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民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

定例勉強会報告2 本居宣長の神道思想における「擬制」の概念――江戸儒学からの影響を踏まえて(第2回・完)

二 本居宣長記紀研究の手法――実証主義と「神代」の再構築

 記紀解釈において要点となるのが、「神代」をいかに解釈するかという問題だ。日本初の正史である「日本書紀」は、冒頭に天地・国土や神々の誕生と神々の物語を記す「神代」巻を置いている。それは残存する最古の歴史文献である「古事記」においても同じだ。古代大和王権が中央集権国家建設のための一環として編纂したこれら記紀は、いわゆる「神代」を時間軸の始まりと捉えているのである。中国の史書に範をとりつつ、「神代」の物語を冒頭に挿入することで、大陸の形式から離れた独自の歴史叙述をとった。一般的通念からすれば、歴史的時間軸から除外される「神代」を冒頭に配したことは、日本人の歴史意識を検討するうえで、たえず問題にされてきた。そして、近世期における「神代」観は、儒学的合理化の方向を強めてきた。林羅山「本朝通鑑」や水戸光圀大日本史」は、いずれも本編から「神代」を削除している。これは、歴史的時間から「神代」を除外することで、歴史を合理化したわけだ。また、新井白石は、「神代」といってもそれは上代の歴史的事実の比喩的表現に過ぎないと主張した。これは、歴史的時間に「神代」を含めつつ、だがそれを合理的に解釈しようと試みているわけである。

 こうした「神代」の合理的解釈を「漢意」として批判し、「神代」の事象を不可解なままに捉え、その解釈に決定的な転回をもたらしたのが本居宣長だった。すなわち、宣長は「神代」の実在を確信し、「神代」を「人代」に連続する歴史的時間と捉えるとともに、繰り返される始原の時という原型的時間と見なしたのである。こうして、宣長は、人間の限られた理性をもって「神代」を理解するのではなく、神典に記載されたことをそのまま確信しつつ「神代」と向き合い、その「神代」に社会の規範を読解しようと試みた。このアプローチは、賀茂真淵記紀研究よりもラディカルである。真淵は、万葉集研究から古事記研究に進んだが、これは「人代」について検討してから、それより過去の「神代」に向き合おうとしたアプローチで、「神代」から「人代」への歴史的時間の流れを前提に、それを遡行する試みだった。それに対して、宣長においては、「神代」は真淵のような歴史的時間としての意義もあるが、それと共に繰り返し現前する理念としての意義も有しており、明確に規範的意味をもっているのである。こうしたアプローチは、「歴史家」の態度というよりも、「信仰者」のそれである。つまり、真淵のアプローチが「歴史学」ならば、宣長のアプローチは「神学」なのである。

 しかし、宣長は、数々の国語学的に重要な貢献を成し遂げた、文献実証主義に立脚する言語学者であった。精緻な実証主義的手法を駆使する古典文献学者の相貌と、記紀に規範的な文脈を読み込み、その内容を確信する信仰者の相貌は、われわれにとって酷く不釣り合いに映る。だが、宣長の意図を、記紀に準拠した神話的世界観を規範として人為的に提起しようと試みる、擬制共同幻想の樹立であると捉えれば、実証主義的な文献学者と敬虔な信仰者の相貌は、整合的に重なり合う。宣長の意図は、単に古代日本人の情感を再構築する点だけでなく(そして、こうした試みが最終的には不可能であることも宣長は察知していた)、儒仏の世界観に染まった自身の生きる近世日本の思想状況への異議申し立てにもあった。近世日本において朱子学をはじめとする形而上学的世界観が危機に陥るのを目にしつつ、儒仏に代わりえる規範を擬制共同幻想によって構築しようとする意識を、宣長は抱いていたのである。ここに、「神代」を再構築し、自身の生きる近世日本において蘇生させる意味が、はっきりと明らかになるのである。

 そして、宣長のこうした記紀解釈によって、「神代」は再構築された。合理化の対象でしかなかった「神代」は、擬制共同幻想として提起された結果として、規範的な意味を獲得していった。こうして、記紀神話は、単なる皇統起源譚や摩訶不思議な伝説ではなく、日本の始原を物語る、幾度も現前する理念として解釈されるようになったわけである。記紀は、人間の生や救済を、そして幽冥や超越性を提示する、民族神話として読み換えられることによって、民心を天皇制の祭祀へと統合していくことになった。こうした「神代」を民族の原型として理解する枠組は、十八世紀後半に構築された宣長擬制共同幻想を端緒となし、現在においても機能し続けている。

おわりに

 ここでは、これまでの叙述を整理し、本稿の意図を明確にしたい。第一章では、本居宣長賀茂真淵神道観を対比し、両者の差異から宣長神道思想の特異性を析出した。宣長は、初期の真淵からの影響から脱却し、独自の地平を開拓するにいたった。それは、「自然之神道」から「神の道」への転回として整理できる。汎神論的神道論への一神教神道観の対置と、霊としての神格概念への実在としての神格概念の対置は、それぞれが真淵の神道観への根源的批判となっており、宣長の注目すべき神道観を余すことなく表現している。そして、この一神教神道観と実在としての神格概念は、それぞれが儒教仏教の自然観や合理主義を鋭利に反駁しており、儒教仏教にかわりえる記紀に準拠した神話的世界観を、擬制共同幻想として提起することが、宣長神道観の根源にあると明らかになる。こうして、宣長神道観の具体像が主題とされ、神道的世界観を擬制共同幻想として提起するという試みの肝心な内実である、神道的世界観の具体像が明確にされた。

 続いて、第二章では、本居宣長記紀研究における方法論を検討し、「神代」の取り扱いから、宣長実証主義的な文献学者と敬虔な信仰者の二重性を抱えていたと指摘される。そして、この二重性こそ、宣長が、儒仏の形而上学が危機に陥るなかで、これらにかわる擬制共同幻想を提起しようと試みた証左だと明らかにされた。こうして、宣長神道研究の方法論が主題とされ、神道的世界観を擬制共同幻想として提起するにあたっての、実証主義と信仰の結合という方法論が明確にされた。このように、第一章と第二章によって、宣長神道思想の核心である、記紀に準拠した神話的世界観を擬制共同幻想として提起するという試みの全体像が明らかにされた。また、これは、江戸儒学における「擬制」論の展開の極めて興味深い事例としても解釈できる。

参考文献
東より子『宣長神学の構造:仮構された「神代」』(ぺりかん社、2657年)
同『国学曼陀羅宣長前後の神典解釈』(ぺりかん社、2676年)
大久保紀子「本居宣長神道思想の特質について」お茶の水女子大学人文科学研究(2667年)
子安宣邦本居宣長』(岩波書店、2652年)
相良亨『本居宣長』(東京大学出版会、2638年)
丸山真男『日本政治思想史研究』「第一章 近世儒教の発展における徂徠学の特質並びにその国学との関連」(東京大学出版会、2653年)