民族文化研究会

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定例勉強会報告14 「青人草」の神学――平田篤胤の国家意識

 去る7月9日の民族文化研究会定例会における報告「『青人草』の神学――平田篤胤の国家意識」の要旨を掲載します。

 

はじめに――二つの神学を繋ぐもの

 近世期の神道教理における記紀解釈は、記紀をもとに国家の正統性を弁証しようとする潮流と、記紀をもとに個人の魂魄の救済を希求しようとする潮流に、それぞれ大別されている。そして、前者の潮流は、近世期の神道教理における主流であって、大部分の国学者に共有された態度だった。宣長学を起点とした国学における神道教理は、記紀を皇統起源譚として解釈し、天照大御神瓊瓊杵尊にあたえた詔命を究極的根拠として、国家支配の正統性を弁証しようとするわけである。これに対し、後者の潮流は、近世期の神道教理における傍流であって、いわゆる民衆神道において共有された態度だった。一尊如来きのや中山みきといった民間神道家の神道教理は、記紀を幽冥界の叙述として解釈し、独自の諸神の観念を駆使しつつ、人々の魂魄の救済を主張しようとするわけである。そして、こうした両者の神道教理は、ともに記紀に準拠しつつも、前者の潮流は国家の正統性に重点を置いた「国家の神学」として、後者の潮流は個人の救済に重点を置いた「個人の神学」として、それぞれ対極にあるものとして対抗していたのである。

 だが、こうした「国家の神学」と「個人の神学」の対抗として描写される、近世期の神道教理における記紀解釈において、いずれの潮流にも分類しえず、異色の記紀解釈だと看做されているのが、平田篤胤記紀解釈である。すなわち、子安宣邦が『宣長と篤胤の世界』(中央公論社、1977年)で指摘したように、篤胤は「国家の神学」と「個人の神学」を統合する第三の神学を樹立しようとしたのだ。この「国家の神学」と「個人の神学」を統合する第三の神学の鍵となるのが、「青人草」という概念である。記紀は、本源的に皇統起源譚であるため、人類の創生については言及が無い。だが、人類の創生について言及が無いため、記紀は個人の救済について説明できない。そこで、篤胤は、「青人草」という概念を導入することで、記紀に人類の創生を読み込んで、個人の救済について説明しようとする。こうした点で、篤胤は、民間神道家の企図と、歩調を同じくしている。だが、篤胤は、こうした個人の救済だけでは満足せず、神から受けた恩寵への「報恩」として既存の体制の擁護を試みることで、国家の正統性をも弁証しようとした。こうした点で、篤胤は、国学者の企図と、歩調を同じくしている。すなわち、篤胤は、既存の国学者とは異なって、国家の正統性だけではなく、個人の救済にも着目しつつ、一般的な民間神道家とは異なって、こうした個人の救済を、国家の正統性へと接続しようとするわけだ。このように、私的救済から公的価値へと上昇しようとする「ダイナミズム」によって、篤胤の記紀解釈は「国家の神学」と「個人の神学」を統合するわけである。では、篤胤の記紀解釈を、「国家の神学」と「個人の神学」を統合した第三の神学たらしめる、こうした私的救済から公的価値へと上昇しようとする「ダイナミズム」は、いかなるものなのか。「青人草」や「報恩」といった鍵をもとに、この問いに応答したい。

 

一 「青人草」の生誕

 前述したように、記紀は本源的に皇統起源譚である。諸神と天地の創造を、そして建国の経緯に言及しつつ、その根源にある論理とは、天照大御神瓊瓊杵尊にあたえた詔命を究極的根拠とした、天皇による統治の先験的正統性にほかならない。だが、こうした皇統起源譚を中心とした記紀の構成は、人々の宗教的情熱を受容するにあたり、不足が生じてくる。信仰においては、信仰する者の幽冥での宿命はどうなるのか、あるいは信仰する者はそもそもいかなる存在なのか、といった問題を避けて通れない。すなわち、「信仰者の主体性」という問いが突き付けられることとなるのである。こうした「信仰者の主体性」という問題に応答するため、篤胤は「青人草」という概念を生み出したわけだ。篤胤は、『古史伝』において、「青人草」という概念を生み出し、人類の創生を記紀に読み込む。篤胤が、人類の創生を記紀に読み込むにあたって、利用したのが鎮火祭祝詞である。この祝詞には「神いざなぎいざなみの命…国の八十国、嶋の八十嶋を生みたまひ、八百万の神等を生みたまひて、みほと燃えて石隠りまして」という記述があるが、この叙述のうち篤胤は「八百万の神等」に着目する。伊邪那岐命伊邪那美命が生んだ神は、記紀によれば五柱であると指摘し、「八百万の神等」という表記は、これらの五柱の神々に加え、人類(「青人草」)の父祖たる数多の神々も挙げたため、と主張する。一見すると牽強付会な議論だが、こうして篤胤は人類の創生を記紀に読み込み、「信仰者の主体性」を確立したわけだ。重要なのは、実際に記紀が人類の創生を叙述しているかではなく、篤胤が記紀から人類の創生を解釈しようとした、という点にある。

 

二 神の愛と犠牲

 こうして、記紀の神話的世界において、「信仰者の主体性」は確立された。続いて、論点として浮上するのが、こうした青人草と神の関係性である。まず、神が、青人草に対し、いかに接しているか、を俎上に載せたい。篤胤は、神が、青人草を、「愛」と「犠牲」を払って処遇している、と指摘した。篤胤の記紀解釈において、こうした神の青人草への「愛」と「犠牲」は、国生みから天孫降臨まで、神話の全体を貫徹する主調音であり、それへと神の全行為が収斂する命題であった。第一に、天津神が岐美二神にあたえた国生みの詔命が、すでに「青人草の生成」という企図を包含していたと解釈される。天津神は「青人草を住せ給はむこと」(『古史伝』)をこそ命じたのであり、国生みの詔命も、この延長上にある。こうして「青人草の生成」のため創生された国土で、「人種(ひとくさ)の始祖」(『赤県太古伝』)となった岐美二神は、親が子を慈しむように「青人草」を愛おしむ存在となる。第二に、記紀においては、伊邪那美命は荒ぶる火神を生んで黄泉へと行くのだが、篤胤の『古史成文』は、黄泉へ隠れた伊邪那美命は地上へ還帰し、傷ついた身体で神生みをすると主張した。この神生みは、青人草のために行われたとされた。すなわち、篤胤の記紀解釈において、神の青人草への「愛」は、自らが「犠牲」を払っても、貫徹されるのだ。そして、岐美二神の青人草への「愛」と「犠牲」は、皇祖神である天照大御神に継承される。記紀には、伊邪那岐命天照大御神に詔命をあたえた際の情景が「御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまびしく、汝命は、高天原を知らせ、と事依さして賜ひき」と描写されている。天照大御神が継承したのは、高天原の主宰者である皇祖神としての、資格とその表象である御頸珠のほかにはない。しかし、青人草への「愛」と「犠牲」の継承を読み取ろうとする篤胤の解釈では、御頸珠は単なる聖性の表象であることに留まらず、「是より以後は、世に霊幸ひたまふべき御徳を、悉に大御神に禅賜ふ御璽」(『古史伝』)として把握されるのだ。天照大御神は、皇祖神の資格と一体のものとして、青人草への「愛」と「犠牲」を統轄する義務と権能を継承したのだ。

 

三 天孫降臨

 このように、「青人草」は、神による「愛」と「犠牲」を払った庇護のもとにある。それでは、こうした神の巨大な恩寵は、いわば反作用として、どのような義務を人間に要請するだろうか。続いて、こうした人間は神をいかに信仰すべきか、という問題に取り組んでいきたい。篤胤は、こうした神の巨大な恩寵に、「報恩」という形態によって、応答すべきであると主張している。そして、篤胤の記紀解釈における「信仰者」は、「青人草」として記紀において主体性を確立しているのであり、こうした「報恩」を充分に実践できる能力をもっている。すなわち、篤胤はまず、皇室起源譚を中心とする記紀の限界を打開するため「青人草」によって、「信仰者の主体性」を確立した。そして、こうした「信仰者」への、神による「愛」と「犠牲」を払った庇護と、こうした庇護への「信仰者」の主体的な「報恩」を主題化することで、神と「信仰者」の能動的な関係性を構想したわけである。こうした「庇護」と「報恩」によって、緊密に結合された能動的な関係性こそ、篤胤が理想とする神人関係なのである。そして、こうした「庇護」と「報恩」によって、緊密に結合された能動的な神人関係が、究極的に実現される場こそ、天孫降臨にほかならなかった。篤胤の記紀解釈によると、天孫降臨とは、それまで本体が天上にあったため、恩寵を充分に地上に注げなかった神々の、「愛」と「犠牲」による庇護を、青人草にもたらす行為だった。皇孫の降臨が無ければ、青人草に恩恵をもたらす神々の体系は充分に機能しえないのであり、その意味で天孫降臨は、神々の庇護の体系の、最終的な完成を含意していた。

 ここで、注意したいのが、天孫降臨を契機とし、神による「庇護」と信仰者による「報恩」の関係性は、天皇による「庇護」と民衆による「報恩」の関係性へと、転換していることである。第一に、神の「庇護」と青人草の「報恩」によって、緊密に結合された能動的な神人関係により、個人の魂魄は救済される。第二に、こうした神の「庇護」と青人草の「報恩」によって、緊密に結合された能動的な神人関係が、政治上の関係性へと読み替えられていくことによって、国家の正統性が弁証される。天孫降臨を劇的なクライマックスとして、国家の正統性を重視する「国家の神学」と、個人の救済を志向する「個人の神学」は、統合されることとなるのである。

 

おわりに――私的救済から公的価値への揚棄

 これまで、篤胤の記紀解釈において、国家の正統性に重点を置いた「国家の神学」と、個人の救済に重点を置いた「個人の神学」が、いかに統合されるかを検討してきた。まず、篤胤は、「青人草」の概念によって、記紀に人類の創生を読み込み、それまで記紀において希薄だった「信仰者の主体性」を確立した。こうした「信仰者の主体性」を確立することによって、それまで国学者神道教理における記紀解釈では困難だった、個人の魂魄の救済を主題化できるようになった。だが、篤胤は、これでは満足しない。神と信仰者の関係性を、神の「愛」と「犠牲」を払った「庇護」と信仰者の「報恩」によって、緊密に結合された能動的な関係性として設定することによって、信仰者に自身のみの救済に留まらない、高次の目的意識を抱かせることに成功した。そして、天孫降臨を契機として、こうした神人関係を政治的関係へと転換させることによって、特定の政治制度への自発的な忠誠をもたらすことを可能としたわけである。こうして、従来の民間神道家の神道教理における記紀解釈では困難だった、国家の正統性を主題化できるようになった。こうして、篤胤は、国家の正統性に重点を置いた「国家の神学」と、個人の救済に重点を置いた「個人の神学」を、統合することができたわけである。こうして、「国家の神学」と「個人の神学」に分断された、私的救済と公的価値が接続され、私的救済から公的価値へと上昇しようとする「ダイナミズム」が生まれることとなった。平野豊雄は、「篤胤における国家と『青人草』」一橋論叢84巻1号(1980年)で、こうした篤胤の記紀解釈における、私的救済と公的価値が接続され、私的救済から公的価値へと上昇しようとする「ダイナミズム」が生まれたことを指し、「揚棄され国家に向かって解放された」と表現している。この表現は適切であって、篤胤神学のもつ政治的・社会的企図において、自身の救済にしか関心の無かった個人は、主体的に公的価値を実現しようと行動するようになり、「揚棄され国家に向かって解放された」わけだ。

 

参考文献
相良亨編『日本の名著24 平田篤胤佐藤信淵鈴木雅之』(中央公論社、1972年)
子安宣邦宣長と篤胤の世界』(中央公論社、1977年)
平野豊雄「篤胤における国家と『青人草』」一橋論叢84巻1号(1980年)