定例研究会報告 日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(三)

 8月13日の民族文化研究会定例会における報告「日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(三)」の要旨を掲載します。

 

5.第3章 神話各説を批判する-第2節 聖数について

 今回は、第3章「神話各説を批判する」の第2節「聖数について」について紹介したい。日本神話の解釈として、〈聖数説〉というものがあるが、これは造化三神、別天つ神五柱、神代七代が、中国伝来の〈整数〉に由来して造作されたとする解釈である。はじめは津田左右吉氏が唱え、後に上田正昭氏、岡田精司氏が継承した見解である。しかし、この解釈は果たして正しいのかと疑問を投げかけるのである。

 上田氏は、初めにはより素朴な伝承があったのが、3・5・7に合致しなかったので、それに合うように造作したという。しかし、そこまで3・5・7にこだわるのであれば、この後の神話も3・5・7が強調されてしかるべきではないかという疑問が出るのである。すなわち、このすぐ後のイザナキ・イザナミ神の国生みに際して現れる「八尋殿」を初め、国生みによって現れる「大八島」、次いで「六島」、その後に「十神」「八神」「四神」が現れるわけである。神話が造作ならばこの点をどう説明するのかという疑問が生じるわけである。(萩野氏は特に書いていないが、神話には造作した部分とそうでない部分がある、という反論は一応可能ではあろう)

 続いて岡田氏は、次の2つの解釈を示す。まず1点目は、中国に対して、自己の王権の正統性を誇示するために聖数説に合わせた造作を行ったというものである。しかし、そのような取って付けたような造作が中国側に対して外交的に有効なのか、信じられるのかは、疑わしいものとしなければならない。仮に信じられたとして、日本側が敬意を持たれるのかは疑わしい。むしろ属国視するのではないか。

 また、2点目として、中国では一種の自然哲学である〈天〉の概念が発達しており、日本のような天と王を血縁で結びつける素朴な手法は通用しなかったので、聖数説で修正を加えたというのである。しかし、当時の中国皇帝は「天命」を受けて君臨しているものの天との直接的血統はなかったので、このような造作が有効であったかは疑問である。また、この造作が日本国内の知識層向けであったとしても、そもそも国内伝承と異なる話を造作してもそれを信じる者がいるとは思えず、有効にはならないのではないか。

 このあたりの萩野氏の反論は、やや水掛け論のような感もあるが、氏はさらに踏み込んで考えていく。

 そもそも、3・5・7は中国の陰陽思想では聖数とはされるものの、天地創造の原理を担わせるような重要性があるといえるのか、はなはだ疑問であるという。3・5・7などは、それこそ「七福神」など一般的に多用される修飾的な数字であり、必ずしもそれ以上の意味を見出す必要はないのではというのが萩野氏の見解である。

 そして、本書の基本的なスタンスである「広く外国神話から考える」という点にたどりつくのであるが、そもそも3・5・7の尊重が中国以外にも広く見られるものであれば、何も中国伝来を強調する必要もないわけである。この点を考えてみると、キリスト教(三位一体)、シュメール神話(大洪水が7日)、ゲルマン神話(3神が最高神)など、3・5・7が特別な事象と関連する神話は世界各国にいくらでもあるという。

 そう考えてみれば、3・5・7の数字が出てくる理由について、強いて解釈を立てようとする態度自体、疑ってみるべきなのだろう。
(続く)

 

f:id:ysumadera:20200413024156j:plain

萩野貞樹『歪められた日本神話』