【関西】定例研究会のご案内

 

f:id:ysumadera:20200213003242j:plain


次回の関西地区定例研究会は、下記要領にて開催します。万障繰り合わせの上、ご参加ください。 

民族文化研究会関西地区第9回定例研究会

日時:平成31年1月13日(日)16時30分~19時30分
会場:貸会議室オフィスゴコマチ 4階 433号室
京都府京都市下京区御幸町通り四条下ル大寿町402番地 四条TMビル

http://​http://office-gocomachi.main.jp/​
会費:800円
​主催:民族文化研究会関西支部

「国体文化」誌が、当会の活動を紹介

 当会の活動が、里見日本文化学研究所・日本国体学会機関誌「国体文化」平成31年1月号の誌上で紹介されました。同誌の編集長を、当会の顧問である金子宗徳氏が務めておられる関係から、ご厚意で活動紹介をして頂くことになりました。

 「国体文化」は、「国体学」の提唱者として知られる法学博士・里見岸雄によって、大正15年(1926年)に創刊された、歴史ある雑誌です。発行元である里見日本文化学研究所・日本国体学会と共に、国体論の分野で大きな実績を上げられてきました。こうした素晴らしい媒体で、当会の活動を紹介して頂けまして、欣快の至りです。

 この活動紹介は、定期的に掲載される予定なので、国体文化を購読されている方は、誌面にてご覧頂ければと思います。

 

f:id:ysumadera:20190105121221j:plain

当会の活動を紹介する記事

f:id:ysumadera:20190105121341j:plain

「国体文化」誌






 

【関西】定例研究会報告 日本音樂を私達の生活に取り戻すために(第五囘)――琵琶樂

 平成30年12月16日に開催された民族文化研究会関西地区第8回定例研究会における報告「日本音樂を私達の生活に取り戻すために(第五囘)――琵琶樂」の要旨を掲載します。

 

 この企劃は現代音樂に滿たされた現代日本人に明治以前の日本の音樂を知つてもらふため、まづは私達自身が詳しくなり傳道していかうと云つた考へのもと始めました。
 今囘は日本音樂の大きなくくりである、雅樂・聲明・琵琶樂・能樂・箏曲・三味線音樂・尺八樂・近現代音樂・民謠のなかから琵琶樂に就いて解説致します。下記は今囘解説する項目です。

一、琵琶樂の歴史 二、琵琶の種類・部位  三、 琵琶樂の音樂構造
四、檢校に就いて 五、琵琶樂の總論とこれから

一、琵琶樂の歴史

 琵琶樂とは琵琶を樂器として使つた音樂や語り物などの總稱です。樂琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などの種類があり、それぞれに琵琶の形も異なつてゐます。琵琶は雅樂の樂器として西暦七~八世紀に渡來し、平安時代以來語り物音樂の伴奏樂器として重寶されましたが、室町後期以降三味線にその地位を奪はれ衰頽し、現代では傳承が杜絶える恐れがあります。
 琵琶は奈良時代に雅樂器として傳來しました。その起源は中東のウードと云ふ樂器まで遡ることができると云はれてゐます。ウードは西へ行きリュートに、東へ行き琵琶となりました。琵琶は主に宮廷音樂や佛教の法會に用ゐられ、宮廷音樂に用ゐられた大型の琵琶は樂琵琶と云ふ名稱で呼ばれ、四弦琵琶は雅樂器として殘り、五弦琵琶は樂制改革時に廢止されました。法會に用ゐられた小型の琵琶は盲僧によつて受け繼がれていきました。これが盲僧琵琶です。盲僧琵琶の發祥は筑前の盲僧寺院の天臺宗成就院で、筑前盲僧琵琶(西暦八世紀)と云はれます。その後に薩摩の常樂院から薩摩盲僧琵琶が興りました。盲僧は盲僧專門の寺院に屬し、寺院で琵琶を彈じて經を讀む法樂法會や、新築や竃、井戸などの厄除けに地神經や荒神經などを演奏してゐました。これらの盲僧は求めに応じて琵琶を伴奏にした軍談物を語ることがあり、これを「 くずれ」と云ひました。
 中世にはいり、くずれはただの語り物ではなく戰沒者の鎭魂をする宗教活動の一端となりました。いつからかは詳しくは不明ですが、鎌倉時代平家物語に節を附けて語る平家琵琶(平曲・平家とも云ふ)が發生しました。公家や皇族の日記、江戸幕府、當道坐の文書類でも「 平家」と書かれてゐるので、ここからは平家琵琶は平家と呼稱します。平家は平家物語を琵琶法師が語つたものではなく、語つた平家を筆録したものが平家物語です。徒然草には平家の成立に就いて、天臺坐主慈圓のもとで、遁世した信濃前司行長平家物語を作り、東國出身の生佛と云ふ盲人に語らせたと記してゐます。彼らを特定できてゐないので定かではありませんが、それに近い動きはあつたと推測されてゐます。この頃、盲僧と僧籍を持たない琵琶法師に別れ、後に彼らの間で平家を專賣とするための裁判があり、勝訴となつた琵琶法師側が平家を語るやうになりました。
 現在に殘る平家の形になつたのは、明石覺一(西暦一三〇〇?~一三七一)と云ふ檢校が曲節を定めてからです。覺一は初代檢校と云はれ、彼によつて一方流が確立し、同時に發生した八坂方と云ふ琵琶法師坐と京都を中心にして展開しました。檢校とは、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名稱です。室町時代になると公家や僧侶の日記類に平家聽聞の記事が頻繁に登場し、觀賞用としても盛んになつてゐたことがわかります。この時期に各派の祖と言はれる琵琶法師たちが數多く輩出しました。
 応仁の亂を境に平家の演奏記事は少なくなりましたが、茶道や連歌の席で演奏されたり、頓寫法會と云ふ佛教儀式で寫經の間に平家が演奏され、西暦一六世紀には古典藝能や儀式音樂としての地位を確立してゐたと考へられます。一方坐、八坂坐はいつからか合併して平家坐を名乘り、後に當道を組織して三味線や箏の歌曲にも手を擴げて活躍するやうになりました。
 徳川幕府は盲人の保護對策として、平家をはじめ、箏曲地歌と云つた室内樂と、鍼灸あんま業の獨占權を當道坐に認めたが、これは同時に同じやうな活動をしながら當道坐に屬さない琵琶法師たちに、藝能活動を禁止することにもなり、かうした坐外の琵琶法師たちはやがて盲僧坐を組織していくことになります。當道坐は京都に職屋敷ををき、總檢校の支配のもとで十人の檢校からなる十老が坐務を執り行ひました。江戸時代には平家の語り流派がいくつか生まれ、前田流と波多野流がその後の勢力を保ちました。薩摩では藩主の島津日新齋の創案によつて薩摩盲僧琵琶をもとに薩摩琵琶が創られ、薩摩藩士に受け繼がれました。
 明治四年に明治政府が當道坐を廢止したので、幕府や當道坐の儀式もなくなり、演奏の場も失ひ、弟子も取れず平家は急速に衰頽しました。現代では平家は命脈が今井檢校一人になつてしまひましたが、薩摩琵琶の方面では明治に新たに錦心流が發生し、更に明治二十年代には筑前琵琶が創られました。近代になつて新しく出てきた流派は樂制改革で除外された五弦五柱の琵琶が元になつてゐて、尺八とともに近代で復活した好例となつてゐます。また、現代では琵琶は尺八と同じく語り物の伴奏樂器としてではなく、器樂曲用の樂器として脚光を浴びつつあります。ここまでの琵琶樂の歴史を圖示したものが圖一です。

二、琵琶の種類・部位

 琵琶には樂琵琶・平家琵琶筑前盲僧琵琶・薩摩盲僧琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶・錦琵琶があります。奈良時代に傳はつた琵琶は大型の樂琵琶と小型の盲僧琵琶の二種類だと云はれたり、盲僧が持ち運びやすいやうに樂琵琶を小型に改良したとも云はれてゐます。これらの違ひは圖二に示してゐます。
 デザイン面でも各々の琵琶は構造的な違ひがあり、頸部の長さと柱の數、位置などが異なります。したがつて、琵琶の種類によつて柱間の音程は樣々です。また、胴部の形状も竝べて比較するとデザインがみな違つて、そのため調弦も樣々で音程は絶對ではなく相對音程を使ひます。圖三に各琵琶の形状を、圖四に各部位の名稱を示してゐます。

三、 琵琶樂の演奏方法

 琵琶樂の演奏法は樂琵琶・平家・盲僧琵琶・近世琵琶・近現代琵琶の五種類に大別できます。樂琵琶は眞横に琵琶を構へ、一小節ごとの合間に弦を彈くリズム樂器として使はれてゐます。奏法は掻撥といい、弦を上から下へ掻きおろす方法です。
 平家も琵琶は眞横に構へ、聲のパートと琵琶のパートからできてゐて、どちらも強い類型性を持つてゐます。聲のパートでは曲節と呼ばれる旋律類型が詞章内容や前後の曲節との關係、あるいは段落内での機能に從つて組み合はされて成り立つてゐます。琵琶のパートは曲節の前奏、間奏、一曲の後奏としてややまとまりをもつた旋律型が奏されるほか、息繼ぎの際に短い相の手が奏されます。基本的に、聲のパートと同時に引くことはありません。平家の音樂構造の全體像は《全體│卷│句│段│曲節│旋律素》として圖式化できます。旋律素は譜本に書き込まれた墨譜と呼ばれる記號に對応する單位で、旋律素が集まつたものが曲節になります。曲節は《口説き│三重│下り》などのやうに特徴ごとに役割が決められ、このまとまりを段と云ひます。段の區切りがいいところで終へる奏法が一般的になると、やがて區切り位置が固定し、これが區として獨立し、祇園精舎とか那須與一と云つた名前で呼ばれるやうになりました(圖五)。このやうな小さい單位が集まつて上位の單位を作る構造上の性質を、積層性と呼びます。積層性は語り物音樂に共通して見られ、能にも積層構造がとりいれられてゐます。
 盲僧琵琶は琵琶を伴奏に地神經や荒神經などを演奏します。琵琶は四十五度傾けて構へ、小型の琵琶になつてゐます。現代ではからうじて傳承されてゐる状態にあり、詳細な奏法は不明です。近世琵琶の主流な流派である薩摩琵琶は前語り・本語り・後語りの三部で成り立つてゐます。歌詞は原則として七五調の連續で、歌の區切れ區切れに琵琶の短い手が入ります。中心部である本語りには、崩れや吟替はりなどの聞き所となる曲節や、漢詩または短歌をゆつくりと詠じる吟詠と云ふ部分が含まれます。近現代琵琶の筑前琵琶も基本は薩摩琵琶と同じ三部構成ですが、薩摩琵琶ほど構成が決まつてをらず琵琶の手(小旋律型)が多いこと、また琵琶の形が違ふので調弦が違ふことが特徴です(圖六)。


四、檢校に就いて

 檢校とは、元々は平安時代鎌倉時代に置かれた寺院や莊園の事務の監督役職名でしたが、室町時代以降、盲官の最高位の名稱として定着しました。檢校の起源は京都山科から興つたとされてゐます。仁明天皇の子である人康(さねやす)親王が若くして失明し、そのため出家して山科に隱遁しました。人康親王は詩歌管弦に優れ、隱棲後も琵琶や笙に心の據り所を求めました。その時に人康親王が盲人を集め、琵琶や管絃、詩歌を教へ、人康親王の死後は側に仕へてゐた盲人に檢校と勾當の二官が與へられました。これが檢校と呼ばれる盲官の始まりと云はれてゐます。檢校もまた、剃髮し、正式な檢校專用服は僧服に近く、また實際に僧職となる者もゐました。人康親王が坐つて琵琶を彈いたと云ふ琵琶石は後に盲人達により琵琶法師の祖神として諸羽神社に祭られてゐます。人康親王の四宮家の系譜は現在でも續いてゐます。 明石覺一檢校以來、琵琶法師坐(後の當道坐)は檢校が最上位に位置しました。江戸時代になると檢校の權限は大きなものとなり、社會的にもかなり地位が高く、當道の統率者である惣録檢校になると十五萬石程度の大名と同等の權威と格式を持ちました。當道坐に入坐して檢校に至るまでには七十三の位階があり、檢校には十老から一老まで十の位階がありました。近世には平家は下火になり、當道では地歌箏曲・胡弓の三曲を用ゐるやうになりました。この時期、有名な八橋檢校、生田檢校、山田檢校など、箏曲の父と呼ばれるやうな檢校が誕生し、三味線組歌を創作した石村檢校や、胡弓では藤植檢校、鍼で管鍼法を確立した杉山檢校など多數が輩出しました。

五、琵琶樂の總論とこれから

 琵琶樂は現代に於ては、專ら薩摩琵琶、筑前琵琶、錦琵琶が演奏され、平家はあまり演奏されず、盲僧琵琶は消滅の危機にあります。また、有力な近現代琵琶であつても三味線音樂や箏曲などと比べて數段人氣にかけると云つても過言ではありません。それは聲明が後の語り物音樂に押され精彩を缺いたやうに、琵琶も同じやうな立ち位置にゐるからかもしれません。琵琶樂、特に平家は題材や曲節、傳承の手法などが後代の日本の各種音樂やその藝能に深い影響を與へていきました。例へば熊谷直實とか平敦盛の題材などは、題名はそれぞれ異なつてしまひますが、能・淨瑠璃・歌舞伎狂言などの代表的な演目になつてゐます。語り物と云ふ樣式は、平家を原點に盲人音樂家の琵琶奏法を前提に三線が三味線に改良され、淨瑠璃を語り物音樂に大成しました。更に義太夫節から歌舞伎の竹本に傳はりましたから、平家は日本傳統音樂の傳承の交叉點的存在と言へるのかもしれません。
 山科に於て興味深い琵琶の活動もあります。平安初期に貴族や皇族が、大型の樂琵琶ではない個人で演奏する小琵琶を演奏する文化を復活させ、それを人康親王に習ひ、四丿宮琵琶として再興すると云ふものです。琵琶をもつと身近に自分の部屋でも彈けるやうにと云つた考へのもと、活動してゐて、未來おいて新しい琵琶樂の形ができるかもしれません。


參考文獻

ひと目でわかる日本音樂入門 田中健次(2003)
よくわかる日本音樂基礎講坐 福井昭史(2006)
日本音樂との出會ひ 月溪恆子(2010)
日本の傳統藝能講坐 小島美子(2008)

f:id:ysumadera:20190103211915j:plain

 

謹賀新年

当会関係者各位

 

 旧年中は、当会の活動をご支援頂き、誠にありがとうございました。振り返るに、昨年は内外ともに、波乱に満ちた一年でありました。まず想起されるのが、列島を相次いで揺るがした災害でしょう。近畿における大雨被害や北海道における地震が、甚大な被害をもたらしました。この際に、近畿では関西国際空港の一時封鎖が、北海道では全土の停電が引き起こされ、インフラひいてはそれに支えられた日常生活の脆弱性が露呈しました。続いて印象深いのが、米中貿易戦争の勃発を中心とする国際情勢の急展開でしょう。当初は、トランプ政権の基本的体質である保護主義の表出に過ぎないと捉えられていた米中貿易戦争は、ペンス副大統領による中国脅威論を訴える演説を契機に、経済的紛争を越えた含意をもち始めることとなり、米中による「新冷戦」の様相を深めています。これと関連して、中国通信機器大手華為技術(ファーウェイ)幹部の逮捕事件も生じ、こうした米中対立の構図はいっそう浮き彫りになりました。

 こうした内外の困難に対し、わが国は一丸となって結束し、毅然として対峙しなければならないのは、言うまでもないでしょう。今年は、天皇陛下の御譲位による代替わりを控えており、文字通り時代が転換する年となります。国民がいかに結束し、新時代を切り開いて行くのか、問われるでしょう。では、こうした国民の結束は、いかにして実現されるのでしょうか。単なる時局的な政策論を越えた、民族の文化的・精神的な基層こそ、こうした国民の結束には不可欠ではないでしょうか。ここで、当会の伝統的な民族文化・民族生活の再検討という問題意識は、非常に意義をもつと思われます。昨年、当会は関西支部を発足させました。ささやかですが、こうした当会の活動の伸長を、さきほど言及した当会の活動の意義の高まりという状況下で、さらに高めていきたいと考えております。これまで以上のご支援を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

 

平成三十一年元旦 民族文化研究会

 

(文責:関西支部長 湯原静雄)

 

f:id:ysumadera:20200416140648j:plain

 

【関西】定例研究会のご案内

 

f:id:ysumadera:20200213003242j:plain

 

 次回の民族文化研究会は、下記要領にて開催致します。万障繰り合わせの上、ご参加下さい。

 

民族文化研究会関西地区第8回定例研究会

日時:平成30年12月16日(日)16時30分~19時30分
会場:貸会議室オフィスゴコマチ 3階 302号室
京都府京都市下京区御幸町通り四条下ル大寿町402番地 四条TMビル
http://office-gocomachi.main.jp/
会費:800円
​主催:民族文化研究会関西支部

【東京】定例研究会のご案内

 

f:id:ysumadera:20200212204607j:plain

 

 次回の東京地区定例研究会は、下記要領にて開催致します。万障繰り合わせの上、ご参加下さい。

民族文化研究会東京地区第19回定例研究会

日時:平成31年2月17日(日)14時~17時
会場:早稲田奉仕園 セミナーハウス1階 小会議室105号室
東京都新宿区西早稲田2‐3‐1
https://www.hoshien.or.jp/
会費:1000円
​主催:民族文化研究会東京支部
備考:この研究会は、事前予約制となっております。当会の公式アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。また、会場の開室は14:00になります。それまではセミナーハウス内のラウンジにてお待ちください。

【東京】定例研究会報告 弱肉強食批判と『昆虫記』・縄文文化は日本の伝統たりうるか

 平成30年11月25日(日)14:00-17:00、民族文化研究会東京地区第18回定例研究会が早稲田奉仕園にて開催されました。

 第一報告は小野耕資氏(本会副会長・大アジア研究会代表)による「弱肉強食批判と『昆虫記』」。ファーブル『昆虫記』翻訳に賀川豊彦大杉栄らが関わった歴史を紹介し、彼らのなかに弱肉強食・生存競争的世界観への批判と新たな秩序への模索という共通項があり、単純な〈右翼〉〈左翼〉といった思想軸ではくくれない近代批判があると指摘されました。

 第二報告は山本直人氏(本会顧問・東洋大学非常勤講師)による「縄文文化は日本の伝統たりうるか~民族のアイデンティティーをめぐるジレンマ~」。「縄文文化」の近代史上における位置づけを回顧したうえで、皇室や米作といった日本の伝統に対する「縄文文化」の位置付けの難しさを問題提起されました。

 一定以上学問的・専門的な関心を持ちつつ、報告とそれにもとづく質疑・談話などによって知識を共有していく試みを今後も継続して参りますので、関心のある方はお気軽にご参加下さい。

 次回は平成31年2月17日(日)14:00~早稲田奉仕園105号室にて開催予定。
(事務担当・渡貫)

 

f:id:ysumadera:20200413022258j:plain

大杉栄訳の『昆虫記』