民族文化研究会

わが国の伝統的な民族文化・民族生活ならびに世界の諸民族を取り巻く問題を研究

定例勉強会報告1 本居宣長の神道思想における「擬制」の概念――江戸儒学からの影響を踏まえて(第1回)

はじめに

 江戸儒学において特徴的な概念である「擬制」は、荻生徂徠の思想を端緒として見出される。徂徠は、もはや再現しえない古代中国の理想的秩序を、言語的習熟という手段によって、かりそめであれ作為的に構築しようと試みた。こうした「擬制」論は、朱子学宇宙論によって担保された形而上学的な正統性が瓦解するなかで、社会秩序の基底をいずこに求めるかという思想的課題を背景としている。ここから、「擬制」論は徂徠のみにとどまらず、江戸儒学の系譜において多くの思想家に共有されていく結果となった。そして、こうした「擬制」論の共有は、江戸思想において、儒学の学域も超え、国学の大成者として名を知られている本居宣長にまで波及している。

 宣長は、賀茂真淵から、仏教儒教の移入によって日本人に固有の情感が損なわれたとの主張や、古典研究によって古代日本人の感性へと回帰を試みる方法論を継承した。だが、他方で、宣長は、真淵ほどには本来性には依拠しなかった。仏教儒教の移入によって日本人に固有の情緒が損なわれたとの見解に立脚しつつ、真淵が主張するほど容易に古代日本人の心情へと回帰しえるとは解釈していなかったのである。そこで、宣長は、徂徠の「擬制」論を導入し、一定の言語モデルに習熟することによって、情感を「自然」と見紛うほどに改変し、古代日本人の心情に類似した感性を構築することを目指した。

 こうした、「擬制」として古代日本人の情感を構築しようとする宣長の思想的営為は、国史・有職故実・歌学といった諸領域において展開されていく。そして、その中核に据えられているのは、古代日本人の信仰を明らかにしようとする、「古事記伝」に代表される記紀研究である。「うひ山ぶみ」において、宣長国学に包摂される諸学を分類し、こうした神道研究を「道」の学であるとし、諸学の根底に置いているのだ。ここで、「擬制」として古代日本人の情感を構築しようとする宣長の思想的営為が、より具体的には仏教的世界観や儒教的世界観に対抗しえる記紀に準拠した神話的世界観の樹立を意図していると判明する。言語モデルの習熟といった手段によって、構築が志向される「擬制」すなわち共同幻想は、日本神話の世界観にほかならない。

 ここで、徂徠を端緒として江戸儒学において共有された「擬制」論が、宣長の思想的営為においていかなる役割を果たしたかを検討するうえで、その分析対象を宣長神道思想とすることが、きわめて有効であると理解できる。宣長の「擬制」論は、神道思想を中核として展開されたのであり、記紀に準拠した神話的世界観こそ、宣長が構築を志向した「擬制」だった。本稿では、こうした宣長神道思想を検討し、宣長における「擬制」概念の展開を考察したい。まず、第一章では、宣長と真淵の神道思想の差異を主題とし、宣長がいかなる神道観=「擬制」像を抱いていたかを検討していく。続いて、第二章では、宣長記紀研究の中心的手法である実証主義的評釈に着目し、宣長が「擬制」=記紀に準拠した神話的世界観を展開するうえで、いかなる方法論を使用したかを分析していく。

一 本居宣長賀茂真淵神道観の差異――自然から神へ

 宣長神道思想の形成過程は、真淵の強い影響下にある初期(著作では「石上私淑言」までに該当)の「自然之神道」論から、真淵を乗り越え独自の議論を構築していった後期(著作では「直毘霊」からに該当)の「神の道」論への移行として整理できる。初期における「自然之神道」論は、真淵の自然哲学に立脚した神道観だ。真淵は、仏教儒教の合理主義的性格を批判し、その対極にある自然の称揚を展開する。万葉の詩的世界に終生傾倒し続けた真淵は、そこに表現された自然にこうした儒仏の合理主義を打開する方途を見出した。こうした自然哲学に立脚した真淵の神道観は、汎神論的な性格を強く帯びる。真淵において、神道は自然に内属する非人格的な神霊を祭祀する自然信仰を意味していた。そして、真淵の強い影響下にあった初期の宣長の「自然之神道」論も、こうした汎神論的な神道観を継承している。上古の日本社会を理想化しつつ、宣長はそこでの自然への信仰を称揚した。このように、宣長の初期の古道論は、汎神論的な自然観を背景とした神道論(「自然之神道」論)として表現されたのである。

 だが、宣長神道思想は、真淵の強い影響下を脱し、独自の方向性を目指して転回していく。具体的には、自然に内属する神を中心とした「自然之神道」論における汎神論的な神道観から、自然を超越した神を中心とした「神の道」論における一神教的な神道観へと、宣長神道思想は移行を経験するのである。なぜ、現世の根源に「自然」を発見した宣長は、「自然」をも超越した「神」を措定しなければならなかったのだろうか。これは、宣長が、真淵の自然哲学の背後に、儒学老荘思想における「天地」概念の影響を垣間見たためである。太極陰陽五行説に立脚した儒学老荘思想の自然哲学は、「天地」=自然による人倫の規律を基底としていた。儒家神道記紀の宇宙生成とこうした儒学老荘思想の自然哲学を調和的に理解していたが、宣長はこうした「自然」を基調とした神道観が儒学老荘思想の自然哲学へと回収されかねないと危惧したのである。ここで、「天地」=自然を超越した、絶対者としての神が要請され、「神の道」論における超越的存在を中心とする一神教神道観が提示されるにいたったのだ。そして、こうした一神教神道観の方向性は、宣長記紀解釈の前提となる、天照大御神・産巣日神・禍津日神を中心的神格として選出し、その序列や機能を明確化する作業によって、可能となったのである。

 また、こうした宣長神道思想の真淵の影響下からの脱却と、その独自の展開において、汎神論的神道観(「自然之神道」)から一神教神道観(「神の道」)への転回のみならず、神格概念の「霊」(観念的存在)から「現身」(物質的存在)への転回も注目するに値する。真淵は、伝統的な神格概念の範疇に準拠して、神を人間には把握しがたい「霊」として、すなわち観念的構築物として理解していた。それに対して、宣長は、こうした伝統的な神格概念から脱却し、神を人間にも認識しえる「現身」として、すなわち経験的実在物として解釈していた。「神は物質である」との命題は、われわれを当惑させるかもしれない。だが、ここには、宣長の儒仏の合理主義への批判が背景に存在している。宣長は、古代人の思惟を、理性的な世界認識ではなく、感性的な世界認識であると考察した。こうした、観念から出発する理性的認識ではなく、経験から出発する感性的認識を人間の知の根本と見なす思考においては、神はまず知覚される実在でなければならない。こうした合理主義の思弁性への批判が、神の身体性という特異な主題として、宣長神道思想には表出しているのである。そして、こうした実在する神という思考は、現人神としての天皇という政治的観念とも結合していた。宣長にとって、天皇制は神の実在性の具現でもあったのである。

 これまで、宣長神道思想の形成過程を、真淵との対比をまじえつつ追ってきた。初期は真淵の影響下にあった宣長神道思想は、後期にいたってその問題圏を超え、独自の地平を開拓する。こうした宣長神道思想の展開は、「自然之神道」から「神の道」への転回として整理された。この転回において、宣長は、真淵の汎神論的神道観と、霊としての神格概念の双方を乗り越えようと試みた。そこで対置されたのが、一神教神道観と、実在としての神格概念である。また、こうした真淵の問題圏からの脱却は、単なる真淵との思想的な対峙のみならず、儒教仏教との思想的な対峙をも意味していた。儒教仏教の自然概念や霊としての神格概念が、宣長神道思想においては批判されている。こうした真淵との対比を通じて浮かび上がってくる宣長神道思想は、記紀に準拠した神話的世界観を儒教的世界観や仏教的世界観に対抗しえる「擬制」=共同幻想として提起しようとする試みとして理解できる。また、こうした宣長神道思想における一神教神道観や実在としての神格概念は、自然から脱却した人為の問題圏を示唆し、経験主義的認識の重視を提示している点において、近世から近代への過渡的性格をもつものとして評価できる。