定例研究会報告 古代人の意識の探究――ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』序章・第一部前半概説

 8月13日の民族文化研究会定例会における報告「古代人の意識の探究――ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』序章・第一部前半概説」の要旨を掲載します。

 

 我々が住まうこの国の歴史は、文字を持たず神話と現実が融解していた古代に起源を発する。その長い歴史が我々に誇りと安堵をもたらす一方で、我が国の建国の父祖たちがいかなる思考によって國體の原型を建設したのか、我々がはっきりと知る術はない。

 我々は文字を持たない社会のあり方について、発掘された遺物、或いは外部や後世の文字を持つ人々が記述した文献から、断片的に窺い知ることができるにすぎない。そのような考古学的・歴史学的アプローチの限界を乗り越える上での手がかりとして、私は本書における「心理学的アプローチ」の試みを紹介したい。

 

ジュリアン・ジェインズ(1920~1997)
プリンストン大学心理学教授。ハーバード大学を経てマクギル大学で学士、イェール大学の心理学で修士・博士号取得。動物行動学を研究したのち、人間の意識に関わる研究にシフト。1976年に本書を刊行。1978年全米図書館賞候補作となった本書が生涯でただ一冊の著書である。

 

序章 意識の問題

 私たち人間は、意識が生まれたほぼその瞬間から意識の問題を意識してきた。ヘラクレイトスは意識を巨大な空間と呼び、聖アウグスティヌスは「私の記憶の平野や大小の洞窟」に驚嘆したとされる。意識の性質の探究は「心身問題」として、長く哲学的解釈に傾きがちであった。しかし進化論の出現以降、意識の起源について科学的な解明が試みられるようになる。

 意識の起源に関する仮説としては、①それが相互に作用する物質の基本的な属性にまでたどることができるという説、②あらゆる生命体の基本的な属性であるとする説、③生命がある程度進化した特定の時点であったとする説、④意識を形而上の付与物として見る説、⑤意識は何ら活動していないとする説、⑥意識は進化の非常に重要な段階において純粋に新奇なものとして創発されたという説、⑦意識が存在しないとする行動主義、⑧意識を網様体賦活系とする説などがある。しかし、私たちは脳に関する知識だけからその脳が私たちのような意識を持っていたかどうか知ることは絶対にできない。したがって、この問題については、意識とは何かを規定することから始める必要がある。

 

第1章 意識についての意識

 意識とは何だろうか。ジェインズは、意識が「何でないか」を示すことで、この答えに迫ろうとする。

 第一に、私たちは普段の日常生活において、対象を意識しないままに様々なものに間断なく反応している。意識は複雑な行動を学習する上では一役買っているが、その遂行には必ずしもかかわっていない(例:ピアノの演奏)。したがってまず、意識は反応性ではない。

 第二に、意識は経験の複写でもない。意識的な追観とは、感覚器官が得た心象の蓄積の想起ではなく、以前に意識を向けたものの想起であり、そうした要素を理性的なパターンに再構成することにほかならない。

 第三に、意識は概念の必要物ではない。概念とは、行動的に見て同価値の事物の分類である。動物行動において根本概念は先験的なものであり、行動を生じさせる性向決定構造の根幹を成している(例:ミツバチにとっての花)。

 第四に、意識は学習に必要なものではない。それどころか、学習を妨げさえする(例:弓道の鍛錬)。

 第五に、意識は思考にとって必要ではない。実際の思考過程は通常意識の本質だと考えられているにもかかわらず、実は全く意識されておらず、意識の上で知覚されるのは思考の準備と材料、そして最終結果だけであるということが、いくつかの実験から明らかになっている。

 第六に、意識は理性に必要ではない。推理は無意識のうちに行われ、意識はそこに不要であるばかりでなく、その過程を阻害する可能性も高い。

 また、意識に在りかと呼べるものはない。そして、これまで述べられてきた意識についての特性からは、人間の行動にとって意識は必要ですらないことがわかる。

 

第二章 意識

 本章でジェインズは、意識と言語の関係についての分析を行っている。言語は比喩によって発達する。言語は単なる伝達手段にとどまらない知覚器官であり、比喩は人類の文化が複雑になるのに合わせて新しい言葉を必要に応じて生み出してきた。時代が進歩するにつれ、言葉とその指示物は、比喩の基礎の上に抽象的な世界を創り上げてきた。

 ジェインズによれば、主観的な意識ある心は、現実の世界と呼ばれるもののアナログである。それは語彙または語句の領域から成り立っており、そこに収められた用語はいずれも物理的な世界における行動の比喩、すなわちアナログである。これによって、私たちは行動過程を短縮し、より適切な意思決定をすることができる。数学の場合と同じく、アナログは事物やその在りかではなく演算子であり、意思や決定と密接につながっている。

 意識の機能としては、空間化、抜粋、アナログの自己、比喩の自己、物語化、整合化といったものがある。ジェインズによれば、意識とは言語に基づいて想像されたアナログ世界であり、数学の世界が事物の数量の世界と対応するように、行動の世界と対応している。したがって、意識は言語より後に生まれたのである。

 

第三章 『イーリアス』の心

 文字の誕生は紀元前3000年頃に遡る。しかし、当時の文献は翻訳が不正確であるため、ジェインズは確実な翻訳が行える最初の著作である『イーリアス』を対象として、古代人の心理構造の解明に挑戦している。

 ジェインズによれば、『イーリアス』の内容にはおしなべて意識というものがない。後世には精神的なものを指すようになる単語も、『イーリアス』では異なる意味で使われ、いずれもより具体的なものを指す(例:psycheの意味は「血」「息」→後世では「魂」「意識ある心」)。また、「意思」や「体(全体)」を指す言葉もない。では『イーリアス』の登場人物に、主観的な意識も心も魂も意思もなかったとしたら、何が彼らを行動へと導いたのだろうか。

 『イーリアス』の登場人物は、意識ある心を持たず、内観を行わない。行動は、はっきり意識された計画や理由や動機に基づいてではなく、神々の行動と言葉によって開始される。神と英雄のこの関係は、フロイトの自我と超自我の関係や、ミードが提唱した自己と一般化された他者との関係に似ているとジェインズは主張する。この神々は、今日では幻覚と呼ばれるものである。すなわち、トロイア戦争は幻覚に導かれて戦われたのである。ジェインズはこのような古代人の精神構造を「二分心」と名付けている。

 『イーリアス』は後の時代に付け加えられた記述ほど、主観的な表現が増える傾向がある。すなわちこの作品は、基本的にどの王国も神政政治で、人々は新しい状況に直面するたびに聞こえてくる声の奴隷だった、主観的な意識の無い時代を垣間見させてくれる窓なのである。

 

本発表のまとめ

 今回はジェインズの重要な主張である、言語が意識を生み出したという仮説と、それから導き出される古代に無意識の文明があったという仮説について扱った。第一部後半では「二分心」についてより詳細かつ具体的な説明がなされるが、紙幅と時間の都合から次回発表で扱うつもりである。

 『神々の沈黙』は全18章、632ページに及ぶ大著である。このペースで全章を扱うと発表に6回を要してしまうため、今のところは第一部のみの紹介にとどめたいと考えている。興味のある方は是非書店で手に取っていただきたい。

 ジェインズの「二分心」仮説は、文字を持たなかった古代日本人の意識に迫る上でも一つの手がかりを提供してくれると私は考えている。ジェインズは第二部で、文字の登場が人類の意識構造に大きな変化をもたらしたと主張している。ジェインズの仮説は検証が難しく信頼性に不安を残すが、現代人と古代人の間に意識の面で様々な違いがあったことは確かである。我々の時代に神話や祭祀を活かそうと試みるとき、それを生み出した古代人の思考に対する理解が無ければ、それは空虚な猿真似にすぎないのではないだろうか。

 

参考文献
ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』(紀伊國屋書店 2005)