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民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

討論会報告1 アジア主義の脱構築

 過日、民族文化研究会では、有志によって「アジア主義脱構築」を主題に、討論会を行った。現代におけるアジア主義の展望をめぐって、数時間にわたり議論が交わされた。そこでの議論は、これまでのアジア主義を生まれ変わらせようとする方向性を示唆しており、まさしくアジア主義の「脱構築」とでも形容すべき内容となっている。以下は、その討論会の議事録である。また、参加者であるトモサカアキノリ・湯原静雄の両者は、それぞれトモサカ・湯原と表記している。

 

湯原「では、アジア主義についての討論ということですが、おそらく、こうしたテーマを巡っては、過去のアジア主義の検討と、現在・将来におけるアジア主義の可能性と、この二点がまず考えられると思います。どちらから議論しましょうか」

トモサカ「基本的には将来を見据えていく方向性でいきましょう。過去は、そのための参照先として有用であるにすぎません。ですが、その視点であれば両者を接合させる事ができます。まず我々が、なぜアジア主義について語らなければならないかという問題がありますが、それは過去にアジア主義が、世界における帝国の生存戦略のうち、日本的秩序構築(パクスヤポニカ)を行う際にとりえた戦略の一つであったという理解に根差していると思いますが、いかがでしょうか」

湯原「アジア主義において、日本の国益の追求と、これは当時としてはパクスヤポニカという世界戦略のことであったわけですが、それとアジアの解放は、表裏一体だったと思います。また、この両面のどちらがメインだったかということについて、これまで議論が繰り返されてきたと思います。われわれは、このうち、どちらを選択するか、あるいは双方を成し遂げるのか、現代において課題となっていると思いますが、いかがお考えでしょうか」

トモサカ「捕捉しつつ理解したいと思いますが、まずアジア主義とは何であったか、その選択肢は二つあることになりますよね。前提として、日本の国益追及の手法として、世界戦略が必要とされていた。その結果、日本的秩序構築(パクスヤポニカ)と植民地解放という二面があったということですね」

湯原「そうです。そして、そのうち、どちらの側面が強かったかが、これまでアジア主義の議論の主題となってきたわけです。乱暴に整理すれば、左派はアジア主義侵略戦争の方便として、右派はアジア主義を植民地解放の理念として解釈したわけですが、こうした図式的でないアジア主義理解が、今必要とされている点は、議論として共有できると思います。そこで、アジア主義の二側面を、いかに理解していくか、というテーマが重要性をもつわけです」

トモサカ「アジア主義には二つの側面があって、左派はアジア主義侵略戦争の方便として、一方で右派はアジア主義を植民地解放の理念として解釈したということですね。その点は同意します。そして、それ以外のアジア主義というと、どういうものを想定されていますか」

湯原「アジア主義についての議論を簡単に整理するかたちで、議論を進めてきましたが、私の見解を述べさせて頂きますと、両者の類まれな一致が、アジア主義だったと捉えております。欧米と対抗するにあたって、アジアの独立の実現は、日本の国益でもあった。ここで、リアリスティックな国益の追求と、植民地解放という理念の探求が、見事に合一したのではないでしょうか。ただ、現代では、戦前期と状況が異なっているので、この両側面をいかに整合的に理解するかについては、最初から検討し直す必要性があると思います」

トモサカ「そうですね。『欧米と対抗するにあたって、アジアの独立の実現は、日本の国益でもあった。ここで、リアリスティックな国益の追求と、植民地解放という理念の探求が、見事に合一した』というのは、至言だと思います。そして、現在はかなり状況が違っているのも事実です。シナやスィンドやインドネスィアは独立したのですが、それぞれの国益は矛盾するような状況にあるということですよね」

湯原「アジアの利益を、そのまま日本の国益だと変換できなくなったわけです。ここで、アジア主義の現代における適用可能性にも疑問が出てきているわけですし、アジア主義の理念を維持したままで、日本の世界戦略を描出できるのか、という問題が発生しているわけです。この点を、いかにお考えですか」

トモサカ「それは全く仰る通りです。戦前戦中については、アジアは一つの利益共同体になりえたと思いますが、現代ではアジアという地域は一つの利益共同体として成立していません。しかしながら、現代のアジアという地域が、戦前戦中に理想とされたアジア主義の理念通りにならなかったことは、理念としてのアジア主義が誤っていたことの証左にはならないと考えています。まず、アジア主義では、対欧米の勢力確立という目的のために、アジアを『建設』するという構築主義的な意見が主流となったのであり、ある意味では、そもそも現実的でない意見を主張していたのです。現在、アジアという利益共同体は成立していないわけですが、仮にアジア主義をここで持ち出すのであれば、また、アジアの建設を再開するといったことは理論上、可能と思います。ですから、そうしたことをすべきかどうかについても、ここでは話したいと考えています」

湯原「アジアという利益共同体を、フィクションであれ構築することが、日本の国益に合致するのならば、という留保を付した上ですが、上記の議論には同意いたします」

トモサカ「もちろんです。それは大前提ですので。しかし、後で重要になると思いますので、そうでない前提がありうるのかと設問しますと、あり得ます。それは、日本以外の、アジア主義的アジアの参加者たちにとっての、防衛戦略としてです。アジア主義が実現を試みていたのは、現在の欧州連合のような国家共同体であるわけで、戦争状態にあった実際の短い試験期間の実情はどうあれ、その参加国は対等であることがうたわれています」

湯原「ですが、欧米への対抗や、植民地主義の脅威といった、アジアという利益共同体を構築するメリットが喪失されつつあるなかで、なおもアジアという利益共同体を仮構する意味は、どこにあるのでしょうか」

トモサカ「ぼくはアジア主義を無条件に肯定してはいません。ですが、我が国が今後とるべき戦略の中で、国家共同体という想定は、かなり重要になってくると考えています。それは、根本的には世界の流動における勢力確立の問題意識を基礎にしています。例えば、帝国は今後、一国で世界の資本主義勢力、もしくは脱文化勢力等に立ち向かえるでしょうか。また、ぼくは植民地主義の脅威が去ったとは理解していません。確かに冷戦終了後以降、大航海時代のように目に見えて虐殺や植民地化が行われる前提はなくなったかのように見えていますが、本当にそうでしょうか。ルスィヤを例に挙げますと、彼らはソ連時代に、本来は異民族(Ethnic groups)の土地に植民し、現在、結果的にルスィヤ人が多い地域を衛星国家として独立させながら、利害関係を共有しているわけですよね。それはシナも同様といっていいでしょう。シナは現在、充分に植民地主義的ですし、今後、世界が徐々に帝国主義的に変容する中で、新たに植民地を拡大させる可能性も、充分にあると考えています」

湯原「グローバル化や、存続し続けている植民地主義に対して、国家間の連帯を強化する必要性があるわけですね。それについては、分かりました。ですが、私がここで注意を喚起したいのは、連帯する国家を誤ってはならない、という点です。かつてのアジア主義のように、アジアという単位の自明性に寄りかからずに、アジアにおいて連帯を深めるにせよ、アジアのどの国家と連帯すべきか、慎重に吟味しなければならないでしょう。東アジア共同体論者が主張するような、日本にとって敵性国家であるシナや朝鮮半島との連帯は、国益の観点から阻止されなければならないのは言うまでもありません。また、国家間連帯ならば、アジアという広すぎる地域を、特権的に理念として標榜する必要性があるのか、という疑問も生じると思います」

トモサカ「ひとまず、グローバル化植民地主義に打ち勝つために、国家を超越した共同体が必要である点については、理解を共有できているということですね。『敵性国家』についてですが、現在の中華人民共和国や、朝鮮民主主義人民共和国大韓民国が敵性国家であるという議論には同意します。したがって、我が国にとって、彼らとの連帯は、様々な場面で基本的に意味を持たないという点に同意します。そのうえで、我々はこの議論を、帝国が何と連帯しうるのかを問い直す場として再検討する必要があると思います」

湯原「それについては、完全に同意します」

トモサカ「上記の議論を引き継いで言えば、該当の地域にある体制が、我々と利益を共有でき、また、反資本主義であり、また、反植民地主義的になることができれば、我々は当然連帯することができるわけですよね」

湯原「そうですね、またそうした国家を、いかに増やしていけるか、日本の世界戦略が問われるでしょう」

トモサカ「ここまでは、完全に価値観を共有できました。繰り返しますが、『いかに増やしていけるか』。現代は帝国主義の時代です。我々は、能動的に相手国の体制を無害化し、味方につけていくという方向性を選択肢として見据えなければならない時代にあります」

湯原「では、続いて、帝国が他国と国家間連帯を推進するにせよ、アジアという単位に拘泥する必要があるのか、という論点が出てくると思います。これについて、いかにお考えでしょうか」

トモサカ「実のところ、全くないと思います。しかし、留保事項があります。そもそも目的意識としては、上記のように、反グローバルであり、反資本主義であり、反植民地主義的である等の条件のもとに、経済的な実態としての他の主体(主に国民国家)と思想的同志となり、互いに強調する連帯が必要なのです。したがって、それらの条件を満たしさえすれば、我々はすべての主体と手を組むべきだといえます。ただし、かつての三国同盟のように、地球の真裏にいくつかの勢力があるだけでは安定しません。近隣に勢力を持つ主体との連帯であることも、大変重要だといえます。まあこの点は、以前も意識されていたことでしょうが」

湯原「たしかに、地理的条件も重要ですね。そうした点も考慮した上で、連帯できる国家を増やしていくのが肝要でしょう」

トモサカ「少し話の流れを変えたいと思いますが、先の大戦では、我が国はたしかにアジア主義を掲げており、その使徒として奔走した経緯があります。ぼくはこの戦争を、時の政府が強調したように大東亜戦争と呼ぶことにやぶさかではありません。しかし、その実態を考えると、現在のアカデミズムが時折呼ぶ『アジア・太平洋戦争』といういい方は、なかなか優れた呼称だと思います。素朴な指摘ですが、太平洋はアジアには含まれないのです」

湯原「アジア主義は、その名とは裏腹に、アジアという単位に必要以上に拘泥せず、広い視野で国家間連帯を構想していたわけですね」

トモサカ「はい、その通りだと思います。大東亜戦争において、アジア主義という理念が、いかなる方向性を帯びたかというと、あくまで現地の国家なり国民なり民族という主体を重んじ、それぞれの独立と相互自助を求めていた。言うまでもないことですが、理念と実際の政策は別の次元で考えてください。実際の政策はかなり植民地主義的に、ある意味では帝国に優位な政策を行い、しばしば現地人を鑑みなかったことも事実です。話を続けましょう。戦略上重要だった事もありますが、わが軍は豪州の上陸作戦なども視野に入れていました。これが成功していたらどうなったでしょう。例えば現場合のインドネスィアのように、現地人の社会と指導体制とを擁立する形式の統治を目指していたとすれば、豪州は現在のような白人社会ではなく、アボリジナルピーポー(先住民族)も参加する社会が出来上がっていたのではないでしょうか。場合によってはハワイ王国の実現なども、考えられたでしょう。多少、話がそれたようですので修正しますと、『アジア主義』はアジアのみならず、南洋などでも行われていたのです。オセアニアにも自治という方針が多分に適用されていたのですね」

湯原「アジア主義が、国家間連帯と植民地解放という理念の行き着く先で、アジアを乗り越えていくわけですね。確かに、これら二つの理念と、アジアという単位は、直接的にはリンクしていません。ここで、アジア主義が、世界を視野に入れた、国家間連帯と植民地解放の理念として、拡張されていく可能性があったわけですね」

トモサカ「そうですね。それと、くどいようですが、アジア主義の思想的重鎮である大川周明の議論も取り上げたいと思います。ぼくは、大川を同志先輩として尊敬しています。彼は著書の中で、幾たびもイスラームの地域性についてふれているのですが、なぜ彼がイスラームを重視したのかというと、やはり、対欧米の視点で、反植民地主義的な戦略を構築するうえで、その主要な地域において、広範に信仰されているイスラーム潜在的能力を評価してのことだったのですね。イスラームは『西アジア』発祥ですから、彼は疑いなく『アジア』に着目したのですが、その概説書である『回教概論』では、もちろんアフリカ地域についても少なからず言及があります。そこで、改めてアジア主義とは何だったのかを見直しますと、これは、国家間連帯や植民地解放といった基本的戦略の上に、手段としての地域性を言及した結果、だいたい『アジア』という地域に収まったということにほかなりません」

湯原「いわば、アジア主義にとって、アジアとは目的ではなく、手段だったわけですね。その理念を実現していくうえで、足がかりとなる地域性として、アジア主義はアジアを捉えていた。他方で、岡倉天心などを見ますと、アジアを目的として捉えていたのではないか、と思われる部分がある。岡倉は、日本を東洋文化の一大流入地と理解していて、東洋文化を一身に受容した日本が、その総合と止揚を成し遂げたと絶賛するのですが、ここで岡倉の内部でナショナリズムアジア主義が合致する一方で、文化というかたちでアジアを実質的単位と把握し、これをアジア主義の究極的な目的と解釈しているわけです。アジアをどう捉えるかは、アジア主義の内部でも分裂していたのかもしれませんね」

トモサカ「それはご指摘の通りですね。岡倉のアジア主義は、かなり漢字文化圏に力点を置いていると思います。多少逸脱するかもしれませんが、ぼくは、この東アジア的な、漢字文明圏という概念はかなり有効だと考えていますが、いかがお考えでしょうか。初期のアジア主義というのは、おそらく東アジアをさして『アジア』を想像していたのではないか、と思われるふしがあります。また、これとは別に、そもそも『アジア』とはいったい何でしょうか。その点は問い直されるべきですね」

湯原「東アジアを、漢字文化圏であれ、儒教文化圏であれ、華夷秩序であれ、表面的な類似性をもって同質の文明圏と判断するのは、浅慮ではないでしょうか。例えば、シナや朝鮮半島が、封建制を経験したでしょうか、宗教改革を通過したでしょうか、合理主義が台頭したでしょうか、近代的なネーション(国民)や自由市場の観念を発生させたでしょうか、市民革命を成功させたでしょうか。結論を言うと、日本が主体的に近代を経験したのに対し、シナや朝鮮半島は、古代的専制国家のシーラカンスなのではないでしょうか。表面的な類似を追っていては気付けない、文明的内実や歴史的展開において、両者は隔絶された文化圏なのだと思っています。この点では、私は梅棹忠夫の主張する、日本とヨーロッパの並行進化という命題を支持しています」

トモサカ「その点は、ぼくも賛成しています。しかし、東アジアが成立しているかどうかは、定義によって結論が異なる議論です。まず、ぼくはどういう議論に賛成しているかですが、ぼくは歴史学でいう『文明』について、技術や経済を基礎とする、不可逆的な社会の進化がもたらす社会の在り方だと考えています。ある解釈では、『文明』は石器時代から青銅器時代への時代の変化と、表記体系の整った記号である文字が生まれたことにより、成立するのですね。シナ文明については、黄河文明長江文明遼河文明が成立したのち、おそらく黄河文明が主体となって残りを統合することに開始します。そしてご指摘の通り、主に近世において、シナ文明と近隣の主体(独立した『文明』と言いうるかどうかは、疑問があります)は、日本文明に比較して、生産様式や社会発展段階が劣っていた。では、別の意見ではどうか。例えば、ここで東アジアを文明ではなく文化として問い直してみましょう。ご指摘の通り、漢字文化や儒教文化や華夷秩序といった固有な文化は、現在でも我が国、ないし民族(Ethnic groups)に強く影響を与えています。その意味で、我が国・民族は東アジア文化圏、つまりシナ文化圏でもあるといっていいでしょう。さすがに逸脱しますので、この議論においてぼくの結論を述べます。シナ文化圏のなかの日本という状況がこれまでの経緯であるとして、今後の我が国はどうするべきか、ということについてです。じつは、ぼくは日本が文化的に自立すべきであるという意見です。極端なことを言うと、シナ文化圏から自立するために、漢語と漢字を排斥し、文化を純化するべきだと考えています。異論はあるかもしれませんが、近世に始まる思想的独立を、我々後世の者が完成させなければならないという使命感があります。また、それは民族(Ethnic groups)としての日本のみならず、民族という単位として並立しうる全ての主体において行われなければならないと考えています」

湯原「よく分かりました。続いて、アジアとは何かという問いについてですが、アジアとは、ヨーロッパの視線の中で、彼らより東方にある土地、そして住んでいる人々として、まずは定式化されたのだと思います。エドワード・サイードの表現を借用すると、オリエンタリズムですね。もっとも、これはアジアに限った話ではなく、どのような存在も、他者との対比のなかで、自我を形成していくのです」

トモサカ「そうですね。アジアとは、その始原においてアナトリア、今のトルコのことであり、その概念を継承した西ローマ帝国が世界を飲み込んだ結果、我々も上からアジアなる網をかぶせられたに過ぎないことは、肝に銘じておかなければならないでしょう」