民族文化研究会関西支部発足記念講話 民族文化研究の使命

 去る5月6日の民族文化研究会関西支部第1回定例研究会における関西支部発足記念講話「民族文化研究の使命」を掲載します。

 

民族文化研究会関西支部発足記念講話  民族文化研究の使命

 

 本日は、民族文化研究会関西支部の活動の劈頭を飾る、関西地区第1回定例研究会にご参集頂き、誠にありがとうございます。ここでは、民族文化研究会関西支部の活動の指針を「民族文化研究の使命」と題して略述し、これをもって挨拶に代えさせて頂きます。

 

一 現代世界における民族文化

 まず、現代世界では、民族問題が喫緊の課題として浮上しつつあります。国際化の進展に伴い、人間・資金・物資の世界的流通が加速するなかで、伝統的な民族文化・民族生活の退潮が見られるとともに、文化摩擦の結果として各地で紛争が勃発しております。いわば、国際化の矛盾として、ナショナル・アイデンティティの衰微と暴発が同時並行的に発生しているわけです。こうした課題を打開するためには、伝統的な民族文化・民族生活を再検討していく必要があります。当会では、こうした現代世界における問題状況に呼応し、伝統的な民族文化・民族生活の再検討を、活動の中心としていきます。

 

二 学風と言論の刷新――日本的状況からの出発
 そして、当会は、こうした伝統的な民族文化・民族生活の再検討を、わが国の伝統的な民族文化・民族生活の研究から出発させます。これは、第一には、わが国が世界でも稀有なほど、同質的な文化的・政治的世界を古代から一貫して実現してきたためであり、そして、第二には、こうした伝統的な秩序の危機的状況が、近年に至って突出しているためです。すなわち、われわれは、日本民族のもつ民族文化への探求によって、民族文化の本質的性格に接近でき、かつ民族文化を取り巻く危機的状況への打開策を模索できるわけです。わが国の伝統的な民族文化・民族生活の研究から出発し、世界の諸民族を取り巻く問題の考察へと発展する、当会の活動の構想を提示しておきます。

 ここで、日本における伝統的な秩序の危機的状況について、いくつか付言しておきます。西欧や中国といった他者の出現によって、日本は歴史的にナショナル・アイデンティティの危機を経験してきましたが、戦後は言論世界において蔓延した自国否定・自国卑下という新たな危機に見舞われました。こうした戦後の弊風は、ナショナル・アイデンティティの自己確認を困難にしており、われわれが直面する問題状況を形成しています。こうした戦後の弊風のさなかで堕落した学風と言論の刷新と、国民的自覚に立脚した学の建設こそ、当会の使命なのです。

 

三 民族の「物語」の模索――「夢」を抱きながら

 しかし、民族という観念が、そもそも可能なのかという問いがあるでしょう。その解答を、平泉澄を一例として探りましょう。平泉澄が、実証的な中世史研究から皇国史観の提唱へと転換を遂げた要因は、現代に中世の再演を見る特異な視座だったと指摘されています。伝統が喪失されつつあった暗黒時代である中世は、平泉にとって維新以降の伝統破壊がひとつの頂点を見ようとしていた同時代たる大正時代と重ねられたわけです。そして、戦後日本は、こうした平泉における文脈を借用すれば、まさしく中世の再演なのです。しかし、現代とも通じる暗黒時代においても、平泉は伝統――彼にとって、その最たるものは皇統です――を身命を賭して守ろうとした忠臣・志士・先哲の歴史を超えた精神譜に希望を見出します。

 こうした歴史を超えた日本の理想を、忠臣・志士・先哲の精神譜を織りなすことで創出しようとした平泉の試みを、苅部直は「歴史家の夢」と呼んでいます。こうした「夢」を「英雄史観」と嘲笑し、「本質主義」と断罪することは容易いです。起源や本質や連続といった超歴史的な原理を措定する手法が、実証史学の内部でいかに忌避されるかは語るまでもないでしょう。ただ、歴史の多元性という「現実」を認識しつつも、こうした歴史を超えた日本の理想という「夢」を抱きながらでなければ、われわれは日本なるものを把握することはできないのです。こうした平泉における理性と信念の平衡を、植村和秀は「理と信の相乗」と呼んでいます。ポール・リクールの歴史哲学に依拠しながら、歴史の「物語」性を強調し続けた坂本多加雄も、こうした日本史における理性と信念の平衡に心を砕いた歴史家として挙げられるでしょう。伝統喪失の暗黒時代において、現実を踏まえつつも、民族という「夢」あるいは「物語」を模索すること、こうした「理と信の相乗」こそ、当会の基本的な理念なのです。

 

 これまで、ご清聴ありがとうございました。この講話を通して、当会の目指す民族文化研究の趣旨がご理解頂ければ幸いです。

 

民族文化研究会関西支部発足趣意書 「日本」の創造に向けて

 去る5月6日に、民族文化研究会関西支部が発足し、最初の活動である民族文化研究会関西地区第1回定例研究会が開催されました。この支部発足に際し、下記のような趣意書が採択されました。民族文化研究会関西支部は、この趣意書にある理念に依拠し、活動を展開していきます。

 

民族文化研究会関西支部発足趣意書 「日本」の創造に向けて

 

 「日本」とは何か。この問いは、我々日本人にとって極めて切実な問いである。殊に近代以降、西洋近代という軍事的にも思想的にも自分たちとはまったく異質な「他者」が眼前に現れて以降、現代に至るまで日本人は常に自らのアイデンティティの再構築と点検に迫られてきた(もちろんこの「西洋」とは実態としての西洋そのものではない。「近代」なるものが現れ、世界を作り直して以降、私たちを無意識下に規定するシステムのような存在である)近代以降の日本人の思想的営みはほとんどすべてこのような問題意識の下に行われてきたと言っても過言ではない。中江兆民が著書で「日本に哲学なし」と書き記した事実に端的に表されているように、近代以降、日本人は否応無く、「西洋」と対峙することで「日本」と「日本人」を規定してきた。

 西洋近代思想、マルクス主義、あるいはポストモダン思想のような日本の「外」からもたらされた思想でもって日本の後進性、あるいは劣位性を指弾し、自己を優位な立場に置くという振る舞いが何度と無く今までに繰り返されてきた。反対に日本の独自の思想や文化のあり方を称揚し、民族的なナルシシズムに浸るという行いも数え切れないほど行われた。大雑把に腑分けするならば、前者は「左」もしくは「革新」、後者は「右」もしくは「保守」として分類できるであろう。

 このような思考法は「古代から現代に至るまで続いている一貫した日本的なるもの」が存在するという前提の上で成り立っている。この「日本的なるもの」は天皇制であったり、神道であったり「日本人の主体性無き集団主義」であったりするわけである。この「日本的なるもの」に対して否定的立場を取れば「左」に、肯定的立場を取れば「右」になるわけである。そしてこのような現象は日本だけではなく、非西洋社会が近代化し、自文化に言及する際に必ず起きるものであろう。

 しかし、そもそも「西洋」を下敷きとした「非西洋」の思想史を叙述しようとする際、それは当然ながら西洋思想(最もこの「西洋思想」なる存在も相当に実態が怪しい概念規定である)を下敷きにした思想史にならざるを得ない。つまりこの時点で、その「非西洋」の思想史は「西洋」の存在に規定されたいわば「作られた伝統」もしくは「近代」なるものを自明とした思想史、にならざるを得ないのである。このジレンマはどのようにして克服すればいいのか。「西洋近代」なる存在にもはや積極的な価値を見出せなくなった現在、これは日本だけではなく、世界史的にも非常に重大な命題である。

 このような問題意識に応答する形で、昨今、思想史学の分野などを中心に、「古代から現代に至るまで続いている日本的なるもの」を下敷きにした思考法そのものが批判にさらされている。曖昧で不透明な「日本的」という概念を下敷きにするのではなく、個々の歴史を独立したものとして捉え、解読していこうという試みである。中世なら中世、近世なら近世とそれらを現代の我々とは独立した「他者」として考えていこう、ということである。いわば「日本」という概念を排除した上での思想史である。

 この方法は、一見、正当なように見える。しかし、そのような思想の歴史は一体どのような地盤を有することになるのであろうか。もしかすると、そこにすべてを平板化・均質化するグローバリズムが入り込みはしないだろうか。その結果その地域特有のかけがえのない「何か」が喪失、もしくは破壊されはしないだろうか。

 もちろん私たちは、「古代から現代に至るまで続いている日本的なるもの」を下敷きとした思想史のあり方には加担することは出来ない。「原初の輝かしいあるべき日本」を想定した行き着く終着点の一つとして挙げる事が出来るのは一時期よく言われた縄文文化起源論である。しかし私たちは縄文時代に還れないし、またその必要も無い。私たちは「古代から現代に至るまで続いている日本的なるもの」に寄りかかることなく「日本」に依拠して思想し、発言し、行動していかねばならない。当然だが「日本」を排除した思考法にも賛同しない。

 私たちの依拠する「日本」とは何か。それは「持続と変容」の過程そのものである。この日本列島の上で先人たちが営み、紡いできた歴史を見つめ、あらゆる思想・哲学・風俗・心性が誕生し、変化・変容していく過程そのものを「日本」として捉え、それに依拠することである。

 例を挙げる。日本思想史、あるいは仏教史に欠くべからざる存在として親鸞を上げることができる。親鸞の「絶対他力」「悪人正機」の思想はもちろん彼自身の強烈な個性と意思によって作り上げられたことは間違いない。しかし一方で親鸞の思想は平安浄土教思想の存在を抜きにしては語れない。歴史的な条件と親鸞の存在があって初めて「親鸞の思想」が歴史に存在しえたのである。そしてその親鸞の思想も数多くの弟子や、学者による注釈や読解を経て、初めて我々の前に「古典」として存在しえている。

 次に日本古典文学の最高峰の存在とされている『源氏物語』を挙げる。『源氏物語』は江戸中期までには仏教的因果観あるいは儒教的倫理観に基づく道徳的な読み方が主流であった。本居宣長はこの読み方に異議を唱え、「もののあはれ」による読み方こそが正統であると主張したのである。ここで宣長による『源氏物語』というテクストの読み直しが行われたのである(あるいはこの行為は本来的な意味での「翻訳」といってもいいであろう)。

 さらに言えば『源氏物語』そのものがそれ以前の膨大な和歌や物語、漢文、貴族社会の儀礼、宮中内の女性社会が生み出した風習など、膨大なコンテクストを踏まえて記されているという事実も見落としてはならない。『源氏物語』は単に紫式部という稀有の個性の持ち主が存在したから成立したのではない。そこに膨大なコンテクストが存在したからこそ成立したのである。そして紫式部の死後も『源氏物語』はあらゆる注釈者や学者によって書き加えられ、改変され、読み替えられ、現在に伝わっている。本邦の国文学の一番の仕事はまずは書誌学的な研究であった、ということは何度も強調すべきことである。

 そして親鸞源氏物語はこのような先人たちの考察や注釈による「持続と変容」を経て初めて「古典」足りえているのである。では、その膨大な「持続と変容」を為さしめているものとは何なのだろうか。それは親鸞の思想や源氏物語の価値が、時代の推移に関らず、現代に至っても猶、失われていないからである。このような存在を一般に「古典」と呼ぶ。

 私たちが依拠すべき「日本」とは先人たちが飽くことなく繰り返してきた注釈と読み直しそのものである。その「持続と変容」のコンテクストを踏まえつつ、テクストを読み、新しいコンテクスト-読み替え-を生成していく。この営みこそ、私たちが「日本人」として思想し、行動し、生きていくことそのものではないか。

 そして私たちは、文字化したものや建築や工芸のような形としてあるものだけを対象にするのではない。衣食住のあり方や、箸の持ち方、座り方、歩き方に至るまで、あらゆるものに関心を向け、その存在の原点と変容の歴史に依拠しつつ、守るべきものは守り、変えるべきものは変え、復興すべきものは復興していく。何かを守ることは何かを創造することと同義である。もちろんその対象は博物館に陳列され、ガラスケースの中に入れられているような死んだ存在ではない。私たちの生活・心性に密着した「生きた」存在でなければならない。私たちは「断絶」を何よりも恐れる。そのために行住坐臥、私たちは常に意志的に生き、思考していかねばならない。

 私たちは「日本」の紡ぎ手たらんとしている。あらゆる「日本」を糸に見立て、紡ぎ、つなぎ、結び、時には切り落とす。この営みを続けていくことが、私たちの存在意義であり、目的であり、使命である。そしてその「日本」を紡いだ先には、偏狭なナショナリズムの対象の日本ではなく、遅れた、劣等な唾棄すべき日本でもない、豊かで先鋭的で強かでしなやかで雅でダイナミックな進むべき「日本」がそこに立ち現れてくるはずである。私たち民族文化研究会関西支部は上記の目的に向かって真摯に邁進していくことをここに宣言する。


慈円「道理を作り変え作り変えして世の中は過ぐる也」(『愚管抄』)

 

定例研究会のご案内

 今月から、東京で開催していた従来の研究会に加え、関西地区(京都)でも研究会を開催致します。そこで、従来の研究会を「東京地区定例研究会」・京都で開催する新たな研究会を「関西地区定例研究会」と改称致します。今月の東京・関西における各定例研究会を、下記要領で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加ください。

 

民族文化研究会東京地区第15回定例研究会

日時:平成30年5月20日(日)13時~16時
会場:早稲田奉仕園 スコットホール2階 223号室
会費:1000円
主催:民族文化研究会東京支部
備考:参加希望者は、事前に当会アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。

 

民族文化研究会関西地区第1回定例研究会

日時:平成30年5月6日(日)13時~16時
会場:左京西部いきいき市民活動センター 和室
会費:500円
主催:民族文化研究会関西支部
備考:参加希望者は、事前に当会アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。

 

定例研究会報告 日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(六)

 3月11日の民族文化研究会定例会における報告「日本神話への視点――萩野貞樹『歪められた日本神話』の紹介(六)」の要旨を掲載します。

 

 前回に引き続き、萩野貞樹『歪められた日本神話』(PHP新書、平成16年)を紹介する。今回は、第3章「神話各説を批判する」の第6節「学者の想像力について」、および「第4章 諸家の論理操作について」である。
 
 第6節「学者の想像力について」で論じられているのは、いわゆる「架上説」と呼ばれるものである。この説は、天御中主神を論じる際にきまって依拠される説であり、ごく簡単に述べれば、古代伝承は上へ上へと積み上げられていくものであり、最古の神とされている神が実は最も新しい、という説である。

 この説の初出ははっきりしないようだが、江戸時代の学者・富永仲基『出定後語』に「加上」の語があり、萩野氏はこの語が転じて「架上説」となったのではないかと推定している(なお、この富永仲基は内藤湖南が評価した学者として知られる)。

 富永は、仏教の教義は根本的なものを求めて時代的に遡って理論を構成したと唱えた。『翁の文』においては中国古典に対して同様の解釈を試み、墨子が堯舜を尊んだのは、孔子が文王武王を賞賛した上を行くためであった、などと述べている。もっとも、厳密にみれば、富永は遡及して尊崇した対象を創作とは言っていないので、この点は注意が必要であろう。

 さて、この架上説、外国神話の形成過程を研究して、その有用性が証明される、あるいは、日本神話の一部に同説による成立が証明されるのであれば、天御中主神を論じる際に援用しても差し支えないが、そういった証明は当然ながら出来ない。「架上説によれば、このように考えられる」という仮説の開陳は出来るが、そうだったとは言えないのである。この点は、よくよく注意せねばならないだろう。

 とはいえ、この仮説は相応に流布しており、松前健氏などは、天御中主神にとどまらず、日本神話全体にこの説を及ぼしている。すなわち、日本神話を分割し、創成神話から天孫降臨神話という一連の流れが、実際には遡及して作成されたという解釈を示すのである。

 しかしそうなると、脈絡がない状態、すなわち、国生み神話などがない状態で、天孫降臨神話が単独で存在していたことになる。古代人が、このような意味不明の話を語り伝えるということはあり得ないのではないか、と萩野氏は疑問を呈するのである。

 

 ※なお本節の記述は「アメノミナカヌシは消せるか その「架上」の説を中心に」(『現代思想』14-12、昭和61年)で詳しく論じられている。

 

 続いて、「第4章 諸家の論理操作について」である。萩野氏が同章で主として取上げるのは、津田左右吉の所説である。津田の神代史研究は複雑であるが、その中心的な構想は以下の通りである。すなわち、神代史には、全体を貫く「結構」「中心思想」があり、それから離れている要素は、「造作」された「遊離分子」であるとするものである。そして、その「結構」「中心思想」は、皇室の由来・成立を語ることであるとされる。

 この考えに従って、「造作」された要素を除去すると、①イザナキ・イザナミ2神の国生みで天照大神が生まれた、②スサノヲが追放され、出雲に降り、ついで黄泉国に下った、③大国主神が国譲りをして、天孫が日向に降臨した、の3点が浮かび上がるというのである。しかし、このような「結構」「中心思想」は津田自身が設定したものである。果してその分析が妥当かどうかは疑わしい。

 萩野氏は津田流の合理主義にも批判の目を向ける。津田は、人から日月が生まれるような話は「奇怪」であるとして、もし日本神話が「自然説話」ならば不思議はないが、日本神話はそういう性質のものではないので、「不自然」であるとする(津田『神代史の研究』)。これなども、自分で決めた前提をもとに日本神話を説明していることが分かる。

 また、津田は古代日本には上天、天皇といった観念がなかったので、天御中主神などは作為だろうという考え方を取り、現に多くの学者が従っている。しかし、かなり原始的な部族でも天の観念は普遍的に見られることは様々な研究で明らかになっているのであり、古代中国のような高度の哲学的思弁を経た体系をなしてはいないというだけである。この点も、津田の即断といわざるをえない。

 津田は、天御中主神には祭祀の痕跡がないことも、その存在の架空性の根拠としており、この見解は他の多くの学者に引き継がれている。しかし、祭祀がない根拠は、ほかならぬ天御中主神の記載がある記紀なのであり、祭祀の痕跡も実はないわけではなく、これを除去したうえで、「ない」とするのである。これは論理矛盾ではないかと、萩野氏は指摘する。

 萩野氏は、津田や松村武雄などによる、日本神話の性格の規定にも説き及ぶ。彼等は、日本神話は外国神話と違って皇室中心で連続しているので性格が特殊であり、「民衆的」ではない。血統的にも、皇室や各部族など、現在に連続するものとして説かれている。従って、このような神話と外国の神話を比較しても意味がないとするのである。(松村『日本神話の研究』ほか)実際は、他国でも神の子孫はたくさんいたし、現在でも神話を受け継ぐ民族はいないではないが、現在の皇室と神話が関係している以上、その研究には難しいものが出て来るといわざるをえない。萩野氏は次のように、本書をしめくくっている。

 

 「日本神話について語る日本人学者の議論は、誰にもわかるような初歩的な過誤にあふれていて、しかもそれがなにやら政治的な「良心」のごときもの、ポリティカル・コレクトネスのごときものに固く覆われているのを見るとき、それをいちいち指摘するのになにやら私は徒労感に近いものをおぼえる。日本の神話の研究は、天皇あるいは日本国という存在について特別の感情を持たない外国の学者に任せるしかないのだろうか」(223頁)

 

 本書は、一般に流布している日本神話に関する解釈に対して、一石を投じるものである。氏が神話論をより深くまとめられることなく逝去されたのは惜しみてもあまりあるが、われわれが氏の残した神話論から学ぶべきことはこの上なく多いのである。(了)

 

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萩野貞樹『歪められた日本神話』

 

定例研究会のご案内

今月の定例研究会を、下記要領で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加ください。

 

民族文化研究会第14回定例研究会

日時:平成30年3月11日(日)13時~15時
会場:喫茶室ルノアール新宿南口甲州街道店 会議室スペース 1号室
会費:800円(飲料代込み)
備考:参加希望者は、事前に当会アドレス(minzokubunka@gmail.com)までご連絡ください。

 

奉祝 建国記念の日

 本日は、建国記念の日です。全国で、建国記念の日を奉祝する式典が挙行され、晴れやかな表情でこの慶き日をお祝いする人々の姿が見られました。当会も、多くの国民と共に、肇国の大業に想いを馳せ、わが国の弥栄を祈念申し上げます。

 

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紀元祭」が行われる建国記念日橿原神宮

 

 

謹賀新年

 旧年中は、当会の活動をご支援いただき、誠にありがとうございました。振り返るに、北朝鮮による度重なる核実験やミサイル挑発など、昨年は波乱に満ちた一年でした。わが国を取り巻く国際情勢は、厳しさを増しつつあります。こうした状況において、時局的な課題に取り組む前に、わが国の文化的・精神的な基層に沈潜することの重要性を改めて強調しておきます。ここで、当会の伝統的な民族文化・民族生活の再検討という問題意識は、非常に意義をもつと思われます。今年も、こうした問題意識に基づき、当会は活動を展開していきます。これまで以上のご支援を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

 

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