皇に関連しており、従って道教の「神道」を意識した導入とみられる。

という結論を出している。

 

 さて、上記のように、福永氏の議論は総じて道教流入を強調するものであって、「天皇」や「天孫降臨」などの概念も道教の影響として理解している。ただ、これを道教(ないしは中国)起源説として理解すべきかは、従来の萩野氏の批判を勘案すると甚だ怪しいものではあろう。すなわち、日本神話と似通った構造を持つ神話はかなり多く、また、どんな民族にも相応に複雑な神話体系があることが明らかになっているのであって、中国起源論にことさらに固執する必要は必ずしもないと考えられるからである。また、語彙の輸入という点は道教起源論の大きな論拠になっているが、古代日本に文字はなく、漢文献から表現を借用する必要があったため、概念的に似たところがある道教文献から借用したと考えられるのであって、概念まで輸入したというのは即断であろうという。

 

 なお萩野氏は、いささか邪道であるとは自認しつつも、道教起源論者の〈政治的偏向〉を指摘する。すなわち、福永氏は戦前に京都で育ち、御所の「紫宸」「仙洞」などの語に関心を持った後に戦争に動員され、「神」とされた天皇の問題を考えるようになったという。また、福永氏の弟子の高橋徹・千田稔氏は、『日本史を彩る道教の謎』(日本文芸社、平成3年)などで、より戦前の天皇賛美の傾向に批判的な論調を示しているのである。中国に限らず、文化の外来説のなかにはこういった政治的傾向が含まれる点にも、注意せねばならないのであろう。(続く)

 

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萩野貞樹『歪められた日本神話』