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民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

時論2 イロニーとしての「日本」――「日本論」の氾濫を横目に

 眼前の机上に、私が購読している「国民同胞」という、ある保守系の団体の機関紙が載っている。そこでの記事に、海外在住の日本人会社員の手記があった。論旨を掻い摘むと、海外で生活するには、祖国を心の支えにする必要がある、ということである。確かに、その通りだ。海外で生活する日本人には、祖国の歴史や文化を喪失した、デラシネ(根無し草)が少なくない。では、どのようにすればデラシネにならずに済むのだろうか。その回答を期待しつつ紙面を追うと、祖国の歴史や文化を学べとの提案があった。確かに、その通りだ。だが、一抹の失望感を味わう。意地悪な言い方をすれば、祖国の歴史や文化を一通り学びさえすれば、簡単に日本人になれるのだろうか。まるで、カルチャーセンターでの稽古事のように。ここで私が言いたいのは、日本人であることの「困難さ」であり、日本なるものを把握することの「困難さ」である。

 このように、日本人に祖国の歴史や文化を学ぶように求め、祖国の歴史や文化の本質を掴み取ろうとする「日本論」の氾濫は、今に始まった話ではない。われわれは、書店の店頭で溢れる「日本」の文字に、もはや慣れつつある。だが、ここに、日本人であることの「困難さ」や、日本なるものを把握する「困難さ」への自覚は、どれほどあるのだろうか。ここで、私が想起するのが、西部邁の『生まじめな戯れ』(筑摩書房、1984年)に所収された「日本主義」という小論である。西部は、日本自慢を繰り返すサラリーマンと宴席で喧嘩になったエピソードから稿を起こし、日本主義を曖昧模糊な雰囲気の産物であると看做して、日本主義は「空気」であると結論付けた。だが、山本七平の「空気」論とは異なって、西部は「空気」の積極的な側面も認める。こうした「空気」こそ、われわれの根底を形作る一部だとされた。ここで、日本主義をイデオロギーとしてしか看做さない戸坂潤の『日本イデオロギー論』(岩波書店、1935年)は、単なる啓蒙的なイデオロギー批判でしかないと反駁されることになる。西部は、「日本」を「空気」だと看做しつつ、他方で「空気」の重要性も指摘したわけだが、この見解に立脚すると日本人であることは、日本なるものを把握するのは、ひどく困難になってしまう。なにせ、曖昧模糊な「空気」なのだから。

 また、日本人であることの「困難さ」や、日本なるものを把握する「困難さ」については、長谷川三千子の『からごころ』(中央公論社、1986年)に所収された「からごころ」も思い出される。長谷川は、表意文字である漢字を借用しつつ、日本語の表現を企図する訓読が形成された経緯を概観しつつ、われわれの固有性の根源にある言語の領域において、外来の要素が混入している現実を指摘した。外来の文物を、外来であることを無視しつつ、それを取り入れて固有なるものを形成したことで、日本人は固有なるものを追求すればするほど、その固有なるものから乖離してしまう、「無視の構造」が形成される。日本に固有のものを追求しているにも関わらず、気が付けば外来性へと逢着してしまう、こうした「無視の構造」がもたらすジレンマを、本居宣長は「漢意(からごころ)」と呼んだ。こうした「漢意(からごころ)」は、われわれに絶望をもたらす。曖昧模糊な「空気」ではない、確固たる固有性としての「日本」を追求しても、われわれはむしろ固有性から引き離されていく。

 「日本」を追求しても、曖昧模糊な「空気」に終わってしまう。それに甘んぜず、更に追求し続けても、固有性から乖離したほど遠い場所にしか辿り着けない。日本人であることの「困難さ」や、日本なるものを把握する「困難さ」は、ここまで究極的なかたちでわれわれに突き付けられるのである。ここで、もっとも参照すべきなのが、保田與重郎らの日本浪漫派のテクストだろう。保田らは、日本に固有なるものへの回帰が不可能であることを知りつつ、観念的な日本的なるものの構築によって、擬制に過ぎないとはいえ日本に固有なるものの再現を企図した。こうしたロマンティッシュ・イロニーとしての「日本」こそ、この難問への回答ではないだろうか。これを、真実の日本の追求の断念であり、単なる観念の遊戯に過ぎないと断ずるのは容易だろう。だが、日本に固有なるものの断念から、日本に固有なるものの構築へと、巨大な距離を飛翔してみせる詩的想像力は、「空気」としての日本も、「漢意(からごころ)」としての日本も、軽やかに超越してみせるのである。遥かなる日本への憧憬は、その詩的想像力の内部で、ロマンティッシュ・イロニーとしての「日本」を顕現させるのだ。