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民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

定例勉強会報告9 〈神道神学〉という試み――上田賢治氏の業績から(一)

◇はじめに

 民族主義がその根幹として重んじるのは、各民族が持つ神話、そしてそれに基づく信仰・習俗である。我が民族が奉ずべきは、古伝に記された神話、そしてそれを基としたいわゆる神道信仰ということになる。ところが、単にこれらを奉ずるといってもはなはだ漠然としている。我々の立場は、文化財として神社や祭りを保護すべきであるという論ではない。確かに、各地の神社や祭りが末永く続いていくために、様々な施策が講じられることは素晴らしいことであるし、その為に奮迅する人々の努力には人一倍敬意を払いたい。しかしながら、「昔から続いてきた貴重なもの」としてのみ、それらを保護するのであってはならない。それは民族の正統な信仰の対象であり、またその発現である。その意味においては、社殿の古さやある種の珍奇さなどは、尺度として後退させる必要がある。

 神道が信仰である以上、その信仰はどうあるべきか、神を一体どう捉えればよいのか、そういった問題が表出するのは避けられない。

 今回は、神道信仰を考える手がかりとして、國學院大学の故・上田賢治氏が説いた神道神学の意義を紹介したい。本稿の基礎となっている上田氏の論文は、「組織神学の樹立と神学者の育成―「敬神生活の綱領・解説」をめぐって―」(上田『神道神学―組織神学への序章―』〈大明堂、昭和61年〉所収、初出は昭和51年)、および「神道信仰に見る唯一神教的傾向」(上田『神道神学論考』〈大明堂、平成3年〉所収、初出は昭和62年)である。

 

◇〈神道神学〉は必要か?

 さて、なぜ〈神道神学〉というものが必要なのかという、ごく初歩的な疑問が出て来よう。正直いって、〈神道神学〉などというと、怪訝な顔をされる方が多いのではないだろうか。筆者が上田氏の業績を知人に話した時、かなり警戒感を抱いていたのは良い思い出である。じっさい上田氏も、「〈神学〉という言葉を使っただけで、神道家の中には、強い反撥を示す傾向のあることも、無視しえない」として、その点に対して十分留意しながら、反論の形で〈神道神学〉の意義を説明している。

 氏が〈神道神学〉に対する反発理由の主要素として推定するのが、「神道が教義によって立つ宗教ではない、という考え方」である。確かに、神道は特定の教主によって述作されたいわゆる創唱宗教の類ではない。しかし氏は、「教義のないことは、神学のないことを意味しはしない」、「神話や制度、習俗にすら、神学は隠されてある」し、実際、中世から近世にかけて、神道は儒仏と習合しながら自己の神学を形成した時期があった点を指摘する。そして、神学の不要を説くのは明治政府以来の神道非宗教政策の「悪結果」であるが、そのような立場は行政的施策であると同時にまた「一つの神道理解、神学的思惟の結果」であるから、その立場に立つ者もその信仰形態を自覚し、積極的に発言すべきとしている。

 じっさい、教義がないということは、定められた教えがないということであるが、それは「何を信じてもよい」わけではない。氏は、信仰が神道信仰であるためには、当然そのアイデンティティが問われるはずであるが、それを「理性的・論理的に、明確なものとするのが、神学の使命であり、課題」であるとする。氏は、「良き意味での自由、悪しき意味での混乱の時代ほど、自覚的に伝統の意味を吟味し、意識化することの必要な時代はない」としているが、この現状は今もって変わらないであろう。

 また、〈神道神学〉に拒否感が示される理由として、氏は「この言葉が、キリスト教の用語であるから」というものも挙げ、これは決して「無視されてはならない要因であるように思われる」とするが、それは次のような理由である。

 一つの文化論的な立場として、日本人は外来文化を取り入れ、それを日本的に変容して活用するものであり、それが本来的な姿であるというものがある。また、人間の本性に根ざす優れたものは、文化的発現形態に差こそあれ、本質は相通ずるものであるから、外来の概念を借りて自己を表現しても構わないのではないかという見方もある。実際、神道は長く儒仏を習合させた形態をとっていたという歴史的経緯がある。

 氏はこのような見解の妥当性を一面において認めつつ、文化複合の可能性は、「覚めた意識、自覚的な反省と、主体的な能動とによって動機づけられたものでなければならないはず」とし、それを欠くならば、「そこに結果されるものは、文化のアパシーであり、アイデンティティ喪失の植民地文化に他ならない」と手厳しい。そして、自己が自己自身を問う営みは、「可能な限り、原理的に、自己の本来的な姿に立ち返る営みとしてあるべきで、外来文化の受容、外来文化との習合も、その原理に許容されるものである時に、はじめて、価値的な承認を得られるべきはずのものである」と表明する。そしてこの意味で、〈神学〉というものの外来性を意識・警戒するのは決して軽薄な理由と言い切ることは出来ないというのである。

 しかし、〈神学〉という語はすくなくとも近世の段階で日本語として成立しており、今日的意味とは違ってはいても用いられていた事実があり、またこの語は、「信仰の弁証学として、学術的な要語の資格を克ち得ている」と氏は述べる。そして、神道は神を信ずる宗教で、神社神道は宗派を立てない点に特質を持つので、仏教で用いられる〈宗学〉、〈教学〉という語より妥当であろうと結論している。

 氏が神道神学の理由を説く理由は、以上の通りである。氏の主張する〈神道神学〉は、先に引用した「可能な限り、原理的に、自己の本来的な姿に立ち返る営み」という表現に集約されているであろう。

 

◇過去における〈神道神学〉への取り組みはどうだったのか?

 さて、〈神道神学〉の必要性は大略諒解されたと思われるが、その方向性について、氏はどのような見取り図を持っているのか。氏には国学に関する研究業績もあり、その中においてこの点に関するより詳しい指摘もしているのだが、今回はまず本稿で取り上げている二論文を基に、過去の我が国における〈神道神学〉への取り組みへの氏の評言を取り上げ、これを見ていきたい。

 まず、先に挙げた通り、中世から近世にかけて、神道は儒仏と習合しながら〈神学〉を形成した時期があった。しかし、これは氏が言うところの、「可能な限り、原理的に、自己の本来的な姿に立ち返る営み」としては許容できないものであり、氏の言及のなかでも総体として大きな比重は占めていない。

 ひるがえって、氏はこのような営みが「たゞ一度、国学によって試みられたことがあるように思われる」と、この観点から国学を高く評価している。しかし、氏は同時に「近世に成立展開した国学は、理知主義的な信仰の理解や表明を嫌う余り、理性に基づいた自己分析や、信仰の体系化・組織化を怠り、文学的心情の世界、或は神秘主義的思弁の世界に立て籠る誤りを犯したのではないかと思われる」と手厳しく批判をも加える。国学が、原理的に自己の本来の姿に立ち戻ろうとした姿勢は高く評価されるべきではあるが、同時に、いわゆる「言挙げせぬ」風潮に対しては、その二の轍を踏んではならないと厳しく警戒しているのは極めて注目すべき見解である。

 また、明治期以降の「神社非宗教化政策」的立場も、一面では「一つの神道理解、神学的思惟の結果として、意味づけられる性格のもの」と見られるわけであり、氏はこれを「明治神学」と表現しているが、この立場に関して氏が極めて批判的であることは、前節で触れた通りである。

 

◇「神社審議会アンケート」に現われた問題

 以上が、上田氏の説く〈神道神学〉の意義と、過去の〈神道神学〉営為への評価であるが、本稿では氏が具体的に指摘・批判している事象として、昭和41年に行われた「神社審議会アンケート」、および昭和47年に発表された「敬神生活の綱領」解説稿本を取り上げたい。戦後(そしておそらくは現在の)神社界、そして広く神社に関心のある人々にとって、そして何より〈神道神学〉というものの必要性を認識する人間にとって、これらの事実は非常に重大な意味を持つものだからである。

 まず、昭和41年に行われた「神社審議会アンケート」に関する氏の指摘を見てみたいが、その前に、戦後における神社の教義問題の流れを、氏の整理に従って提示しよう。

 被占領下の昭和21年、軍政によって要求された神社の制度的宗教化政策に対応するため、「教義に関する調査委員会」が設置された。ところがその席上、会合の主査を務めていた神社本庁の中西旭氏が、「神社神道の信仰が天御中主神に帰一すべきである」という意見を提出、これに対して参加委員の中から強い反発が起こったという。翌年開催された神社審議会においては、教義問題について伊勢神宮を中心とする旨を本庁に答申、また同年の五月、教化課長・小野祖教氏が「教義調査取扱要綱」を作成し、教義に関する調査委員会の同意、および理事会の承認を受けることによって、この問題は一応解決した。この「教義調査取扱要綱」は6カ条からなり、氏のまとめによると、①神社本庁々規に準拠する信仰であること、②神社の伝統に即し、これが発展に属するものであること、③神社の奉斎神の信仰に現実の基準を置くこと、④神宮を中心として統合調和している信仰であること、⑤特定の一神が一切の神の本質を併合するが如き教義は除外されること、⑥善美なる宗教として人道に背戻しないこと、という内容であるという。神社界の結論としては制定教義を持たないということであったが、信仰生活の目標を示すという意味で、昭和31年に神社本庁が制定したのが「敬神生活の綱領」である。

 さて、「神社審議会アンケート」は、この「敬神生活の綱領」制定から10年後の昭和41年、神社本庁宮司神道学者、神道人約300人を対象に行った教義問題を中心とするアンケートである。上田氏は、設問中の「神々の統一」に関して注目を寄せている。
 まず、このアンケートに回答を寄せた者が120名であり、上田氏は「この事実そのものが、神社界における教義問題の如何に関心度の薄い対象であるかを示している」と手厳しいが、その120名のうち、この設問に答えたのが86名、直接の回答を避けた者がそのうち34名に及んだのである。

 そして残りの52名のうち、神道多神教であることを認めたのは35名、そのうち、諸神に統一を求めることが不可能とした者も含めて、ただ多神であることを述べた者が8名、他の27名は多神に統一のあることに触れ、そのうちの12名は天照大神がその中心に位置することを述べている。氏が特に問題としているのは、「86名の回答者中、17名が、神道の多神性よりも一神性に強調点を置き、そのニュアンスで多神の統一という問題を理解している事実である」という。

 すなわち、先ほどの「教義調査取扱要綱」の中では、「特定の一神が一切の神の本質を併合するが如き教義は除外されること」と明示されていたにもかかわらず、アンケートにおいては一部の神道人が、「一神性」の強調を表明しているのである。氏は、「これは、教学的な不統一というよりも、信仰の不一致さえが堂々と黙認されている事実だと、認定してよいのではあるまいか」としている。詳しくみると、17名のうち3名は汎神論的一神という理解であり、14名は一神即万神と主張する。後者のうち一神を天照大神とするものは6名、天御中主神とするものは3名、他は神名を特定していない。とりわけ、神に統一があると理解する集団12名に対して、この一神(=天照大神)即万神の6名は「諸神の神徳がアマテラスに吸収されること、換言すれば、諸神が天照大神の霊的機能の顕現体に過ぎないと理解している」のであって、その差異は明瞭であるという。

 

◇おわりに

 以上のような神社界の現状をみれば、上田氏が、神道信仰が立脚する基盤の不安定を自覚したことが十分に納得出来る。次回の報告では、神社本庁が昭和47年に発表した「敬神生活の綱領」解説稿本に関する上田氏の指摘をみていきたい。